太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

手土産は豆

2021-02-22 13:41:07 | 食べ物とか
ワイキキのギャラリーのインベントリー(在庫補充)に行った。
旅行客の数は増えてはきたものの、まだまだどの店も閑古鳥に近く、そのギャラリーも月~金しか開けていない。
ワイキキくんだりまで行って、うっかり閉まっていると嫌なので電話をしてみた。
「はあい、シロ!レイラニよ」
ワンコールでレイラニの澄んだ声がした。
レイラニは六十代だと思うが、しっとりとしていて、キュートで美しい。
彼女のまわりにだけ、ゆったりとした空気が漂っていて、こんなふうに年を重ねたいと心底思う、憧れの人。

大好きなレイラニに、五目豆をおすそ分けで持っていった。
もう何度も煮ている五目豆

冷凍するので、最近はコンニャクを入れない。
レンコンを入れるのが好き。

この五目豆が、こっちの人に大人気。
肉が入っていないから、ベジタリアンでも食べられる。(意外とベジタリアンが多い)
そもそも、豆を煮るという料理が珍しい。
フランス人のラティーシャは、これを「豆サラダ」と呼んで、カイワレなどと組み合わせて食べるし、
Vickyはトルティーヤでくるんで、トースターで焼くらしい。
私が作るのは、甘さがけっこう控えめだからそれもアリか・・(やってみようとは思わないけども)
そんなわけで、煮てもすぐになくなってしまう。


「大豆、食べる?」
「もちろん。私は何でも食べるわよ」
「じゃ、これをあげるよ」
「うわー!シロが作ったの!」
「大豆と海藻とニンジンとシイタケマッシュルームの日本料理」

大好きなレイラニに会えて、遠出(私的に)も楽しいものになった。






自分を自由に!

2021-02-21 08:06:27 | 日記
幸せのために、何かをすることよりも、
不幸にならないように、何かをするほうにエネルギーを注いでいる。
ありがちじゃないか?

たとえば、


枇杷の樹(たしか、クチナシも?)を庭に植えると縁起が悪い。とか。

トイレを毎日掃除しないとお金が貯まらない。とか。

仏滅に祝い事をするとよくない。とか。


私はあまのじゃくなので、最初の結婚式は仏滅にした。
神社での挙式は仏滅は安かったし、外国には仏滅も大安もなく、そんなの迷信と高をくくっていた。
結果、とんでもない結婚になったわけだけど、それは仏滅に結婚したからじゃない。
あの体験があって、今の私がいるのだ。


それでも、心が弱っているときには、つい「不幸にならないために」何かをするほうに、向いてしまうこともある。
そのうち、不幸にならないためのアレコレで、自分をがんじがらめにしてしまい、
息苦しくなって、ようやく気付く。


不幸にならないために、どれだけ安心をかき集めても絶対に幸せに到達しないことに。
なぜなら、そうしていること自体が不幸なのだから、その不幸な状態が延々続くだけ。


だいたい、植えたら不幸になる、なんて、その樹に失礼。
私はクチナシが好きだから、庭にクチナシがある。
「縁起が悪いんだけどなあ」と思いながら眺めるより、「この花大好きだなあ」と思って眺めるほうがずっといい。


台所に黄色いものがないことが心に引っ掛かるなら、そのことが既に楽しくない。


幸せも不幸も、もとをただせば同じものだったりする。
幸せにみえたあんなことも、不幸にみえたあんなことも、そのとき私が
そういうふうに捉えただけだったかも、ということがけっこうある。

不幸にならないように生きるより、
幸せにフォーカスして、小さな幸せを積み重ねて生きていたい。
不幸になる恐れから自由になって、明るく人生を創造していきたい。
とっくに人生を折り返した今、私がしみじみ思うことである。










謝りたい事

2021-02-19 10:52:08 | 不思議なはなし
いつもと違った瞑想をしてみようと、誘導瞑想をやってみた。
その瞑想の後半に、亡くなって、もう会えない人に謝りたいことがあったら伝えるという場面があった。

真っ先に現れたのは、父だった。
私は父には感謝ばかりで、謝りたいことなどあっただろうかと考えた。
最後の10年はハワイと日本で離れてしまってごめんね、と言ったら
父はニコニコとうなづいていた。

そして、最初の結婚相手がいた。
その前夫の思い出は、最高に嫌な、今でも思い出して腹がたつようなことばっかりだ。
7年交際して、11年結婚していたその間に、確かに楽しかったこともあったはずなのに、
楽しかったことを思い出そうとしても、すぐさま嫌な思い出が出てくる。
深い縁があって出会ったのだろうから、「ま、いろいろあったよね」と茶飲み話にしたっていい頃だと思うのだが、そうはならない。
相手は亡くなっているのだし、と思っても、思い出が美化することはない。


別居したときに便箋7枚に、この11年間の嫌だったことをぎっしり書き連ねたら
「なんかほかに良いこともあったと思うんだけど・・・」
と言ったのを覚えている。
私は自分の負の感情にがっちりと蓋をして、表面だけ美しく暮らしていたから、
いったん外れたその蓋の下から溢れたどろどろの魑魅魍魎は持て余すほどで、
それが今でも続いているということなのか。
それとも、私はいまだ、何か終わらせていない宿題があるからのか。
あるいは、面と向かって「だーーーいきらい」と言えるほど、近い存在だったりするのか。



「なーーーーーーーーんにも良い思い出を思い出せなくて、ほんッとにゴメン」


私はそう言って謝った。
相手は、居心地の悪そうな感じだったと思うが、よくわからない。










全米で2番目に安全な州

2021-02-19 10:16:58 | 日記
新聞によれば、ハワイは今、全米で2番目に安全な州らしい。
治安ではなくコロナウィルスという面で。
一時期は、1日に300人以上だった新規感染者が、ここのところ二桁で
スーパーボウルやプレジデントデイの後も、その数は増えていない。
ちなみに1番安全なのはアラスカ州。
ハワイとアラスカ、送料無料にならない州が仲良く安全な州とは・・・

治安でいえば、あまり良いとはいえなくなったかもしれない、と思う話が多い。

ワイキキに住む知人は、ペッパースプレーを持ち歩くようになった。
車で生活している人たちがすごく増えて、危険なのだという。
女性を狙ったひったくり犯も多い。
街角にあるセキュリティカメラに、ゆっくり走りながらターゲットを探していた自転車の男が、
いったん曲がった角から戻ってきて、カバンをひったくる場面が映っている。
個人の郵便受けから、郵便物が盗まれるのも増えたらしい。
こっちでは、ポストに投函しなくても、郵便受けの旗を立てておくと、
郵便配達人が回収していってくれる。
支払いのために書いた小切手を目的にした盗みなんだろうけど、支払先の名称が違う小切手を、
どうやって現金化するのだろう。(なにか技があるのかも)

こんな田舎に住んでいると、そういう話を聞いてもピンとこない。
道を歩いていて特に不安に思うことはないし、
ひったくりも、郵便物ドロボウも、以前からあったことだ。
田舎でも、近所の知人宅でペットシッターをしていたとき、2回も車のカバーを盗まれたことがあるし、
いつも行くビーチで、ボディボード2枚と夫のビーチサンダルを盗まれたこともある。

昔から起きている、そういうことを、
コロナで経済がまわっていない、という先入観でもって焦点をあてれば
治安が悪くなったように見えてくる、ということもあるんじゃないか。


今こそ、私が見たいものだけ見よう。
マイナスの先入観になりそうなものは、捨ててしまおう。
どんな気持ちで過ごすのかは、自分で決められるのだから、
そのときに選べる気分の中で、良いほうを選んで1日を過ごすことは、
それほど難しいことじゃないように思う。
少なくとも、嫌な気分で過ごすよりはずっといいと思うんだけど。









ゲシュタルト崩壊が止まらない

2021-02-18 11:19:36 | 英語とか日本語の話
書初めとか、大きなポスターの文字とか、
じっくり時間をかけて字を書いていると、だんだんその文字が見慣れない物のように思えてくる現象が、ゲシュタルト崩壊

この「ゲシュタルト崩壊」という言葉を知るまでは、
私はどこかおかしいんじゃないか、と思っていたけど、よくあることらしいので安心した。

社会人になりたての頃、地方のテレビ局で働いていて、
テレビ画面に映る文字や絵を作成したり、手描きするのが仕事だった。
今じゃもう、手描きのフリップなんか使っているところはないんだろうけれど、当時はそういう時代だった。
しっかりとレタリングぽく文字を描くとき、よくゲシュタルト崩壊になった。

たとえば「縁」という漢字を書いているうちに、
漢字のパーツがバラバラになっていって
正しく書けたはずの字を見ても、「こんな字だったっけ?」と確信が持てない。


これが、最近頻繁に起きている。
日本語で、誕生日のメッセージを書くとき、手帳にスケジュールを書き込むとき、手紙を書くときに崩壊は起こる。

優しい、の「優」
御無沙汰の「御」
寂しいの「寂」

書き方がわからないのではなく、書けているのに確信がもてない。
立ち止まって眺めれば眺めるほど、混乱は深まる。
スマホで確認して、それで正しいとわかっても尚、見慣れない感がぬぐえない

本を読まない日はなく、ブログだって書いている。
それでも、自分の手で文字を書かなければ、読めるが書けない文字が増える一方だ。
日記をつけてみるのがいいのだろうが、飽きっぽい私にできるはずもなし。


昨日、プライスカードを書いていた同僚が、
「ねえ、これで合ってる?」
と言って、「Glasses」と書いたカードを私に見せた。
「合ってると思うけど、母国語でしょうが」
「いや、そうなんだけど、なんか見慣れないような感じがしてきてさぁ」
英語でも崩壊は起こるものらしい。


当番の「当」の字ですら、じっくり眺めていたら、
なんだか知らない文字のように見えてきてしまう。
どこまで崩壊していくのか、恐ろしい気がしているのである。