太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

動ける幸せ

2022-10-30 08:01:34 | 日記
先日、腰が痛くて動けずにいる友人に、おかずを届けに行った。
友人は集合住宅の4階に住んでおり、防犯のために、建物に入るのに2つの鍵が必要。
その前の週、おかずを届けに行った時、友人がベランダから鍵束を投げ落とし、それを使って建物に入るつもりだったのだが、その時は起き上がることもできずに、娘が降りてきて開けてくれた。
痛みが激しいので会うこともできなかった。


脊髄滑り症という、彼女の持病のようなもので、腰から右脚の足首までが痺れ、寝ているだけでもぎりぎりと搾られるような痛みがあるという。
処方されたステロイドも痛み止めも効かないというのだから気の毒だ。
18年前にも同じようになって、腰の手術はリスクが高いから最後の手段。
まだ若いから(当時は40ぐらい)筋肉を鍛えていこうということで、次第によくなっていったのだという。

既に3週間仕事を休んでいる。
今回はベランダまで出てくることができ、鍵を投げてもらって家に入ることができた。
シングルマザーの友人は、さぞや心細いだろうと思う。
救いなのは、娘が大学生とはいえ成人していることで、「電子レンジしか使えない不肖の娘」であるにしても、病院に連れていってくれたり、何かと頼りになる。

1分よろよろと歩き、座る、1分歩いて、横になる、そんな状態でも、動けなかった時を思えばずいぶん回復している。
「痛くて痛くて、いい年しておとうさーん、おかあさーん、って叫んだんよ」
あの世のご両親もさぞや心配したんじゃなかろうか。

テレビで、走っている人や、ダンスをしている人を見ると、
「あんなふうに動けるなんて!」
と思うのだという。
ちょっと前までは自分もそうしていたことが、遠い夢のように思える。

風邪をひいただけでも、健康のありがたみが身に染みる。
だけど、それはその時だけで、元気になれば忘れてしまう。
延々とその繰り返し。
身体のどこにも痛いところがないということが、どんな奇跡であるか。
立って、歩いて、走って、ものを掴んで、階段を上り下りできることが、どれだけ奇跡であることか。
私は友人を通して、しみじみと健康に感謝した。