Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

妙心寺塔頭 壽聖院(2023年2月8日参拝)

2023年05月07日 | 仏閣


本日のメインである壽聖院の拝観時間がようやくきた。

ここは私も知らなかったぐらい存在感の薄い塔頭です。
それもそのはず、京の冬の旅では初公開、
檀家さんや座禅体験以外は入れない塔頭寺院です。

この塔頭は石田三成公が父を弔う為に建立されたもの。
しかも狩野永徳の設計と伝わる庭園もあるとか。

何これ?凄すぎへんか?

京都の寺院は調べれば調べるほど、
こんな縁起や歴史が出てくるんですけど。

京都恐るべし。


所在地:京都府京都市右京区花園妙心寺町44
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:釈迦如来
創建:慶長4年(1599)
開基:石田三成公
開山:伯蒲禅師


【縁起】
当院は慶長4年(1599)に石田三成がその父である正継公の菩提寺として、
当時学徳高き伯蒲禅師を院主に迎え創建したものです。

創建当時の壽聖院は今日の敷地の四倍を有し、
周囲には堀と土塀をめぐらし本堂は壮大を究めました。

客殿の軒先は金箔瓦で葺きあげ、
さながら石田家京都屋敷の観を呈するものであったと伝えられています。

しかし慶長5年(1600)関ヶ原の戦いにて三成公率いる西軍は敗れてしまい、
当院も縮小を余儀なくされます。

その後、三成の長男の石田重家は出家し寿聖院開山の伯蒲禅師に弟子入り、
寿聖院の三代目の住職となり往時の1/4程度に縮小はしたものの寿聖院を再建。

壽聖院の北門であった門は妙心寺全体の北門として現在は利用され、
当時の勝手口が現在壽聖院の正門として残るのみです。

一度全て取り壊された建物はしばらくして建て直されました。
また、本堂の前に広がる庭園は絵師狩野永徳が設計したと伝わり、
その景観は桃山時代より変わっておりません。

庭園にある瓢箪池は三成公の指示により、
主君の豊臣秀吉公の戦勝の瓢箪印をモチーフに造られています。


【山門】


こじんまりとした山門です。
そりゃ以前の山門は妙心寺の北門になって、
ここの山門は当時の勝手口なんだから。

10時になったのでようやく拝観開始。


【石柱】



【前庭・庫裏】





【池泉式庭園】










狩野永徳設計の庭園ですが、
庭園設計については天才ではなかったようです。(^^;


【書院】



【襖絵】


書院の中は撮影禁止でしたので、
画像はネットで拾ったものです。

村林由貴さんという作家の襖絵。

退蔵院方丈襖絵プロジェクトとして襖絵作成のアトリエとなったのが、
ここ壽聖院だったそうです。


【肖像画】


宗亨禅師。
石田三成公の嫡男石田重家が関ヶ原の合戦後、
密かに大坂城を脱出し壽聖院に逃れ出家。
まだ十代前半だったことにより徳川家康公により助命された。




石田政継。
石田三成公の父。


【石田一族墓所】






墓所の拝観が出来ました。
これは嬉しかったですね。


【御朱印】




書き置きの御朱印5種と御朱印帳がありました。




全部いただくのは節操がないので、
今回はこちらをいただきました。