金山寺味噌をご存知だろうか。
私はこれが好きで、全国的なものだと思っていたのだが、
記事を書くにあたって調べてみたら、岡山県、和歌山県、静岡県で作られているものだと書いてあり、
もしかしたら知らない人もたくさんいるかもしれない。
どういうものかというと、
「大豆・米・麦・野菜等から作られ、熟成期間は短いものでは1週間、長くても3ヶ月である。調味料としては用いられず、おかずや酒の肴としてそのまま食べる。
まず、炒った大豆を引き割り、これに麦こうじと塩を合わせ、塩押ししたウリ、ナス、ショウガなどを刻んで混ぜて仕込み、さらにウイキョウ、
サンショウ、シソなどを加え、密閉して3ヶ月ほど熟成させる。(ウィキペディアより)」
ほんのり甘い、つぶつぶの大豆や麦や茄子、しょうがが入った味噌なわけで、
これを白いご飯と共に食べると「あー、日本人に生まれてよかったー」という気持ちになるのである。
さて、この金山寺味噌が、さすがのハワイでも手に入らない。
ということをこぼすと、早速母が送ってくれた。
毎年頼んでいる、叔母の知人が作ってくれる金山寺味噌にはまだ時期が早いので、
近所の専門店で買ってきてくれたものだ。
届いた小包を開けると、あれやこれやのお菓子の下から金山寺味噌のパックが2個出てきた。
それぞれがビニール袋に入れられているが、
『要冷蔵』
と大きなシールが貼られているではないか。
日本から荷物を送ると、早ければ4日、時には10日ぐらいかかってしまうことがある。
要冷蔵のものを10日近くも常温で放っておいていいんだろうか?
母のことだから、別に驚いたわけじゃないけど。
荷物が届いたことを電話で知らせて御礼を言うと
母「金山寺、だいじょぶだった?」
私「なんか液が染み出てたけどね」
母「発酵品だからねえ。運ばれている間に発酵が進んだんだわねえ」
私「要冷蔵って書いてあったね」
母「あはは!ああいうのは気にしなくていいのよぅ。
何にだってすぐ貼るんだから」
私の母は、そんなことまで心配しなくていいのに、ということを心配するくせに、
もっと心配したほうがいいのでは?ということを心配しない、というところがある。
父が経営する会社が危ないかも、というときに、1番どっしりと構えているのはいつでも母だし、
父が癌の手術を受ける前日に、私と母が父の病室に泊まることになったとき、
頭が冴えて眠れない私の隣で、母は爆睡していた(私は結局朝までろくに眠れなかった)。
そのくせ、私たちがシュノーケルをするといえば、「この前シュノーケルで死んだ人がいた」と言い、
車で送ると言えば「送ってもらった帰りに事故にあうと困るからいい」と言うのだ。
心配性な部分はともかく、
母の大雑把なところが、どれだけ私を救ってくれているだろう。
そしてその大雑把さをしっかり受け継いだ私は、どれだけその性格が自分にとって幸いしているだろう。
母と娘の関係というのは、すっきりといかないことがよくある。
うちにだってそれはあるんだけれど、
どうひっくり返してみても、やはりこの母でよかったと感謝しているのである。
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私はこれが好きで、全国的なものだと思っていたのだが、
記事を書くにあたって調べてみたら、岡山県、和歌山県、静岡県で作られているものだと書いてあり、
もしかしたら知らない人もたくさんいるかもしれない。
どういうものかというと、
「大豆・米・麦・野菜等から作られ、熟成期間は短いものでは1週間、長くても3ヶ月である。調味料としては用いられず、おかずや酒の肴としてそのまま食べる。
まず、炒った大豆を引き割り、これに麦こうじと塩を合わせ、塩押ししたウリ、ナス、ショウガなどを刻んで混ぜて仕込み、さらにウイキョウ、
サンショウ、シソなどを加え、密閉して3ヶ月ほど熟成させる。(ウィキペディアより)」
ほんのり甘い、つぶつぶの大豆や麦や茄子、しょうがが入った味噌なわけで、
これを白いご飯と共に食べると「あー、日本人に生まれてよかったー」という気持ちになるのである。
さて、この金山寺味噌が、さすがのハワイでも手に入らない。
ということをこぼすと、早速母が送ってくれた。
毎年頼んでいる、叔母の知人が作ってくれる金山寺味噌にはまだ時期が早いので、
近所の専門店で買ってきてくれたものだ。
届いた小包を開けると、あれやこれやのお菓子の下から金山寺味噌のパックが2個出てきた。
それぞれがビニール袋に入れられているが、
『要冷蔵』
と大きなシールが貼られているではないか。
日本から荷物を送ると、早ければ4日、時には10日ぐらいかかってしまうことがある。
要冷蔵のものを10日近くも常温で放っておいていいんだろうか?
母のことだから、別に驚いたわけじゃないけど。
荷物が届いたことを電話で知らせて御礼を言うと
母「金山寺、だいじょぶだった?」
私「なんか液が染み出てたけどね」
母「発酵品だからねえ。運ばれている間に発酵が進んだんだわねえ」
私「要冷蔵って書いてあったね」
母「あはは!ああいうのは気にしなくていいのよぅ。
何にだってすぐ貼るんだから」
私の母は、そんなことまで心配しなくていいのに、ということを心配するくせに、
もっと心配したほうがいいのでは?ということを心配しない、というところがある。
父が経営する会社が危ないかも、というときに、1番どっしりと構えているのはいつでも母だし、
父が癌の手術を受ける前日に、私と母が父の病室に泊まることになったとき、
頭が冴えて眠れない私の隣で、母は爆睡していた(私は結局朝までろくに眠れなかった)。
そのくせ、私たちがシュノーケルをするといえば、「この前シュノーケルで死んだ人がいた」と言い、
車で送ると言えば「送ってもらった帰りに事故にあうと困るからいい」と言うのだ。
心配性な部分はともかく、
母の大雑把なところが、どれだけ私を救ってくれているだろう。
そしてその大雑把さをしっかり受け継いだ私は、どれだけその性格が自分にとって幸いしているだろう。
母と娘の関係というのは、すっきりといかないことがよくある。
うちにだってそれはあるんだけれど、
どうひっくり返してみても、やはりこの母でよかったと感謝しているのである。
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