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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

おむすびの祈り

2018-05-25 08:39:17 | 日記

 昨日は日差しも強く、夏のような日でした。母が亡くなってから初めて実家に行きました。長年親しくさせていただいたご近所にご挨拶でした。そして、主治医の先生にお礼にいきました。狭いウサギ小屋のような家もどうしたものか?と悩みます。

早く帰宅できたので、身体を休めながら夕食の仕度へ。ほうれん草を洗いながら、ふと佐藤初女さんの「おむすびの祈り」を思い出しました。初女さんは「食べることと、その人のそのときの心境とは一致しています。ですから心の中が詰まっている人はなかなか食べることができません」と話しています。「おにぎり」を握るにしても「梅干」を漬けるにしてもその心遣いを大事にしています。材料を大切に扱うことの大切さも説いています。

私はていねいに材料を扱っていたでしょうか。ものを大切にひとつひとつしていたでしょうか。出来上がったものではなく、その工程を大切にしたでしょうか。走り抜けるような人生では味わえなかったことのように思います。このまえぶろぐに書いた「ものも人生も使い切る」という樹木希林さんの言葉のように、ものを大切に使い切るようにしたいと思いながらほうれん草を洗いました。

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単純さをだいじに

2018-05-23 19:53:04 | 日記

 朝のTVでは、いかにもスポーツマンらしい青年のインタビュー風景が流れていました。そのさわやかな目が胸を苦しくさせます。「どうして?・・・」好きなスポーツがもうやりたくなくなっただけでなく、将来の設計も狂わされています。いい年の大人の世界でも、大学のスポーツの上下関係がいつまでも続いているのは知っていましたが・・・。

お昼前から雨が降りだしました。ほこりのにおいがします。そして、紫陽花がうれしそうです。雨の日には雨の日の情緒があります。今日は地元の整形外科に診察に。地域の健康管理に貢献している医院なのが、置かれている小冊子をみてもわかりました。検査結果はでませんが、めまいもほとんど消えて元の身体にもどったようです。医療とは「いかに患者さんに安心を与えられるか」が大きいように思います。私のように小麦粉でも薬と思えて効くような患者なら、信用できると思うお医者さんのお話だけで、よくなっていきそうです。単純さも大事かもしれませんよ。

家に帰って夕食の仕度です。気持ちが落ち着いたこともあって、家事も楽しくなりました。なんで専業主婦をしなかったのだろうか・・・・?朝と夜は二人の食卓が続いています。母がいなくなり、弟はベトナム、家族の食事の機会はなくなりました。でも、続けていた二人の食卓のおかげで「ああ、ついに二人の食卓になってしまったね」と思えて、感謝しながら食事をいただけます。相棒はだれかわりませんが、改めて馬鹿らしいと言われても続けていてよかったと思うのです。

(写真はクーとデコ、もうすぐデコが母の所から戻ってきます)

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荷物をおろして

2018-05-22 19:57:12 | 日記

さわやかな風が吹きます。それでもなんとなく頭が重いのです。季節的なものなのか身体のあちこちが痛みます。青葉のシャワーを浴びようと午後から北鎌倉へ出かけました。

明月院や円覚寺は混んでいるので、東慶寺へ。少し紫陽花が咲いているのを期待して行きました。明るすぎて紫陽花には似合いません。青もみじがきれいです。木漏れ日に織り成す青葉の陰影がすてきです。頭がすっきりしてきました。本堂の裏の「イワガラミ」が特別公開ということでした。裏には崖がせまっているこのお寺は緑を背負っています。イワガラミは岩肌に絡みつくように咲いています。白い額紫陽花のような花です。

心が融けてくるのがわかります。少しずつ緩んでくるのです。そう、50年くらいの間で固まった塊が融けてくるのです。精一杯生きてきたのだなぁ と思うのです。そんな重い荷物をおろすことがやっと出来るようです。「もう、のんびり生きていいのです」といってくれた人がいました。この荷物が見えていたのでしょうか。

来月は2.3日のんびり旅に出よう。やらなくてはならないことを済ませて、そうしたら静かな自然なかで暮らしていたい。

 

 

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タカヤ君

2018-05-21 21:30:57 | 日記

今日もさわやかな日でした。家の中はお花で溢れているのですが、夕方どくだみの花を採りにいきました。お茶花のようで籠に活けるときれいです。朝ドラをみていると、幼馴染のことを思い出します。

タカヤとは小・中・高校と同じ学校でした。小・中は違うクラスでしたが、高校は3年間同じクラスでした。小学校のときは仲良しの女の子の近くにタカヤの家がありましたので、よく一緒の遊びました。中学は隣のクラスのことが多く、教科書の貸借りなどはしていました。そして高校へ。当時は9クラス。クラスに同じ中学からきたのはタカヤだけでした。ジャニーズ系の甘いマスクのタカヤは人気がありました。私の友達も好きになり、なにか4角、5角関係?になりたいへんでした。そんなとき「六義園へ行こうぜ」と言われて彼とさぼりました。二人は幼馴染 ということで堂々とそんなことが出来たのです。そして、F君とタカヤと私で共同答案を作り赤点も取らず、卒業したのです。これはよく見つからずに出来たと思うのですが、じつはお見逃しでばれていたのかもしれません。

タカヤは一浪したので、私たちが再会したのは大学2年のとき。高校の同じクラスの仲間と海へ出かけたりしましたが、そのときはK子さんとお付合いしていました。大学卒業後は関西へ。そしてK子さんではなく、神戸のお嬢さまと結婚したとうわさに聞きました。

50歳のときのクラス会。20年ぶりに参加しました。タカヤもそうだったそうです。でも、そのときエレベータで乗り合わせて私はタカヤとわかりませんでした。男の顔は履歴書と言うけれど、彼がそのいい例だと大学のころ一緒に遊んでいたO君が言いました。K子さんと別れてお金持ちのお嬢さんと結婚したこと。家族とも遺産の問題で裁判中とか。

タカヤ、あのときの秘密のケーキ屋のケーキは美味しかったね。まだ、あの店があるの知っている?半分青いじゃなくて、半分苦くて、甘い話だね。

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幸せになっていいのかな

2018-05-20 21:30:03 | 日記

朝、窓を開けると冷たい風が入ってきました。上着がないと寒いくらいです。5月も20日。ゴールデンウィークもなく過ぎた5月でした。昨日、40年来の親友から手紙が届きました。

「お当番、お疲れさまでした。寄り添う時間が長かった分、喪失感も大きいことでしょう」久しぶりに『お当番』という言葉を思い出しました。母が、介護であれ、なんであれ『お当番』の札が廻ってきてしっかりやらないとお当番が終わらないと言っていました。私たちは何かあると『お当番』ということでやり通して来ました。でも、『お当番』が終わると、また違うお当番の札がくると言うのです。

そうか、「お当番」が終わったのですね。「お当番」とは思いませんでしたが、いつも不安と自責の気持ちで過ごしていました。今日はだれとも会わなくても、不安もなく、自分の用事をこなしました。もしかしたら、私は自分のことだけ考えればいいのかもしれません。だから、信頼できる方がいて、安心な日々が送れるのかもしれません。

お風呂に入ると、体が冷えていたのかその温かさにほっとしました。「お母さん、私のことだけ考えて、幸せになっていいのかな?」そうつぶやいてみました。叔母と親友が言っていた。「博巳君(弟)だって、ベトナムで好きな人ができて幸せにしているんじゃないの。ベトナムの女の人は、優しくてきれいだし、そうでなくてもそうなって幸せに暮らしていて欲しいじゃない」と。

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