奈良の斑鳩から本日のメインである額安寺へ移動。
場所は金魚の町で有名な大和郡山市です。
額安寺はこのような長閑な場所にありますが、
山門へと続く道が初めてだと不安になるほど細い道なのでご注意を。
所在地:奈良県大和郡山市額田部寺町36
宗派:真言律宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・推古天皇29年(621)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場
【縁起】
聡明叡知で仏法を尊んだとされる聖徳太子が、
釈尊の祇園精舎に倣って創建した学びの道場「熊凝精舎」が山号の由来です。
額安寺は621年に熊凝精舎を置いた跡地に建立された寺院で、
後に東大寺、興福寺と並ぶ大寺となる大安寺の前身であると言われています。
額安寺のあたりは初瀬川と佐保川の合流する古代水路による交通の要所で、
瀬戸内海を通りなにわの浦から大和川を遡って、
額安寺近くの板屋ヶ瀬に外国使臣や文物が渡来してきたのであって、
額安寺は仏教伝来の門戸に規模壮大な大寺院として臨んでいたのであります。
鎌倉時代には高僧興正菩薩やその弟子の忍性菩薩等によって復興。
しかし戦国時代の戦火を浴び本堂一宇を残すのみとなり、
五重塔も豊臣秀吉の命により摂津の四天王寺に移され時代が下ると共に衰退。
明治の中頃には寺域なお一万余坪を残していたのでありますが、
寺領のほとんどを失いその後は廃寺に等しい状態に置かれていたのであります。
近時、飛鳥時代の法燈を受け継ぐ名刹額安寺の荒廃を嘆く声も多く、
殊にこの地に育った前々住職の故喜多亮快師が額安寺の衰亡することを憂え、
自力で復興を志し昭和五十年より補修建設を加えて額安寺を今日の姿まで復興しました。
【山門】
こちらは開かずの門でした。
山門の前に無料駐車場がありました。
【参道】
凄く綺麗に手入れされていますね。
【門】
この門の横に通用門と拝観受付がありました。
境内から撮影したもの。
【紅梅】
【本堂】
早速堂内へ。
【内陣】
ありがたいことに撮影の許可をいただきました。
【御本尊】
厨子に安置されていた期間が長いから彩色が綺麗に残っているとのこと。
何ともいえぬお顔ですね。(^^
【文殊菩薩】
【厨子】
厨子の絵も綺麗に残っていました。
見事です。
【梵天】
【四天王】
【諸仏】
【不動明王】
【毘沙門天】
【掛け軸】
【天の川】
何とも不気味な絵である。
【吉祥天】
うーむ、こちらも微妙な絵である。
【吉祥天】
【諸仏】
【弘法大師】
下は弘法大師と分かるが、上の高僧は慈真和尚でしょうか。
【阿弥陀如来】
【愛染明王】
これにて本堂の参拝終了。
素晴らしい仏様達でした。
【境内】
【仏舎利殿・納骨堂】
こちらに仏舎利が安置されているそうです。
世界的宗教画家故杉本哲郎画伯が親交の深かったインド初代首相故ネール氏より、
手ずから頂かれた仏舎利は画伯の御遺族から安置される場所として、
平成18年に収められたそうです。
【宝篋印塔】
この塔は鎌倉時代に慈真和尚が母の供養の為に作ったものと伝えられ、
記銘の持つものとしては日本で2番目に古いそうです。
文応元年(1260)建立されたもの。
【収蔵庫】
以前は虚空蔵菩薩が安置されていましたが、
現在は奈良国立博物館に預託されているそうです。
【紅梅】
【御朱印】
三体のうち一体をいただきました。
御本尊と厨子の素晴らしさは言うまでも無く、
不動明王や梵天等個性豊かな諸仏も多く充実した見仏でした。
場所は金魚の町で有名な大和郡山市です。
額安寺はこのような長閑な場所にありますが、
山門へと続く道が初めてだと不安になるほど細い道なのでご注意を。
所在地:奈良県大和郡山市額田部寺町36
宗派:真言律宗
御本尊:十一面観音菩薩
創建:伝・推古天皇29年(621)
開基:聖徳太子
札所:聖徳太子霊跡、大和北部八十八ヶ所霊場
【縁起】
聡明叡知で仏法を尊んだとされる聖徳太子が、
釈尊の祇園精舎に倣って創建した学びの道場「熊凝精舎」が山号の由来です。
額安寺は621年に熊凝精舎を置いた跡地に建立された寺院で、
後に東大寺、興福寺と並ぶ大寺となる大安寺の前身であると言われています。
額安寺のあたりは初瀬川と佐保川の合流する古代水路による交通の要所で、
瀬戸内海を通りなにわの浦から大和川を遡って、
額安寺近くの板屋ヶ瀬に外国使臣や文物が渡来してきたのであって、
額安寺は仏教伝来の門戸に規模壮大な大寺院として臨んでいたのであります。
鎌倉時代には高僧興正菩薩やその弟子の忍性菩薩等によって復興。
しかし戦国時代の戦火を浴び本堂一宇を残すのみとなり、
五重塔も豊臣秀吉の命により摂津の四天王寺に移され時代が下ると共に衰退。
明治の中頃には寺域なお一万余坪を残していたのでありますが、
寺領のほとんどを失いその後は廃寺に等しい状態に置かれていたのであります。
近時、飛鳥時代の法燈を受け継ぐ名刹額安寺の荒廃を嘆く声も多く、
殊にこの地に育った前々住職の故喜多亮快師が額安寺の衰亡することを憂え、
自力で復興を志し昭和五十年より補修建設を加えて額安寺を今日の姿まで復興しました。
【山門】
こちらは開かずの門でした。
山門の前に無料駐車場がありました。
【参道】
凄く綺麗に手入れされていますね。
【門】
この門の横に通用門と拝観受付がありました。
境内から撮影したもの。
【紅梅】
【本堂】
早速堂内へ。
【内陣】
ありがたいことに撮影の許可をいただきました。
【御本尊】
厨子に安置されていた期間が長いから彩色が綺麗に残っているとのこと。
何ともいえぬお顔ですね。(^^
【文殊菩薩】
【厨子】
厨子の絵も綺麗に残っていました。
見事です。
【梵天】
【四天王】
【諸仏】
【不動明王】
【毘沙門天】
【掛け軸】
【天の川】
何とも不気味な絵である。
【吉祥天】
うーむ、こちらも微妙な絵である。
【吉祥天】
【諸仏】
【弘法大師】
下は弘法大師と分かるが、上の高僧は慈真和尚でしょうか。
【阿弥陀如来】
【愛染明王】
これにて本堂の参拝終了。
素晴らしい仏様達でした。
【境内】
【仏舎利殿・納骨堂】
こちらに仏舎利が安置されているそうです。
世界的宗教画家故杉本哲郎画伯が親交の深かったインド初代首相故ネール氏より、
手ずから頂かれた仏舎利は画伯の御遺族から安置される場所として、
平成18年に収められたそうです。
【宝篋印塔】
この塔は鎌倉時代に慈真和尚が母の供養の為に作ったものと伝えられ、
記銘の持つものとしては日本で2番目に古いそうです。
文応元年(1260)建立されたもの。
【収蔵庫】
以前は虚空蔵菩薩が安置されていましたが、
現在は奈良国立博物館に預託されているそうです。
【紅梅】
【御朱印】
三体のうち一体をいただきました。
御本尊と厨子の素晴らしさは言うまでも無く、
不動明王や梵天等個性豊かな諸仏も多く充実した見仏でした。