Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

大徳寺塔頭 黄梅院(2022年1月22日参拝)

2022年05月16日 | 仏閣
続いて庭園が見事な黄梅院へ。

お庭がそんなに好きでは無い私ですが、
が醍醐寺三宝院と仁和寺御所庭園と共にお気に入りの庭園です。

その庭園に雪が残っているとあっては行かずにはいられない。
にも関わらず私が参拝した時はほとんど貸し切り状態。

ありがたいと思うと同時に勿体ないという気持ちを持った。
京都って冬は寒いイメージがありますが、
雪が積もる程降るなんて滅多にないですからね。

金閣寺ばっかりに行ってる場合じゃない。(苦笑)


<2020年9月20日参拝>
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/f3d9c428630c9ea26539afd7b9460fc1
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/04fdf565f6772f9970d2d9a052e8b593
https://blog.goo.ne.jp/051006250510/e/a024f1b03057912e25c40ee5b5b6706f


所在地:京都府京都市北区紫野大徳寺町83-1
宗派:臨済宗大徳寺派
御本尊:釈迦如来
創建:永禄5年(1562)
開山:春林宗俶
開基:織田信長


【縁起】
臨済宗大徳寺派大本山大徳寺の塔頭寺院。
永禄5年(1562)当時28歳の織田信長が初めて上洛した際に、
父・信秀の追善菩提の為に小庵「黄梅庵」を建立したことに始まります。

本能寺の変によって信長が急逝すると、羽柴秀吉がこれを徐々に増築し、
天正17年(1589)に黄梅院と改めました。

天正年間に建立した本堂・唐門・庫裏が国指定重要文化財されている。

毛利元就の三男で豊臣秀吉政権の五大老をも務めた小早川隆景の寄進による、
禅宗寺院において現存最古の庫裡や、加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとされる釣鐘、
また狩野永徳や長谷川等伯と並ぶ桃山時代の日本画家、雲谷等顔の障壁画を所有。

毛利家、織田家の墓所の墓所であり、小早川隆景、蒲生氏郷等の墓塔がある。

庫裡、鐘楼、客殿などは小早川隆景が寄進したもので、
鐘楼に使用されている釣鐘は加藤清正が献上したもの。

秀吉の軍旗瓢箪を象った空池を持つ直中庭を千利休が作庭するなど、
桃山時代の戦国大名、文化人と非常に縁の深い寺院です。


【表門】



【石柱】



【前庭】




この庭ですら素晴らしい。


【鐘楼堂】



【庫裏】



【門】


拝観料支払い境内へ。

通常の春秋の特別公開の時は撮影は前庭のみなのですが、
黄梅院独自の公開の時は嬉しいことに撮影OKです。


【境内】




いい感じに雪が残ってます。
寒さなんか気になりませんよ。


【向春庵】



【黒門】



【渡り廊下】



【直中庭】





【一枝庵】


茶室。

内部の模様は施工業者がアップされています。
https://kyoto-yamamotokogyo.com/works/isshian/


【自休軒】





【直中庭】



【西庭】



【自休軒】



【直中庭】






ここから見る庭園が好きなんですよね。
雪の庭園はまた格別です。


【手水鉢】



【破頭庭】







【本堂】




お参り。


【室中の間】


奥の仏壇には信長公、織田信長公の父信秀公、豊臣秀吉の母・天瑞寺殿、秀吉公、高台寺殿、
毛利元就夫妻、輝元公、小早川隆景公、毛利家一門、信長公娘冬姫婿蒲生氏御公、等々祠壷されている。


【閑坐庭】












閑坐庭の白川砂は本堂北裏の作仏庭から、
本堂前の破頭庭に向かう水の流れを表現し、
途中の石は小舟に見立てているそうです。

大きな石を見てると小舟というより大きな船に見えますね。(笑)

余談ですが渋谷のセルリアンタワー東急ホテルに、
同じ名前の閑坐庭の日本庭園があります。

https://www.homify.jp/projects/56865


【作仏庭】







【書院の間】





【庫裏】


【東禅軒】


茶室。
たまにお薄がいただける茶会があります。


【本堂前庭園】





【鎮守社】



【直中庭】




これにて黄梅院の参拝修了。

もう二度と雪の庭園を見ることが出来ないかも知れないので、
今日参拝出来て良かったです。