太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

母の梅干し

2023-06-08 06:50:58 | 食べ物とか
冷蔵庫のチルドの引き出しの奥から、ジップロックに入った梅干しが出てきた。
何年も前、日本に行った時に母が持たせてくれたものだ。

母は自分で梅干しを漬ける人ではなかったが、ずっと贔屓にしているところがあった。
そこの梅干しは、食べると口がゆがむほど塩辛い。今風の、蜂蜜入りとか、ふっくらした南高梅とは程遠い。
私の子供の頃にも、スーパーには食べやすい梅干しが売られていたけれど、そういう梅干しでは何か物足りない。
おにぎりの具や、ゴマ塩と海苔の梅干しだけのシンプルなお茶漬けも、あの特別塩辛い、紫蘇がたくさん入った梅干しでないとだめなのだ。紫蘇の葉だけのお茶漬けも美味しい。

「昔の梅干しはこんな味だったよ」

母はその梅干しに昔の思い出の味を重ねていたのだろう。

実は前の結婚時代に、梅干しを漬けたことがある。その頃は私は自分が料理好きだと勘違いしていて、パンの発酵器まで買い込んでパンを焼いたりもしていた。今じゃおとぎ話である。
青梅をたくさん用意して、半分を梅酒に、残りを梅干しにした。梅酒はうまくいったが、梅干しは梅雨の晴れ間に外に干していたときに雨が降り、台無しにしてしまった。
私が梅干しを漬けると言うと母は、

「まあ、そんなムキになってやるじゃないよ。ほどほどがいいよ」

と言った。さすが母親、娘のことはよくわかっている。



最後に母に会ったのは、亡くなる2年も前だったが、浅間神社の参道にある昔ながらのお味噌屋さんに一緒に行き、金山寺味噌を買った。
以前はよく、母の姉が作って送ってくれたものだけれど、叔母がそれをやめてしまってからは、この店で買う。
いつもほんわりと笑っているような母の顔と、金山寺味噌と梅干を丁寧にジップロックを重ねて包んでくれた手が思い浮かび、胸に熱いものがこみあげてくる。

母が持たせてくれた梅干しは、数えたら12個あった。
もったいないので少しずつ食べて、そのうち忘れてしまった。
母がいなくなった今、それはまるで形見のようにも思えて、ますます食べられなくなってしまった。
こんなことなら母が存命中に食べきっておくのだった。
そして梅干しは再び冷蔵庫の中へ納まったのである。