大昔、「野生の王国」というテレビ番組があって、よく見ていた。
アフリカのサバンナなどに住む野生の動物たちの生態を紹介する番組だ。
現在、そういう番組は一気に増えた。
カメラの性能や撮り方が格段に良くなって、いったいこれはどうやって撮影しているのか、と不思議に思うほど近くに動物たちを見ることができる。
イギリスBBCの、デビッド・アッテンボローがナレーションのシリーズは、
デビッドの素朴な語り口が心地いい。
サバンナも、アマゾン流域も生涯行くことはないので興味深い。
ところが最近、この手の番組が苦手になってきた。
野生の馬の特集で、干ばつで水が不足し、弱った馬が立ち上がることができずに地面でもがいている。
苦しむ馬を、カメラは撮り続けている。
私は言わずにおれない。
「何を見ている!そこにいるなら水をやれ、水を!見殺しにするのか!」
叫ぶ私に夫が言う。
「野生だから人が手出しはできないんじゃないの」
そんなこたぁわかってる。
でも目の前で死にかけている動物を、なぜ見ていられるのか神経を疑う。
とうとう見ておれずにチャンネルを変える。
ミーアキャットの特集では、ミーアキャットの家族に名前をつけて生態を追う。
後ろ足で立って、敵が来ないか監視する姿は愛らしく、かわいいなあと思いながら見ていた。
兄弟の1匹「ジロー」(確かにジローと言った)が、大きな鷲を発見。
兄弟たちに知らせてまわって、みんなが一斉に穴の中に逃げ込むのだが、ジローだけが戻ってこない。
敵がいることを知らせている間に、鷲に捕まってしまったのだ。
「オォ、ジロー・・・・」
デビッドがつぶやく。
私は憤慨する。
「なんで鷲を追っ払わない!みすみすジローが捕まるのを指をくわえて見てたんか!この人でなし!!」
「だからそれは野生だから・・・・」
夫が申し訳なさそうに言うが無視。
あまりに腹立たしいのでチャンネルを変える。
今では、白熊の親子が画面に映っただけで、チャンネルを変えてしまう。
温暖化で氷が薄くなり、子熊を育てるのに苦労している母熊を見るのも、何も知らずにあどけない子熊を見るのも耐えられない。
ペットショップにキャットフードを買いに行くと、保護猫がいる時がある。
名前と年齢、保護猫になったいきさつなどがプレートに書かれている。
以前、夫も私も必ずそのケージを最初にチェックし、
「ハーイ、ダッシュ、ハウアーユー」
などと声を掛ける。
ちなみに、ダッシュ・オス・1歳は、里親に引き取られたものの、先住猫と良い関係が作れずに、再び保護猫になった。
人なつこく、穏やかそうなダッシュが、こちらにすり寄って来る。
うちに猫がいなかったら連れて帰るのにね、と言い合ってその場を離れる。
ダッシュの行く末を思い、私の心にもやもやが残る。
次に行った時、ダッシュはいなくなっている。
幸せにしているのか、それとも。
再びもやもやが広がる。
そんなわけで、最近はそこを見ないようにしている。
夫は相変わらず猫チェックをして、声を掛けている。
いつからこんなに動物ものに弱くなったのか。
植物や魚なら、まだ感情移入しなくて済むので、憤慨せずに見ていられる。
「動物だけじゃないじゃん、普通の映画も、主人公が危険にあいそうになるとトイレに行ったり、目と耳を塞ぐじゃん」
夫が言うが、そうなのだ。
危険な目にあってもリベンジできることがわかっている場合しか、見ていられない。
「水戸黄門」や「大岡越前」が年配者に支持されて、再放送を重ねていたのは、こういうわけだったのかと思うこの頃である。