やっとお雛様を片付けることができた。片付けてしまうのが、さびしかった。午前中は、断捨離になった。今日は、まず衣服類だ。きものを着て歩いてみたいなぁと思って、箪笥を整理したことから始まった。それから、家の中を少し春らしくしてみた。
午後からは、市民協働センターの「コロナ禍で見えた、市民協働社会の必要性」(オープンガバナンスを学ぼう)だった。特に市民活動をしようとかではなく、家にいるよりは少し違う空気に触れてみたかったのだ。行政はデーターをオープンに提供して、市民参加で何かを作っていこうというようなお話だった。そこで大事なことで、事実を知るデーター、心を探るデザイン(ポジショントークを外す)未来を助けるデジタル化があげられた。
はっと思ったのは、「相手の心を探る」だった。10年のNPOの活動で相手の立場で必要なものを考えてきただろうか?いや、NPOだけでなくすべてのことにおいて、相手の目線だっただろうか・・・。私は結婚と同じように、独りよがりの自己満足で相手にものごとを押し付けてきたように思えた。そんなことしてほしくはなかったのではないか。自分のサッカーを見てくれて、自分の写真を撮ってくれればいいだけではなかったか等々。
相手の目線に立ったら、自分の存在意義はもうないような気がした。初めからなかったのではないか。そんなことを考えながら、冷たい風の中を帰宅した。家族を持たず、仕事も持たない人間は、何をしていけばいいのだろうか。ボランティアも私のエゴだとしたら。
このコロナウイルス禍で、仕事も失い、先の見通しも立たない人は私と同じよう自分の存在意義に「?」マークをつけてしまうのではないだろうか。
春に向かって、紫陽花もバラも新芽をふき出している。