峰野裕二郎ブログ

私の在り方を問う

since 2005

選挙運動最終日

2009年06月20日 | 町内会長
きょうも、暑い1日だった。

午後4時から地域デイサービスの案内でご高齢者とボランティアのみなさんのお宅を回るついでに、各班長さんへ回覧・配布物を届けるために町内会を歩いた。歩くだけで汗がにじんでくる。

その間、町議候補の選挙カーに2台出会った。1人は前議長、もう1人は前町内会長、お2人ともよく存じ上げている方だ。車を停められたので短く話をした。選挙後、新しい佐々町をどう作っていくかだ。

一回りして帰宅すると午後6時になっていた。汗びっしょりだ。これ幸いにと、久しぶりにウォーキングに出た。
タップリ1時間汗を流す。
気持ちがいい。

さぁ、冷たいビールが待っている。
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人間を信じる

2009年06月19日 | 暮らし
いやぁ~、きょうも朝から太陽がかんかんと照りつける暑い1日だった。
昨夜から、居間も教室も冷房を入れている。どうやら空梅雨のようだ。
ところが昨日は、沖縄や関東地方は豪雨だったらしい。いったい、地球はどうなってしまってるんだろう。

作家・辺見庸さんが共同通信に寄稿している「水の透視画法」の今日付けの「虚空の予知夢」を読んだ。
そこには、人間が滅亡した後の心象風景が描かれてあった。夢の“根”は哲学者であり詩人の串田孫一さんだという。

辺見さんは串田さんと1度きり、会ったことがあるそうだ。その時、串田さんは「人間が全部滅亡してしまったあとの風景」を語ったそうだ。
串田さんは続けて「この数年、社会の流れが自分の中でよく整理ができなくなった。出来事もよく分からない。そこからくるあきらめのようなものが、人間滅亡後の風景を自分に組み立てさせているのではないだろうか」と語ったという。

それはそうだろう。もっともだ。
でも、あきらめてはならない。あきらめたならば終わりだ。私たちは、終わりにしてはいけない。
私は人間を信じたい。
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のんびり温泉・日帰りバスの旅

2009年06月18日 | 町内会長
入梅したとのことだったが、いっこうに雨が降らない。連日、30℃を超える真夏日が続いている。
夕方、社会福祉協議会からの帰り道、私たちの町内会が管理している国道沿いの花壇で、副会長が植えたばかりのサルビア・ポーチュラカ・マリーゴールドの花の苗の水遣りに精を出しているのを認めた。
ちょうど花壇の傍に差し掛かったとき、赤信号になったので窓を開け「ご苦労さん!」と声をかけると「雨が降らんね~」と渋い表情を見せた。

昨日は、町内会の「のんびり温泉・日帰りバスの旅」で伊万里温泉・白磁の湯まで出かけた。
早いもので4回目を迎えた。楽しみにしていただいているようで、もはや年中行事の1つとなっている。

「のんびり」していただくのは参加者のみなさんで、こちらは温浴施設との予約から打ち合わせ、参加者募集の回覧作成からとりまとめ、当日の引率まで全て1人で行う。
もちろん、みなさんに喜んでいただくのが嬉しくて、自ら好んでやっているのだから何の文句もない。

この日も何のトラブルもなく、無事に我が町内会に帰ってこれた。
文句はないが、さすがに疲れた。
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震える手

2009年06月17日 | 将棋
月曜日から将棋の名人戦・第六局が行われていたのをうっかり忘れていた。

新聞のテレビ番組欄に目が行ったのは2日目・火曜日の昼時、あちゃ~と思ったのも後の祭り、しかし、最も面白いのは2日目の夕方4時から6時までの放送時間帯だ。それが見れるのだからむしろ幸運である。陽転思考、陽転思考っと。

この日の大盤解説はタイトルを失って間もない佐藤九段、勝負の行方もさることながら、解説者と聞き手のやり取りはもう一つのお楽しみである。

先のNHK杯トーナメント、北浜七段対中川七段戦の解説は三浦八段だった。
三浦八段は、奇をてらうとか、意識して面白いことを言うとかをしない人だ。声も小さく、ボソボソと話す。
ところが、その日の解説は面白かった。三浦八段の人柄が実によく現れていると感じた。
テレビの画面は、よくその人柄を映し出す。

佐藤九段も、自ら面白いことを言うような人ではないというのは分かるが、よく分からない。考えてみれば、羽生名人・森内九段・郷田九段・丸山九段の「羽生世代」は、似てないようで似てる気がする。藤井九段だけ、ちょっと異なる。まぁ、例外のないルールはない。

さて、名人戦・第六局の勝負の行くへだが、夕方のBS放送終了後の午後9時過ぎ頃に決着がついたようだった。
その模様は、深夜0時40分からダイジェストで放送される。ここまで目を覚ましておくのが難しいのだが、この夜は頑張った。

結局、第六局を制したのは羽生名人だった。
これで3勝3敗の五分、最終局で雌雄を決するという将棋ファンにとっては願ってもない展開となった。

ところで、勝負をつける一手を指す瞬間、羽生名人の手がやはり震えていた。
さらに、挑戦者の郷田九段が「負けました」と投了を告げた直後、羽生名人は一礼し、やおら脇においてあったペットボトルに手を伸ばし、ペットボトル中のおそらくは水をグラスに注ぎ、視線は盤上に落としたまま、そのグラスの水を口に運んだのだが、そのグラスを持つ手もブルブルと震えていた。

それが、タイトル戦登場96回、獲得タイトル72期という偉大な棋士なだけに、勝負というものの厳しさをいっそう強く思い知らされる。
しかし同時に、いつまでも色あせないそのナイーブな感性が彼をこれほどまで勝ち続けさせていると言えるのかもしれない。
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町民のための町政を

2009年06月16日 | 暮らし
今朝は、親しくお付き合いさせていただいている町議選立候補者の出陣式に顔を出した。
かつて県議選に立った島原の叔父の選挙を手伝ったことがあるが、選挙事務所を訪れるのは、おおよそ三十年ぶりにになろうか。
県議選と町議選では規模が異なるが、選挙事務所には独特の雰囲気がある。特に出陣式は、えも言われぬ高揚感が漂う。

それにしても、選挙期間中の候補者名の連呼には閉口する。折りしも、佐々中学校では期末テストが始まったが、子供たちにとっても迷惑なことだ。

名前を繰り返し大声で叫ぶことが得票につながるとでも思っているとしたら、これほど有権者を馬鹿にした話もない。
もっとも、先の住民投票では投票用紙に「賛成」か「反対」と記すようになっていたが、合併推進派の中には「賛成」という漢字は難しいから簡単な「反対」の方を書く者が多い。よって「○」か「×」にすべきだったと真面目に話す人が少なからずいた。笑い話のようだが、本当の話だ。
まったく、有権者を馬鹿にしている。

今後、少なくとも町長選立候補者の間では討論会形式を実現させたいし、町議選も、せめて個別にメッセージを発してもらうような仕組みを作りたい。町内会長仲間と話している。

町長選を長く見てきている人に言わせると、今回の町長選には、いつものような盛り上がりがないそうだ。それは、土建業者等が関わっていないためだという。公共工事がめっきり減っているのだ。
そこに改革のチャンスがある。今こそ町政を町民の手に取り戻したい。

61,3-16,7
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町の在り方

2009年06月15日 | 暮らし
昨夜、佐世保市との合併推進派である前町長の「語る会」に出席した。
会場になっている集会所の町内会長が高校の同級生で、事前に出席を要請されていた。

彼の町内会は公営アパートからなっており、圧倒的に若い世帯が多い。一般的に若い世代は選挙への関心が低いが、彼の町内会も例にもれず、先の住民投票においても、低投票率だったと若い世代の自分たちの住む町への無関心を心配している。

そんな中、合併推進派の町長選立候補予定者から「語る会」を開くに際し、集会所使用の申し込みがあったのを機に相談があった。会に出席して、何故、合併推進なのかを問いただして欲しいというのだ。

そのことに端を発し、今回の町長選・町議選の問題点をいろいろと話し合った。とにかく、旧態依然とした枠組みを壊さなければ、新しい風は吹かないということで意見は一致した。
ごく一部の人たちにより私物化されたような町政から、町民一人ひとりが町政に関心を持ち、真に行政と議会と町民が力を合わせて町づくりに取り組む、そんな町を目指すために、選挙の在り方を考えていこうということだ。このことは、彼との間だけではなく、町の将来を考えている人たちと語り合っている。

午後7時半から始まった「語る会」は、合併推進派の町長選立候補予定者だけではなく、推進派の町議立候補予定者3人、運動員の方々他ほとんどその支持者のみなさんのようで、なんだか合併推進派の決起集会の様相を呈していて、「佐々町単独」を主張している立場の私にとっては、さすがに多少気まずかった。
やはり、若い人たちの姿はなかった。

町長選立候補予定者の話が済んだ後、すぐに質疑応答ということになったが、どなたも発言されない。
そこで「せっかくの機会なので・・・」と、枕詞【まくらことば】のように使っているセリフを言い、自らの立場を明確にした後、先ずは何故、佐世保市との合併なのかについての彼の理念を訊ねた。

それに関して2,3やり取りをしたが、いくら他に質問者がいなくとも、立場を異にする私ばかりが質問をし続けるのはどうかと控えた。

会が終了した後、町長選立候補予定者と少しの間、立ち話をした。「峰野さんが、きょうで合併推進派に変わられるよう願っています」とおっしゃるので「それは変わりませんが」、みなが町を思う気持ちは同じ。選挙の結果がどちらに出ようと、結果が出た後は、みんなで力を合わせましょうとお話しすると、その通りだ。私は何も言わないとおっしゃられた。

明日、投票日が告示される。
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名プロレスラー・三沢光晴選手が逝く

2009年06月14日 | スポーツ
ノア・三沢さん死す…プロレス試合中頭部強打(サンケイスポーツ) - goo ニュース

それを最初に知ったのは今朝の新聞でだった。社会面の一番下に小さく「プロレスラー三沢さん死亡」とあった。気をつけないと見落としてしまうほどの小さな扱いだったが、驚きは大きかった。

プロレスラー・三沢光晴選手は紛れもなく日本マット界のトップレスラーだった。その妥協なきファイトはファンの心をとらえて離さなかった。私もそのシビアなファイトスタイルにしびれていた1人だった。
しかし、それゆえ彼はケガがおおかった。

プロレスラーの凄みは「受け」にある。
今回、三沢選手は「バックドロップ」という技をかけられた後、意識不明となり、間もなく亡くなっている。

「バックドロップ」という技は、相手の背後に回りこみ、相手の腰を両手で抱え、自らの身体をブリッジするように後ろに反り返りながら、相手を後頭部からマットにたたきつける技だ。普通の人がそんな技をかけられたらひとたまりもない。そんな危険極まりない技をプロレスラーは日常的に受け続けている。

実は、三沢選手は以前にもその技を受け、救急車で病院に運ばれたことがあった。強靭【きょうじん】なプロレスラーの肉体もコンディションとか打ち所によっては生命に危険が及ぶことがあるのだ。
今回、関係者の話によると、三沢選手はその試合中、普段と違いふらつき気味で、頭を振っていたという。よほどコンディションが悪かったとしか考えられない。
命の危険を感じながらも、しかし彼はリングに上がったのだろう。

三沢選手は、リング上で常に冷静なファイトを繰り広げた。グリーンのタイツがトレードマークだったが、ファイトはブルーのイメージだった。冷静沈着かつ、切れ味鋭かった。
しかし、いったんリングを降りると彼はとても穏やかだった。
こうしていても彼のはにかんだような穏やかな笑顔が浮かんでくる。

三沢光晴選手は、間違いなく名プロレスラーだった。永遠にプロレスファンの記憶に残る名プロレスラーだった。

数々の名勝負をありがとうございました。

三沢光晴選手のご冥福を祈ります。

60,9-17,3
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語り合い

2009年06月13日 | 暮らし
町長選・町議選の告示を16日に控え、このところ立候補予定者やその支援者、また、町の将来を真剣に考えている友人らといろいろと語り合っているが、きょうの午前中もそのことで友人らの訪問があった。
そういえば、昨日は佐々町を担当する長崎新聞の記者といろいろと意見交換した。日頃から、彼の丁寧な取材に基づく分析と問題提起に注目している。

友人が帰った後、大急ぎで身支度を整え大村に向かった。
午後2時から橘香館の臨時の育成会理事会に出席することにしていた。せっかく橘香館に行くのだからと、その前に、くるみさんと昼食を共にする約束をした。

午前中の補習が終わり、くるみさんが寮に戻ってきたのが12時45分頃、きょうは、ゆっくり時間も取れないので、車ですぐの「長崎インターナショナルホテル」のランチバイキングにした。
くるみさんは元気だった。元気が何よりだ。

そそくさと昼食を済ませて、くるみさんと共に寮に引き返し、そこでくるみさんと別れ、理事会の行われる会場に向かった。

臨時理事会では重要な事柄について話し合うことになっていた。私は理事ではないのだが、そのことで会長と意見交換する機会があり、会長から理事会に出席して意見を述べるよう要請を受け、出席することにしていた。

理事会役員と橘香館長・副館長、それに私も入れていただき、2時間強、話し合い、理事会としての総意が出た。

理事会が済んだ後、もう1度くるみさんと会い、午後4時半過ぎに大村を発ち、午後6時過ぎに帰ってきた。

帰宅後も、連絡のあった友人や知人に電話をし、また、かかってくる電話に出て意見交換をしている。やはり、選挙のことだ。

今回の選挙は、佐世保市との合併の是非が争点になっている。私は、私の思うところがあり、その立場は明確にしている。
しかし、「推進派」「慎重派」にかかわらず、町民にとってのよりよい町づくりという観点から、できるだけ多くの立候補予定者と会い、議論を深めたいと考えている。
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天邪鬼

2009年06月12日 | 暮らし
デジカメの調子が悪くなってずいぶん経った。屋内では撮れるのだが、屋外では白っぽく写ってしまう。露出機能が上手く働いていないのだろうか。

プリンターのインクが切れたのを機に、昨日、思い立って購入もとのヤマダ電機に出かけた。
平日だったので店内は空いていた。デジタルカメラ売り場に直行し、手持ち無沙汰にしていた店員にデジカメの状態を説明すると、彼は、カメラを手にとるや、すぐに何枚か撮影して画像をチェックしていたが、やがて首をかしげては「普通に写ってますよ」と言ってモニターを私に見せた。
やはり、普通に写っている。屋内のためだ。

それでも、よ~く見ると、わずかに横に筋が入っているのが確認できる。ようやく分かってもらえた喜びから「ほら、調子が悪いでしょ」と得意気になって修理を頼むと、意外な答が返ってきた。

彼は、自分の経験から、これは1万円から1万5千円の修理費がかかる。それにプラス2千5百円の送料もかかる。もう3,4年経ってるようだし、新しいのに買い換えた方が得だと、強引に買い替えを進めるのだ。

たかがデジカメ、たかが物ではあるが、すでに十分な愛着を感じている。3,4年の付き合いだからこそそれなりの歴史もあれば、想い出もある。それを、そう簡単に損得勘定だけで割り切れるはずもないではないか。
生来の天邪鬼【あまのじゃく】も手伝い、結局、修理してもらうことにした。

61,0-17,3
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責務の重さ

2009年06月11日 | 民生児童委員
昨日は午後から町の民生委員・児童委員の月に1度の定例会に出席した。

今回は委員間で、特に不登校問題について意見交換したが、私たち委員の認識の足りなさをいやというほど思い知ることとなった。
仮にも民生委員・児童委員の委嘱【いしょく】を受けた以上、私たちはそれなりの研鑽【けんさん】を積まなければならない。
そうでなければ、どうして不登校や児童虐待で苦しむ親や子供たちの支援者たりえるだろうか。

61.4-17,1
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