コートにマフラー、帽子まで被って外に出たら暑いこと。昨日とは打って変わってのいいお天気だ。でもこれでは体調を崩す。さすがに年末に近づくとあわただしい。伯母の死去、そこへ荷物が届いたり、荷物の発送があったり、お礼のハガキを書いたり。一人暮らしでも用事は多い。クリスマスは料理を作ろうかなとかうちはいいけどおじいちゃんとお友達のところはお雑煮の材料はいるだろうな・・・など考える時期でもある。
都会へ出て電車に乗っていると、前の席のほとんどの人がスマホをしている。街で仲良く寄り添っている恋人たちらしき二人もなぜかスマホをしている。まだ、抱き合っているほうがいいなどと過激なおばあさんは思うのだ。あの何インチかの世界だけを頼りに生きることの怖さを感じる。世界はもっと広いのに自分だけの情報ではどうしても偏るだろうなぁ。紅葉のうつくしさもおいしそうなケーキも自分の目で見るもの、味わうものだろう。佐藤愛子さんが言った「なに!電話もできる、計算もできる、辞書にもなる・・・そんなもの使っていたらばかになりますよ。」を思い出す。どうもそれが政治と言われる世界にも感じるこの頃だ。
でも、スマホがないと困ることも多いし(これは生活の一部でもある)、逆に私たちの場合は想像力を育てている。忙しい中、どう伝えていくか?これは何を言っているのか?これでわかるだろうか?相手の立場を考える習慣もつくし、思考回路も似てくるらしい。たまには「前後の文脈がわかりません」と言われることもあるが。
でも、子供のころからスマホを頼りに生きるとどうなるのかな?感動は事実だからなぁ。それはおばあさんの考えかな。