太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

個人主義

2013-06-20 14:12:50 | 日記
行き届いたサービスにしろ、便利さにしろ、さまざまな仕組みにしろ、

日本人の私にとって、日本ほど暮らしやすい場所はないと思う。

日本を離れるときに、どんな場面に出会っても

「もし日本だったらこうなのに」とは絶対に思わないようにしようと決めてきた。

ここは外国で、私はガイジンなのだから、それは仕方がないことで、

すべてを受け入れて暮らしているつもり。




しかしそんな中で、ひとつだけ、日本じゃなくてよかったと思うことがある。




ハワイには町内会だとかいった自治会がない。

日本には町内会があり、その中でまた、婦人会だの子供会だの老人会なんかがある。

集合住宅に住めば、その中で班長さんやら会計なんかが持ち回りで決められる。


親元を離れてから、集合住宅に4回、持ち家に1回住んだけれど、

班長になれば町内会費を集めたり、町内の会合に出たりしなければならないし、

回覧板をまわす責任もあり、市の会報を配る役目もあった。

班長にならなくとも、全部の家庭対象に、資源ごみなどの監視をする当番もまわってくるし、

生ごみを出す場所の清掃をする当番があった場所もある。



私はこういうことが大の苦手。

なんといったってめんどくさい。

こう見えても、私は根が真面目で小心者のゆえ、班長になれば全力を尽くしたし、

ごみの当番もサボったことはない。

でも夏の夜、資源ごみの当番で、みんなが出した空き缶を選り分けているときに、

大きなゴキブリが腕を這って来たり(悶絶ものだった・・・)

凍えるような冬の夜、夜の間にこっそりゴミを出す人がいないように見張る当番を(見張るだけ)

寒さに足踏みしながら立っているときなど、なんでこんなことをしなくちゃならないんだろうと思ったものだ。

町内の運動会があり、町内の旅行があり、回覧板の内容はたいてい重要でもなかったりする。



古い町であるほど、決まりごとや役割や行事が多くて、

新興住宅地に家を建てた時には、それほど面倒なことはなかったように思う。

ただ、その隣の町では、町内の誰それの通夜や葬儀の予定を広報で放送しており驚いた。


今の夫と結婚してから住んだ町も古い町で、年寄り連中が幅を利かせており、

さらにガイジンは差別されていた。

夫と歩きながら町内の歩道に落ちていたゴミを拾い集め、集積所に持って行ったら、

そこを見張っていた年寄りに

「あんたどこのガイジンさん?ここに何を捨てようっての!?やたらにゴミを持ってきちゃいかんよ」

と見咎められ、頭にきた私は

「ここの町内に落ちていたゴミをガイジンが拾ってきたんですけど、文句あんの!」

と、大変おとなげないことを言った、ということがあったっけ。




とにかく、そういうわずらわしい町内会や自治会といったものがハワイにはない。

ゴミを出すのも個人個人で、それぞれの家の前に指定のゴミ箱を出すだけ。

月に1度の大型ゴミの回収も、その日が近くなったら家の前や、どこか歩道に出しておくだけ。

いつどこで道路工事があるから迂回せよ、という回覧板がなくても困らない。


分譲の集合住宅には、住民のアソシエーションがあるけれど、

年に1度、定例の集まりがあるだけで、

回覧板もなければ、ゴミ集積所を見張る当番も聞いたことがない。



町内会があることで、どこに誰が住んでいて、どんな家族構成で、非常時にはどこに連絡をすればいいかわかるのは

安心だし、いいことなのかもしれない。

私の母は、長いこと町内の民生委員をやっており、

一人暮らしのお年寄りや、生活が立ち行かない人達の家をまわって相談に乗ったりしている。

だけど、ゴミぐらい個人の責任で出してもいいんじゃないか。

今は昔と違って、それぞれの家庭でレジャーを楽しめるのだから、町内の運動会も子供会も老人会もいらないんじゃないか。

生ゴミ集積所の当番があった場所では、当番の人が自前で「からすよけ」のネットを用意して

朝と晩に掃除をしていたけれど(フルタイムで仕事をしていたから大変だった)

町内会費でなんとか解決できることじゃなかったろうか。

そこの班長になった年、町内会議でそのことを書いて出したけれど、完全無視だったな。そういえば・・・




個人主義の長所も短所も、

集団主義の長所も短所も、同じだけあるんだけれど、

今のところ、集団主義から開放されたよろこびに浸っている。









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