続いて出世の石段で有名な愛宕神社に到着。
もはや出世は望んでいないけど、
家康公の命により創建された由緒ある神社だし、
一度は参拝しておかないとね。
ちなみに神社が鎮座するのは東京23区で一番高い
標高23メートルの愛宕山です。
23メートルなんて山じゃない感覚。(笑)
東京23区って坂はやたらと多いけど、
関東平野っていうだけあって山が無いんですね。
所在地:東京都港区愛宕1-5-3
御祭神:火産霊命
配祀:罔象女命、日本武尊、大山祇命、将軍地蔵尊・普賢大菩薩
創建:慶長8年(1603)
社格:村社
【由緒】
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり、
江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。
幕府の崇敬篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、
祭礼等でもその都度下附金の拝受を得ておりました。
また徳川家康公の御持仏で行基作の勝軍地蔵菩薩も祀られております。
寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が、
騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、
その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から、
日本一の馬術の名人として名を馳せ、出世の石段の名も全国に広まりました。
万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、
桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ち果たした桜田門外の変の集合場所でもありました。
海抜26メートルは都内随一の高さを誇り、
桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。
明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、
江戸城無血開城へと導きました。
【社号石標】

【鳥居】

【狛犬】


青銅製。
これは作品として見ればかなりデキの良い狛犬です。
【出世の石段】

英語だとSUCCESS STEPSというらしい。(笑)


なかなかの急角度の石段。
これはさすがに馬に乗って登るなんて無理でしょ。
曲垣平九郎盛澄が登った時はもっと緩い石段だと思うのが普通ですね。
でも、調べてみると明治、大正、昭和に、
石川清馬、岩木利夫、渡辺隆馬が成功しているとか。
特に昭和にスタントマンの渡辺隆馬が、
プラタモリで実際に成功しているのを放送していました。
興味がある方は検索かけてください。
曲垣平九郎盛澄が登ったのも恐らく間違いないんでしょうね。
疑って正直すまんかった。

頑張って登りまっしょい。
ハァハァ・・・
さすがに運動不足のオッサンには堪えるわ。

途中で振り返るとこんな感じ。

何とか一番上に到着。
よ、よ、余裕やったな。(苦笑)
まぁ、本社の京都愛宕神社までの道のりと比べると楽勝です。
あそこは二度と行きたくないと思うほどだから。
一番上から撮影。
さすがに高さを感じます。
帰りの下りは怖そうですね。(^^;
【二之鳥居】

神仏習合の江戸時代にはここに仁王門があったそうです。
【神門】


【拝殿】

関東大震災と第二次世界大戦で灰燼となり、
現在の社殿は昭和33年(1958)に再建されたもの。
【本殿】

【招き石】


なんか犬のように見えなくもない。
【鳥居】

【太郎坊社・福寿稲荷社・大黒天社】

【狛狐】


かなり風化してます。
【神池】


鯉にエサやり出来ますよ。
【黄金鳥居】

【弁財天社】

【地蔵菩薩】

境内で見れる唯一の神仏習合の名残り。
【殉皇十二烈士女之碑】

先の大戦終戦時に尊攘義軍10人が手榴弾で自決、
夫人2人が後追い自殺。
壮絶な人生ですね。
今じゃ考えられない。
その12人の忠霊芳魂を弔う為の石碑です。
【御朱印】
もはや出世は望んでいないけど、
家康公の命により創建された由緒ある神社だし、
一度は参拝しておかないとね。
ちなみに神社が鎮座するのは東京23区で一番高い
標高23メートルの愛宕山です。
23メートルなんて山じゃない感覚。(笑)
東京23区って坂はやたらと多いけど、
関東平野っていうだけあって山が無いんですね。
所在地:東京都港区愛宕1-5-3
御祭神:火産霊命
配祀:罔象女命、日本武尊、大山祇命、将軍地蔵尊・普賢大菩薩
創建:慶長8年(1603)
社格:村社
【由緒】
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり、
江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。
幕府の崇敬篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、
祭礼等でもその都度下附金の拝受を得ておりました。
また徳川家康公の御持仏で行基作の勝軍地蔵菩薩も祀られております。
寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が、
騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上り、お社に国家安寧の祈願をし、
その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から、
日本一の馬術の名人として名を馳せ、出世の石段の名も全国に広まりました。
万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、
桜田門へ出向き大老井伊直弼を討ち果たした桜田門外の変の集合場所でもありました。
海抜26メートルは都内随一の高さを誇り、
桜と見晴らしの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を残しています。
明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、
江戸城無血開城へと導きました。
【社号石標】

【鳥居】

【狛犬】


青銅製。
これは作品として見ればかなりデキの良い狛犬です。
【出世の石段】

英語だとSUCCESS STEPSというらしい。(笑)


なかなかの急角度の石段。
これはさすがに馬に乗って登るなんて無理でしょ。
曲垣平九郎盛澄が登った時はもっと緩い石段だと思うのが普通ですね。
でも、調べてみると明治、大正、昭和に、
石川清馬、岩木利夫、渡辺隆馬が成功しているとか。
特に昭和にスタントマンの渡辺隆馬が、
プラタモリで実際に成功しているのを放送していました。
興味がある方は検索かけてください。
曲垣平九郎盛澄が登ったのも恐らく間違いないんでしょうね。
疑って正直すまんかった。

頑張って登りまっしょい。
ハァハァ・・・
さすがに運動不足のオッサンには堪えるわ。

途中で振り返るとこんな感じ。

何とか一番上に到着。
よ、よ、余裕やったな。(苦笑)
まぁ、本社の京都愛宕神社までの道のりと比べると楽勝です。
あそこは二度と行きたくないと思うほどだから。
一番上から撮影。
さすがに高さを感じます。
帰りの下りは怖そうですね。(^^;
【二之鳥居】

神仏習合の江戸時代にはここに仁王門があったそうです。
【神門】


【拝殿】

関東大震災と第二次世界大戦で灰燼となり、
現在の社殿は昭和33年(1958)に再建されたもの。
【本殿】

【招き石】


なんか犬のように見えなくもない。
【鳥居】

【太郎坊社・福寿稲荷社・大黒天社】

【狛狐】


かなり風化してます。
【神池】


鯉にエサやり出来ますよ。
【黄金鳥居】

【弁財天社】

【地蔵菩薩】

境内で見れる唯一の神仏習合の名残り。
【殉皇十二烈士女之碑】

先の大戦終戦時に尊攘義軍10人が手榴弾で自決、
夫人2人が後追い自殺。
壮絶な人生ですね。
今じゃ考えられない。
その12人の忠霊芳魂を弔う為の石碑です。
【御朱印】
