太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

新人食器と古株たち

2021-01-15 13:19:33 | 日記
気に入って一度に買いそろえた食器類は、思ったよりも使う頻度が少ないことが多い。
あとから買い足していったもののほうが、よほどよく使っている。


洋食器文化の義両親家では、同じ柄の大皿と小皿が30枚ずつあって、
それを10年単位ぐらいで買い替えている。
私は日本人だからなのか、大皿も中皿も小皿も、深めの大小のボウルも欲しい。
そしてそれらが同じ柄というのは、つまらないと思ってしまう。
日本では、陶芸家である友人の作品をコツコツ集めて大事に使っていた。
それら全部を手荷物でハワイに持ってくることもかなわず、
郵送して壊れてしまうよりは、と、泣く泣く親友にあげてきてしまった。
ハワイに持ってきたのは、一輪挿しと小皿といった小物ばかり。
物を大事にしてくれる人なので安心しているが、あの足つきの小鉢は良かったなあ、などと懐かしく思う。


先日、食器が入っている戸棚を整理していたとき
思い立って、買ってから数えるほどしか使っていないお皿を処分した。
それは家を建てたときに揃えた食器のひとつで、正方形の角皿。
それが、大きさも形も半端で使いにくい。
そのあとシアトルで、手描きのポーランドの18センチの丸皿を買ったら
それが便利で使いよく、朝食に、デザートに、と毎日使っている。
正方形の角皿は、戸棚の中ですっかりお茶をひいている。

その角皿と同時に買った、同じ柄の5つのボウルは普通に使い易かったけれど、
あとから買った深めのボウル達にとってかわられてしまった。

だいたい、同じ柄のボウルが5個は多すぎだ。
人を招いて食事をする家じゃなし、必要なら義両親側から借りてくればすむ。
そのボウル達も、今日あたりたぶん処分する箱行きになるだろう。




そんなとき、ガラスのコップのセットをいただいた。

うちじゃ、あまりガラスのコップは登場しない。
保冷できるメタルのカップか、横着して寸胴のプラスティックのカップで済ませてしまうからなのだが、
普段は使わないコップですら、6年もたつと飽きてくる。

新しいコップ

いただいたそのコップは、水面に流したような青もみずみずしく、
私のコップの条件である、底までしっかり洗って磨ける深さというのも満たしている。
このタイミングでお皿だけでなく、コップにも代替わりがきたのである。

古株のコップは、同じデザインの大小で5個ずつある。
飽きてはいるものの、これはこれでピカピカに磨くと素敵なので、小さい方は処分し、
大きなほうだけ残した。
何しろ、我が家の収納には限りがある。
コップ類を入れておく棚は、この狭さで4段しかなく、上の2段は私が踏み台に乗っても届かない高さときている。

二段目が古株、下段が新人



新しい古株の食器たちが、新人の食器の出現によって追いやられるのは忍びない気持ちはおおいにある。
苦しい時代に支えた糟糠の妻を袖にして若い女に走る男、とまではいわずとも
「気に入ったから買ってくれたんじゃなかったのー」
という声が聞こえるような気がするのだ。

でも、戸棚の奥で出番もなく、新人たちが忙しく出入りするのを眺めているよりも、
どこかの誰かが使ってくれるとしたら、そのほうがいいんじゃないか、とも思う。
古株たちを丁寧に紙で包んで、「ありがとね」と言いつつ箱に入れる。