Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてⅢ

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印が趣味です。
生きた証として好き勝手に書いております。(笑)

五百羅漢寺(2018年8月4日参拝)

2018年08月24日 | 仏閣
目黒不動の次は近くにある五百羅漢寺へ。

五百羅漢といえば彦根市と尾道市の天寧寺、
和歌山市の五百羅漢寺、加西市の羅漢寺等があり参拝済み。

しかし東京に五百羅漢寺があるとは知らなかったので、
どんな羅漢さんに会えるかとても楽しみです。


所在地:東京都目黒区下目黒3-20-11
宗派:単立
御本尊:釈迦牟尼仏
創建:元禄8年(1695)
開基:松雲元慶
開山:鉄眼道光禅師



【縁起】
開基松雲元慶は京都生まれの江戸時代前期の仏師で、
寛文9年(1669)に難波瑞竜寺の鉄眼道光の元で出家。

諸国を行脚中、豊前国の羅漢寺で五百羅漢像を礼拝して、
その造立を発願し江戸に下る。

元禄5年(1692)蔵前の16人の富豪、松雲の彫像の為、
浅草寺寿命院境内に仮屋を建立。

松雲元慶に対し桂昌院は公金を下賜し10尊を彫営する。

元禄8年(1695)、本所五の橋の南に土地を賜わり、
黄檗高泉を迎えて点眼供養し天恩山羅漢寺と号し黄檗山末となる。

享保19年(1734)徳川吉宗公は寺地狭隘なるを見、
土地を下賜する旨の言あり、寺地6000坪となる。

元文3年(1738)吉宗公が来駕し禅堂で坐禅を見学、
三年後には百観音堂を建立した。

安政2年(1855)江戸大地震では本堂、三匝堂大破、
東西羅漢堂、天王殿倒壊する等、甚大なる被害をこうむる。

明治政府による廃仏毀釈により三匝堂取り潰され、
百観音像と共に売却される。

明治初年、内務省に届けられた仏像460体が、
明治41年(1908)には370体程度しか残っていなかったという。

大正6年(1917)の大暴風雨、大将12年(1923)関東大震災で羅漢寺大破。

昭和12年(1937)内閣総理大臣、陸軍大将、
台湾総督を歴任した桂太郎の愛妾であった安藤妙照尼が、
羅漢寺の凋落を憂い、翌年住職となる。

昭和23年(1948)宗羅漢寺派として独立分派。

多くの苦難を乗り越え、昭和56年(1981)現在のお堂が完成し、
名実共に目黒のらかんさんとして蘇り現在に至る。



【羅漢会館】


うお!

もっと渋いお寺かと想像していたが、
予想外の近代的なお寺やん。

というか、新興宗教の雰囲気なんですが。(^^;

しかし葵の御紋が見えることから、
徳川家所縁のお寺というのも予想外でした。


【寺頭】


山門は無いようです。


【不退法尊者】


どんな苦難にも退かず、耐え忍ぶのが不退法尊者。
羅漢さんの一人です。

苦しさに負けず いつも心あたたかく 最善を尽くす、
と台座に刻まれていた。


【拝観入口】


拝観料300円を階段を登った受付で支払い参拝開始。

ちなみに正月三が日の期間は無料らしい。


【羅漢堂】


本堂に入りきらない146体もの羅漢さんが3段に安置されていましたが、
彦根市の天寧寺のように天井まで羅漢さんが配置されていないので、
迫力不足は否めない。

ただ、一体一体の羅漢像はなかなか良く出来たものでしたね。

残念ながら撮影不可でした。


【子育観音】



【再起地蔵尊】



【本堂】


法要が終わったばかりの本堂に上がらせていただきましたが、
堂内の中心に鎮座する御本尊と左右の羅漢さん達に圧倒されました。

こちらは必見であり拝み甲斐がありますね。

残念ながら撮影不可でした。


【法堂】




中に入ると五百羅漢寺の歴史史料が展示されている聖宝殿や、
葬儀会場等がありました。

地下に下りてみると仏壇のような小さなお墓が一杯あって、
速攻で退散した。(^^;


【御朱印】


左の御朱印は戌年に因んで平成30年限定です。


御朱印は拝観受付でいただけますが、
参拝の証しで参拝もしないでいただくのはどうか、
云々の注意書きが貼ってあった。

ごもっともだと思う。

だけど入山料を支払わなければ本堂も参拝出来ない。

御朱印が欲しかったら入山料支払ってね、
と暗に示しているようであった。(批判では無い)


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