陽ざしが明るくなったら、掃除をしていないのがよくわかる。寒くて手抜きの掃除をしていたので、ふわふわとゴミが溜まっている。窓ガラスも吹き付けた雨の後が残っている。
昔、ドラマで「ひとはこの世に降りてくるときに、なにか荷物を背負って降りてくる」と聞いた。(多分、「青い鳥」)それが存在価値=背負った仕事なのかわからないが、それはきっとやってきたことややりたいことにあるだろうと思った。今日は、まずやりたいことをしてみよう。きものを着て出かけてみたいので、必要な小物やきものと帯を日に当てた。30年以上前のものだ。そして、ごみのふかふか浮いている棚の掃除。棚がきれいになったので、さびしいのではないかと思った仏さまに、場所を作ってお水などをおそなえた。母と同じようなものを買い揃えた。あとは6畳の部屋にいっぱいではなく、片隅にすこ~しあったホワイトデーもどきのスイートをお友達におすそ分けした。
湖北に来たのは、腕のない仏さまの腕を探すように、自分の無くした腕を探しに来たのではと思った。でも、それはもういいことだ。NHKのドラマのように亡くした指輪を探すのではなく、新しい指輪を探せばいいと。一人で大変なら、手伝ってもらえばいい。亡くしたものの穴を埋めるのではなく、新しい山に登ればいいと。
午後から風がかなり出てきたので、きものを着るのは、またの機会にした。やりたいことを済ませたら、自分の存在価値なんてどうでもよくなった。あちこちに春はやってきていた。