昨日は姿が霧の中だった伊吹山がきれいな白の打掛姿で現れたようだ。ああ、雪が降っていたのだなぁと思う。スキー場もオープンしたという。今日はゆっくり寝ていたいと思うが、机の上のハガキの山を見ると、ため息をつきながら起きだす。期限があるので、頑張ってやるしかない。そこへなぜか新しいお願い事が来る。これも何とか年内に進めなくてはならない。誰かのためになれることはうれしいことだが、ふと思う。私のことはだれも面倒をみてくれないのに・・・。
ため息どころではない事件が起こる年の瀬だ。何とも悲惨な放火殺人事件が起きた。これから社会へ復帰しようと頑張る人とそれを応援する心優しい医師が亡くなられた。「言葉がありません」という言葉が一番正直な気がする。この不安定な時代に精神を病んでいく人は多いと思う。少し心理学を学んだだけに、初めから精神がおかしい人というのはほとんどいないということだ。成育過程の中で身に付けた身を守る姿勢というのが、さまざまな形で出るだけだと思う。そのつらい本体には、何回も何十年も時間をかけないと行きつかない。私はだからカウンセリングという言葉があまり好きではない。
そして、自死が起こった。有名人だけにニュースになったがこのコロナ禍で死を急ぐ人が増えているという。生きていく不安が心の深いところに気が付かないうちに巣をくい始めているのだろう。それは大なり小なり誰にでもあることだと思う。駆け込み寺的なところは必要だ。キリスト教系の講座で学んだ心のケアは、相手に寄り添い少しずつ心をオープンにすることだった。私はその方法?が好きだ。そこに復帰するにはそれなりの覚悟もいるし、現状では自分のメンテナンスで精いっぱいだ。
一つ言えることは、絶対に自分から関係を切らないことだ。「いのち」であれ、人との関係や仕事においても。やっとその意味が分かった気がする。自ら関係を切らないことはむしろつらいことでもあるから。正直に人に頼るのがいいんだよね。
今日はきれいなランの花です。