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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

ふるさとがこころのなかにあれば

2018-12-22 20:00:31 | 日記

寒い冬至の日。ゆず湯があたたかそうだ。家から1分のポストに出ただけでどこにも出かけない日だった。1日、NPOの仕事の最後の追い込みだ。なんとか完成して、あとはクリスマス・イブに配信、発送だ。明日はお友だちが遊びに来る。ダンボール畑と書類の山をなんとかしないといけない。片づけをしながら、懐かしい写真に捕まってしまった。

生家は先日見に行った文京区駒込林町。(昔の地名)名前のように木の多い静かな町だった。古い家だった。塀が杉の皮だった。玄関の横の部屋の丸窓や二階の床の間と違い棚などは子供心にも好きだった。祖父が丹精に造った庭には、四季折々の花が咲いていた。なぜか物置が4つもあって、悪いことをすると入れられるということで恐怖だった。ぶろぐに書いたようにこの家を高校1年の終わりごろに去らなくてはならなかった。その反動で、家を出て働くようになるとお給料の割にはいい部屋に住んだ。ずっとマンション住まいだった。

でも、林町の家を時々見に行っていた。祖父の植えた木が3本くらい残っていたが、やがてなくなった。50歳のころ、高校の同級生の建築家に生家の図面を描くのを頼んでみた。「それでここは何畳くらい?」「そうね、10畳かな?」「おまえ、10畳という部屋をかいてみな。畳がどうなる?」初めて10畳という部屋は無いことがわかった。「図面を頼りに、ミニチュアの家を作ってみろよ、ハンズに材料があるだろう」そんなことがあった。

マンションに長年住んでいても、心の中には生家が生きていたことを最近感じた。寒くても住むなら古くても、ガラガラと玄関の戸を開けて、和室のある落ち着いた木の家がいい。終の棲家はそんな家にしよう。きっと辿りつける。

コメント
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