太平洋のまんなかで

南の島ハワイの、のほほんな日々

ふっれけえき

2021-09-16 07:50:34 | 英語とか日本語の話
同僚に聞かれた。

「Do you know where ふっれけえき is?(ふっれけえき、どこにあるか知ってる?)」

「は?」

「昨日、ここにあったんだけど。ふっれけえき」

ふっれけえき という単語が頭をぐるぐるまわり、アルファベットをあてはめてみるが、いっこうにわからない。
そのうち同僚が、

「あった、あった、この下に隠れてたわ」

といって出してきた段ボール箱には、ふりかけチップスが入っていた。
ふりかけふっれけえき。

「それは ふりかけ だよ」

私は正しい発音を教えた。
普通の「ふ」の発音が、なかなかできない。

「ため息つくみたいに、フーって言ってみ、フラのフだよ」

「ふ」が言えるようになっても、そのあとが ぅれけえき になり、「け」に大仰なアクセントがつく。

ぅれ じゃなくて 
それに、アクセントつけないで平たく言うの」

同僚は何度も練習し、言った。

「でもさ、Furikake だよ?シロの発音だとFじゃなくてHだよね」

それはそうだが、そんなことを私に言われても困る。
日本語に近く表記するならば、HULIKAKE にすべきだろう。
日本語のらりるれろの発音は英語にはない、と言われているが、
Lだったら、文章の中に組み込まれていればだが、まあまあ日本語のらりるれろで通じる。
単語だけになると、そうもいかない。
らりるれろは、舌が上あごの上の前歯に近いあたりに当たるけど、
Lは歯の裏の、先のほうに当てたほうがいいような気がする(個人的な見解)


とにかく、英語圏にあっても、私は日本語の単語に関しては迎合しない。

本土からのお客様が聞く。
ふっれけえき、って何?」
ふりかけは、海藻やゴマを粉砕して味付けしたものです」
「へえ、ふっれけえきなんて初めて聞いた」
「ハワイじゃふりかけは普通に食べられているんですよ」

カラオケは断じて キャリヲキ ではなく、空手は断じて クワァリ ではない。
照り焼きは断じて テぅリヤーキ ではなく、ふりかけもそういうことである。










妹のこと

2021-09-15 07:54:23 | 日記

朝、隣家にかかる虹。
虹はここでは頻繁に現れるけれど、見るたびに はっ! とする。


3歳上の姉と、5歳下の妹がいる。
私たちは顔も性格もそれぞれで、年の近い姉とは子供の時分にはよく喧嘩もしたが、
大人になって、私たちは親友のようになった。

姉は、まっすぐで、なかなか折れない強い柱。
私は、割とどんな形の器にもそれなりに収まってしまうが、折れやすい。が、折れても立ち直りが早い。
妹は、よくしなる竹のよう。姉のような強さもあり、私のような融通がきくところもおおいにある。

実は妹のことは、50年以上つきあっている今でも、わからない。
わかっているのは、妹が3人の中で最も懐が深く、器が大きいということだけだ。
妹が一人でハワイに来た時に、シュートメが言った。
「〇〇(妹)は、イージーゴーイングね」
日本語にすれば、おおらかというのだろうか。
その前に来た姉のことは、
「長女らしい、しっかりした人ね」
と言った。
姉も妹も、人当たりがよくてほがらかだけれど、シュートメは彼女たちの本質を鋭くついている。


姉は大病をし、私は私生活がゴタゴタしまくり、それなりの苦難を乗り越えてきたけれど、
妹が背負ったものは、私ごときには到底やりおおせないものだと思う。
私と妹が、仕事の話で妹の将来結婚することになる人の店に行ったとき、
その人の母親が妹に一目ぼれした。(むろん当人同士も恋愛になったのだけれど)
「私も独身なのに、なんで私には声がかからん!けしからん!」
と私は憤慨したものだが、義理の母親には、人を見る目があったということだろう。


それなのに、妹はどこから見ても苦労知らずの、気楽に生きている人に見える。
ふわーっとした雰囲気で、にこにこしているので誰からも好かれる。
妹に、「だいじょうぶ」と言われると、ほんとに大丈夫なんだと思えてくる。
妹は、真っ白でくるくるとした巻き毛の、ほんとうに可愛らしい子供だった。
50を過ぎた今でも、私は妹の中にあの頃と同じ顔が重なってみえる。

両親がいなくなり、姉妹だけが残された。
両親が私に残してくれたものは数多くあれど、この姉妹が1番大きいと思っている。
妹の背中を見ながら育った3人の個性豊かな娘たちも仲が良く、いつか同じように思うときが来るのだろう。




91.4m

2021-09-13 08:13:33 | 日記
デンタルフロスがなくなった。
いきなりなくなってしまって困るものの一つがデンタルフロス。
何個かまとめて買い置くのだが、買い置きの最後を使っているときは再び振り出しに戻って、いつなくなるかとハラハラしながら使う。
だいぶ使っているし、そろそろ買っておこうと思うのだが、いつも忘れる。
ケースが透明になっているとか、レジスターの紙ロールみたいに、終わりに近づくと赤い線が出て知らせてくれるとか、
そういう顧客のことを考えた商品が、なぜ出ない?
サランラップだって、日本のは使い始めがわかるようになっているのに、
こちらのは目印がないので、使い始めのしょっぱなから、端っこ探しにイライラすることになる。


そうそう、デンタルフロス。

夫が使っているフロスは、グライドというタイプで、きしめんみたいに平たい。
歯並びが良いアメリカ人である夫には、グライドがいいらしいのだけど、
大小の歯が入り組んでいる日本人の私は、普通の糸のようなフロスがいい。
その夜は、仕方がなしに夫のグライドを使い、翌日買いに行った。
そこで私は、お徳用フロスを発見した。

お徳用フロス

なんと長さが91.4mある。
普通のフロスと比べてどのぐらい大きいかというと、
こんなにデカい。

91.4mあったら、年が明けても使えるかもしれない。
いやー、これはいいものを見つけたと夫に自慢し、ホクホクしながら帰ってきて、
いざ、使おうとして封を切って凍り付いた。

それはきしめんタイプのグライドだった _| ̄|○・・・・

ああ、なんということか。
私が苦手なきしめんフロスが、91.4mも・・・
犬歯とか、奥歯の重なった部分にはさまって抜けなくなったりして、嫌なんだ。
これを2022年になっても使い続けるのか。
夫にあげようにも、夫のは、歯医者からもらったのとか売るほどあるし、
自慢して買った手前、間違いでしたと言うのもなんだか癪だ。
仕方がないので、いつもより長めに引き出して使っているのだが、
つくづく、自分の詰めの甘さ、注意力のなさが恨めしい。
こんなことを繰り返して半世紀。
今さらどうにも治るものではないのはわかっているだけに、ため息しか出ない。






コーちゃん3か月になる

2021-09-11 07:41:18 | 日記
これはなんだ?
ビールに手足が生えてる・・・・


こたえ。


コーちゃんでした。

保護したばかりのとき。生後3週間。



生後6週間ぐらい。

名前通り(奇心のコウ)エネルギーが有り余って、元気印のコーちゃんは
チーズケーキ達ともすっかり家族になった。
チーズケーキのボーイとガールが、かわるがわるコーちゃんを舐めてきれいにしてくれる。
遊び好きのボーイと、レスリングや追いかけっこをする。
最近、夫はコーちゃんを「カップケーキ」と呼ぶ。
チーズケーキに、カップケーキ・・・・


帰宅して車を停めると、玄関脇の窓にコーちゃんがいた。
改めて、大きくなったなと思う。
それでもまだ細っこくて小さいんだけど。
コーちゃん、3か月。






夢に向かって邁進する人

2021-09-10 08:33:36 | 日記
「日本の方ですか」
私担当のレジで会計をしながら、二十代の女性の日本人が私に聞いた。
ここのところ、
「韓国人だよね」(なぜ言い切る?)とか、「ベトナム人でしょう」(自信たっぷりなのが気に食わない)とか言われてばかりだったので嬉しくなった。
やはり日本人には日本人がわかるのだ、そうなのだ。

「そうですよ」
「日本はどちらですか」
「静岡なんです、あなたは?」
私は日本人ではないんだけど、大阪に2年ほどいました」

なに!!日本人じゃない?
私は心底驚いた。顔もアジア系だし、なにより日本語にまったくアクセントがないのだ。

子供の頃から日本が好きで、日本の漫画を読んで日本語を覚え、大学では日本語を専攻して文法をしっかり学んだそうだ。
日本の漫画は日本語で読むし、漢字を覚えるのも楽しくて仕方がないのだという。
「日本語を話すのは、子供の頃からの私の夢でした」


好きでたまらないことがある人を見ると、羨ましい、と思う。
たとえそれが、芸能人の追っかけであろうとゲームであろうと。

私は美大を卒業したので、人は私が絵が好きなのだと思うだろう。
しかし、私が美大に行ったのは、まわりの流れに流されたくないという反抗心からで、毛色が変わっていれば何でもよかったのかもしれない。
高校3年の夏に急遽、普通大学受験から美大に変更したのだけれど、
将来やりたいことも好きなこともなかった私は、どの大学を志望していたかも覚えていない。

美大を出ても、私にはやりたいことなどなかった。
地元に戻り、テレビ局に就職し、父の会社に入り、起きてくる現実に振り回されながら、その日その日を過ごしていた。
私は自分自身とまったく向き合ってこなかったので、自分は何が好きで、どうしたいのか、考えることもなく40年あまり生きていた。


今、私はハワイに住み、作品を創作し、それでお金を得ているけれど、
それとて、私がどうしてもやりたかったことかと言えば、特に「そうしたい!」と願い続けたわけではない。
私がガムシャラだったのは、美大を受験する直前の一夜漬け並みの詰め込みと、
今の夫と出会うための、さまざまな自分内観ワークだけ。
それも、美大は、私をコケにした美術研究所の講師を見返したい一心、
激ハッピーな再婚をしたかったのは、私を振った相手を見返したい一心、という・・・・・

ハワイに住むのもなりゆきで、
絵も、自分で売り込みに行くのは、断られたときのショックが怖いから趣味のままでいいと思っていた。
めんどくさいのは嫌で、絵を売るのだっていつだってやめていいんだから、と
今でも思いながらやっているありさまで、
夢に向かって邁進するとかいったこととは、ほど遠いところにいる。


ハワイでの暮らしは大好きだし、創作することも楽しい。
自分が創ったものを誰かが対価を払って求めてくれれば、やりがいもある。
私は自分がやりたいことをやっていて幸せで、恵まれていると思うけれど、
強い情熱を持ち続けて生きている人たちを見ると、心底まぶしく、羨ましいと思うのである。