先ほど参拝した瑞峯院の次はお隣の興臨院。
能登の戦国武将畠山義総が開基として創建された塔頭寺院で、
畠山家が衰退した後はあの前田利家が再興したそうで、
前田家の菩提寺でもあります。
こういうビッグネームが出てくるのが京都の凄さですね。
所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町80
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:大永年間(1521-1528)
開山:仏智大通禅師
開基:畠山義総
【縁起】
大永年間(1521-1528)に能登国の守護大名・畠山義総が、
大徳寺86世の仏智大通禅師を開山として建立。
義総の法名をとって寺名を興臨院とした。
以来能登畠山氏の菩提寺となる。
創建年次については天文2年(1533)ともいう。
天文年間(1532-1555年に本堂が焼失、再建。
その後、能登畠山氏は没落、畠山氏の代わりに前田利家により、
天正9年(1581)に改修が行われ、以後は前田氏の菩提寺となった。
【畠山義総】
戦国時代能登守護大名。
戒名興臨院殿伝翁徳胤大禅定門。
【山門】
重要文化財。
【参道】
【唐門】
重要文化財。
こちらが拝観入口です。
【前庭】
【花頭窓】
【方丈】
重要文化財。
【方丈庭園】
やはり雪の時はひと味もふた味も違う。
普段はそんなに庭園が好きでは無い私でもめっちゃイイと思う。
【方丈北庭】
こちらは紅葉の時がお勧めです。
【琴心塔】
【鎮守社】
【蹲踞】
茶室の涵虚亭の前のお庭はTHE京都といった風情が素晴らしい。
このさりげなさがオシャレ。
マジか?アライグマラスカルが出るとは驚き。
【涵虚亭】
ここまでは撮影はOKで最奥の茶室は撮影不可でした。
この茶室は山口玄洞という実業家の寄進によるもの。
【山口玄洞】
文久3年(1863)に尾道に生まれ、大阪で洋反物の商売で財をなし、
高額納税者の互選で決まる貴族院議員まで上り詰めた人物。
その財を多くの慈善事業、寺社に多額の寄付をし、
寄付金王とまで呼ばれた。
主な寄付先は早稲田大学基本金、慶應義塾医科学科設立資金、延暦寺横川多宝塔、
延暦寺阿弥陀堂、神護寺金堂・多宝塔新築、醍醐寺大伝法院本堂等。
その総額は700~800万円にものぼり、
当時の1円は現在の約4000円とされていることから、
現在の貨幣に換算するととんでもない金額になりますね。
玄洞のこうした常軌を逸した寄付をする精神的背景には、
碧巌録にある「無功徳の精神」があったとも言われる。
世間では富豪の道楽と見る向きも少なくなかったが、
玄洞はこれを聞くと「人は脂汗をしぼって資産を作ったが、
自分は血の汗をしぼったのであるから、よもや道楽や名利のために寄附することはできない。
ただ、信仰の道に入って、寺院の前途を考えるとき、やむにやまれぬ気持ちから寄進するのだ」
と語ったという。
この人物は初めて知りました。
彼のおかげで多くの寺社の存続が続き、
素晴らしい建築物が見れる。
また医学の発展にも貢献された。
これはお墓参りしてお礼をしなければなりませんね。
お墓は大徳寺塔頭龍翔寺と広島尾道の西国寺に分骨埋葬されているそうです。
残念ながら龍翔寺は非公開寺院なのでお墓参り出来ないのが残念。
尾道の西国寺は以前参拝したけど墓地には寄って無かったからなぁ。
また尾道に行きたい。
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/b0b3447d23595bc474bf0fecc711204b
これにて興臨院の参拝終了。
御朱印は書き置きがありました。
能登の戦国武将畠山義総が開基として創建された塔頭寺院で、
畠山家が衰退した後はあの前田利家が再興したそうで、
前田家の菩提寺でもあります。
こういうビッグネームが出てくるのが京都の凄さですね。
所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町80
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:大永年間(1521-1528)
開山:仏智大通禅師
開基:畠山義総
【縁起】
大永年間(1521-1528)に能登国の守護大名・畠山義総が、
大徳寺86世の仏智大通禅師を開山として建立。
義総の法名をとって寺名を興臨院とした。
以来能登畠山氏の菩提寺となる。
創建年次については天文2年(1533)ともいう。
天文年間(1532-1555年に本堂が焼失、再建。
その後、能登畠山氏は没落、畠山氏の代わりに前田利家により、
天正9年(1581)に改修が行われ、以後は前田氏の菩提寺となった。
【畠山義総】
戦国時代能登守護大名。
戒名興臨院殿伝翁徳胤大禅定門。
【山門】
重要文化財。
【参道】
【唐門】
重要文化財。
こちらが拝観入口です。
【前庭】
【花頭窓】
【方丈】
重要文化財。
【方丈庭園】
やはり雪の時はひと味もふた味も違う。
普段はそんなに庭園が好きでは無い私でもめっちゃイイと思う。
【方丈北庭】
こちらは紅葉の時がお勧めです。
【琴心塔】
【鎮守社】
【蹲踞】
茶室の涵虚亭の前のお庭はTHE京都といった風情が素晴らしい。
このさりげなさがオシャレ。
マジか?アライグマラスカルが出るとは驚き。
【涵虚亭】
ここまでは撮影はOKで最奥の茶室は撮影不可でした。
この茶室は山口玄洞という実業家の寄進によるもの。
【山口玄洞】
文久3年(1863)に尾道に生まれ、大阪で洋反物の商売で財をなし、
高額納税者の互選で決まる貴族院議員まで上り詰めた人物。
その財を多くの慈善事業、寺社に多額の寄付をし、
寄付金王とまで呼ばれた。
主な寄付先は早稲田大学基本金、慶應義塾医科学科設立資金、延暦寺横川多宝塔、
延暦寺阿弥陀堂、神護寺金堂・多宝塔新築、醍醐寺大伝法院本堂等。
その総額は700~800万円にものぼり、
当時の1円は現在の約4000円とされていることから、
現在の貨幣に換算するととんでもない金額になりますね。
玄洞のこうした常軌を逸した寄付をする精神的背景には、
碧巌録にある「無功徳の精神」があったとも言われる。
世間では富豪の道楽と見る向きも少なくなかったが、
玄洞はこれを聞くと「人は脂汗をしぼって資産を作ったが、
自分は血の汗をしぼったのであるから、よもや道楽や名利のために寄附することはできない。
ただ、信仰の道に入って、寺院の前途を考えるとき、やむにやまれぬ気持ちから寄進するのだ」
と語ったという。
この人物は初めて知りました。
彼のおかげで多くの寺社の存続が続き、
素晴らしい建築物が見れる。
また医学の発展にも貢献された。
これはお墓参りしてお礼をしなければなりませんね。
お墓は大徳寺塔頭龍翔寺と広島尾道の西国寺に分骨埋葬されているそうです。
残念ながら龍翔寺は非公開寺院なのでお墓参り出来ないのが残念。
尾道の西国寺は以前参拝したけど墓地には寄って無かったからなぁ。
また尾道に行きたい。
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/b0b3447d23595bc474bf0fecc711204b
これにて興臨院の参拝終了。
御朱印は書き置きがありました。