太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

不幸なシナリオ作りが得意

2021-01-12 15:31:21 | 日記
この家を建てるまで、義両親のゲストルームで寝起きをしていた。
当時は義両親とも仕事をしていたので、顔をつきあわせる時間はそれほどなかったけれど、
私は心休まるときがあまりなかった。

私の英語力の低さもある。
夫が、仕事のストレスに潰されかけていたのもある。
義両親の人と成りが、まだわからなかったのもある。
仕事を探す前で、家の中にしか目を向けるところがなかったのもある。
どうする当てもない水彩画などを描いていたが、心はいつも重かった。

47年住み慣れた日本を離れ、いくらかの不安とともに意気揚々とハワイに来たはずが、
人生の第3幕は、そんなブルーな気持ちで始まった。


家は広くとも、キッチンはひとつ。
義両親は外食が好きだし、シュートメは夕食を食べない日もあり、
今夜はどうするのか、何か作る予定はあるのか、そういったやりとりをするのに、ものすごく神経を使った。
シュートメは元々男脳で、当時はストレスにさらされていたこともあって常にキリキリしていた。
私にとって、シュートメは怖い風紀の教師のような存在。


私がこう言ったら、言わなかったら、どう思うか。
こうしなかったら、こうしたら、どう思うか。


私はそんなことばかりを気にして暮らしていた。
たとえば、シュートメが出かけたあとで洗濯機が終了した。
乾燥機に移しておくべきか、それとも放っておくほうがいいのか、で悩む。
勝手に乾燥機に入れた、と思われるのではないか。
家にいるなら乾燥機に入れるぐらいしたっていいのに、と思うのではないか、というわけだ。

一事が万事、そんなふうで、私は文字通りヘトヘトだった。
そのうち、シュートメが、私達の部屋の収納にアレコレ言うようになった。
夫が職場がつらくてウツなりかけなのは、整理整頓にも原因がある、と思ったらしいのだが、
バスルームの戸棚まで開けさせて、「あれはなに?これは?」と、立ったまま指図する。


そのとき、私の中で「プチ」と音がした。


夫には、家の中の愚痴は言うまいと決めていた。
いくら夫でも、母親の悪口は聞きたくないだろう。
けれど私はもういっぱいいっぱいで、その夜、私は思い切って言った。

「お義母さんの前だと全くリラックスできないよ」

すると夫は言ったのだ。

「僕もー」

「え、ほんと?」

「ぜーんぜんできない、誰もできないと思うよ」

なーんだ、息子でもそうなんだ。
それは夫の思いやりだったかもしれないが、どれだけ気が楽になったことかしれない。


そのあと、家を建てるまでにはまだ2年あまりかかったのだったが、
私が仕事を始め、コラージュと出会って、自分に忙しくなると、いろんなことを「見ないふり」ができるようになった。
つまり、自分では解決できないこと、答えが出ないことにしがみついているのに気づくと、それを断ち切ることができるようになったのだ。


私がこうしたら、しなかったら、相手がどう思うかなんて
寝ずに考えたってわかりっこない。
それを、自作の脚本をシミュレーションし、おろおろする。
監督も役者も私なら、見ているのも私で、コメディにも深刻劇にもできるのに、
なぜか私は深刻劇ばかり作るのが好きみたいで。



家を建てて、義両親ともリタイアして丸くなって、ずいぶん気楽になった。
相手がどう思うかを忖度する癖はまだあるけど、
「やりたきゃそうすればいい、やりたくなきゃ、しなきゃいい」
「好きなように思え」
という立ち位置に戻れるようになった。


相変わらず、ああなったらどうしよう、という不幸なシナリオを即座に作るのも大得意。
でも、しばらく深刻になったあと、そのことに気づけるようになった。
違うシナリオに差し替えればいいのだ。


ハワイに来て、今年で10年。
私はちょっとばかりチャレンジな生き方を選んだかもしれないけど、
年をくっていた割には、まあまあよくやってきたほうだ、と自分を褒めてあげたい。