今日も寒い。特に約束がないので家で仕事ができる。風邪ひきは、あたたかく、栄養と睡眠をしっかりとのんびりがいいと決め込んでいるが、良くならない。回復力が弱っているのは年のせいだろう。お友だちの100歳になるお母さまが、足が悪くなり、炊事ができなくなったのでいよいよ介護で自分の時間がなくなってきた とメールしてきた。いままで介護せずにこられただけでもありがたいという。地続きの一軒家同士。それも広いので大変だろう。要介護でも、人に頼らずに介護をするらしい。頭が下がる。地域的なものもあるので、簡単に施設などには預けられないのかもしれない。
今日は「いのち」という冊子が完成できた。1日パソコンに向っていられないとなかなか編集が進まない。こんな日は相棒に断って(二人の食卓の相手)鍋にする。材料を切るだけだ簡単だし温かいものが食べられる。「鍋はひとりではさびしいわよ」という人もいるが、我が家は一応二人分食器を用意すので、形はつく。でも、ふと母の姿が浮かんできた。週に3回は一人で食事をしていた。寒いときはほとんどベットに入ってTVを見たり、寝ていた。食事がくると起きだして、一人でテーブルで食べていたらしい。その姿が今のほうが目に浮かぶ。さびしかったろうな と。
誰かと暮らしていた人がひとりで食事になるときっとさびしいだろうな と思う。男の人が外食になるのもわかる。食事をするという言葉は人間にしか使わない。今は元気にひとりもりもりと鍋をたいらげているが、あと10年もするとさびしいのかな。いえいえ、私は元気で鍋を楽しむ気がする。最近「さびしさ」が飛んでけ、飛んでけ でどこかへいってしまった。元気なばあさんになった。始末が悪い婆さんかもしれないが。