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カサコソと枯葉の音が聞こえそうな乾いた秋が続く。雨が降らない今年の10月は、福岡では僅か3日間の雨と曇りを除いて、22日間が晴という、かつてない乾ききった秋である。
……朝夕の風は、紛れもなく身が引き締まるような秋の気配が濃くなってきたが、汗ばむような昼間の日差しは強く眩しい。この季節に、まだ半袖で平気な自分に驚きがある。
……早朝の冷たい空気の中で道路の落ち葉を掃き終えて、手を洗う水道の水が温かく感じられる。
……少し昼間の火照りを残した身体に、まだビールののど越しが美味い。
……恒例のインフルエンザの予防接種も済ませた。3種混合が4種に増えて、価格が少し高くなり、痛みもちょっぴり強くなった。免疫が出来るまで2週間、冬籠りの前の待機時間である。
……二日かけて、ひと夏の庭の雑草の繁りを片付けた。ハンマーと鋸と金鋸とカッターナイフと鋏を駆使して、半日掛けて物置の粗大ごみを指定の不燃ゴミ袋に入るサイズに分解した。スッキリと風通しが良くなった蟋蟀庵の秋である。
それもこれも、やがて来る冬籠りの季節への助走。寒さが苦手な私にとって、それなりの覚悟を迫るのが10月である。
夏の日照不足のせいか、今年の八朔は実が小さい。春先のお礼肥えに油粕と骨粉の混合肥料をタップリ施したから、決して土が痩せている筈はない。短い残暑で呆気なく秋が来たから、充分に肥え太る余裕がなかったのだろう。季節の気紛れが、年明けの味覚を少し寂しくしてしまった。
夏の日照りに耐えた2種類のダイモンジソウが、大きく脚を拡げて舞い始めた。魅力溢れる華麗な踊り子たちが、一斉に群舞する。春の踊り子は控えめなユキノシタ、秋に踊るのがダイモンジソウである。濃いピンクの両腕は控えめに、そして両脚は大胆に大きく伸ばして、秋風に舞い踊る。
傍らの鉢では、白とピンクのイトラッキョウが秋の花火を揚げ始めた。
久住山に登った知人から、山の紅葉は盛りを過ぎたと知らされる。日南のドライブはススキの中だった。あれから20日足らずで、もう紅葉の季節が山を去ろうとしている。この辺りに降りて来るのはまだまだ先だが、高原の紅葉に染まりたかったなと、少し淋しい気持ちがよぎる。
しかし、自重しなければならない事情があって、今年の秋はひっそりと逼塞して庭の季節感で慰めている。忙しい仕事の合間を縫って慌ただしく来てくれた長女を、温泉に連れて行ったやることも出来なかった。
家内が、40年近い病と漸く訣別出来るチャンスがきた。医学の進歩の圧倒的な速度が、此処に来て家内の業病に追い付いてきた。まさに「待てば海路の日和あり」である。1日1錠8万円の錠剤を90日服み、計720万円という薬剤価格としては過去最高といわれる薬が、この夏から保険と特別助成で月額2万ほどで服用できるようになった。副作用も殆どなくて、しかも薬効100%という夢のような治療を、日本医師会会長が経営する病院で来月開始する。
院長も主治医も共に高校の後輩、人から人へと連なる長い糸が、こんな形で結実する。復帰間もない沖縄に家族を伴って赴任したことから始まったこの病は、家内の人生の半分以上を苦しめる結果になった。さまざまな先進医療に挑み、苦しみ、乗り越え、ようやく本当の曙光が見えるようになった。家内にとっては艱難辛苦の年月、私にとっては慙愧と悔いの日々だった。その為の自重である。祈りの自重である。
秋の踊り子たちよ、前祝いの踊りを存分に秋風の中で舞うがいい。ピンクの花びらに囲まれた雄蕊の先端で、真っ赤な玉が踊る。見詰める私の中で、大きな期待が躍る。鬼よ笑え、年を跨ぐ3ヶ月を乗り越え、喜寿を寿ぐ厳冬が過ぎたら、二人で早春を探しに旅に出よう。
いつになく心穏やかな春を迎える予感に包まれて、キブシの枯葉を散らす風を聴いていた。
(2015年10月:写真:踊るダイモンジソウ)
ご隠居さまのグログ、久しぶりにお邪魔しました。
ありがとうございます。
耐えて、待っていてよかった!大いなる期待と、一抹の不安……少しばかり緊張して、二人で立ち向かっています。
一日一日の重み、それが余生の価値だと思います。
どうぞ、見守っていてください。