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大阪真田山陸軍墓地:保存ではなく墓じまいをし故郷の墓で、誤った戦争の加害者であり被害者として哀悼する事こそあるべき姿

2022-11-20 18:07:31 | 戦争遺跡

 大阪真田山陸軍墓地の墓石の補強工事を始めた。また、これまで保存活動をしてきた人々がいる。しかしあえて言う。この際、陸軍墓地は保存をするのではなく、墓じまいをし、葬られた方それぞれに存在するであろう故郷の墓で親族縁者により弔われるように計らう事こそ現行憲法に基づく政府のあるべき姿である。

 なぜなら、陸軍墓地が整備された経緯や敗戦時における神聖天皇主権大日本帝国政府、特に日本陸軍の対応、そして、日本国成立後の新政府の対応を知れば、上記のように考えても微塵の不思議もないであろうし、誰からも批判される理由もないはずである。

 陸軍墓地(海軍省が維持管理した海軍墓地も各地7カ所に存在)とは敗戦まで陸軍の聖地として陸軍が厳重に維持管理し、清掃も行き届いた、一般人には気軽に立ち入る事を許さない墓地の事であった。陸軍が1871年に全国で最初に設置したものが大阪真田山陸軍墓地であり、その後、全国各地に造られ、敗戦時には80カ所以上(現在44カ所)に存在した。

 ちなみに、大阪真田山陸軍墓地に埋葬されているとされるのは、陸軍創設期に亡くなった兵士をはじめ、西南戦争日清・日露戦争、第1次世界大戦、アジア太平洋戦争における軍人・軍属の戦死者、病死者。5千超の墓石、8千超の方を葬る納骨堂があり、規模は全国最大である。

 しかし敗戦になると、帝国政府陸軍省廃止(1945年12月1日)されるとともに、大日本帝国政府も陸軍墓地の管理を拒否した。そのため、墓地を管理する者がいなくなり、荒れ果ててしまった。さらに、陸軍省が、墓地に関する史料を廃棄し、墓地に関する引き継ぎもしなかったり、敗戦後の新政府も故意に墓地に関する調査をしなかったため、陸軍墓地に関する詳細は一切不明となった。しかし、葬られた方々について今日詳細を知る事ができるのは、NPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の方々の調査によるものである。

 今日、真田山陸軍墓地を維持管理しているのは大阪市である。それは、1946年6月第1次吉田政権が、全国関係自治体大蔵次官・内務次官通知「旧軍用墓地の処理に関する件」を出し、「旧陸軍墓地は都道府県又は地元市町村に無償貸付するものとする」「維持管理、祭祀は地方の実情に応じ、市町村、宗教団体、遺族会等において行うものとする」として一方的に押し付けたためであり、そのため他の自治体同様、大阪市も政府と国有財産無償貸付契約(真田山陸軍墓地の財産所管部署は財務省近畿財務局である)を締結する事となったのである。この事は政府が表立って関わると都合の悪い事を地方自治体に押し付けて政府の目的(戦争の正当化、戦争責任の放棄とともに、天皇に忠誠を尽くし戦って命を落とした人々を護国の神兵として讃え顕彰し、後に続く精神の崇高さをすり込む場として存続させる事。これは靖国神社の果たす役割そのものである)を達成するという狡猾な手法に基づくものだという事である。

 真田山陸軍墓地の実際の維持管理、祭祀について大阪市は1947年、団体を設立、現在は公益財団法人「真田山陸軍墓地維持会」と、「旧真田山陸軍墓地に関する確認書」を交わし、除草・清掃などの環境維持や、墓碑の修復事業や祭祀(慰霊祭)、墓地見学者に対する案内・普及・啓発活動、次の世代に引き継ぐための活動などを委託している。

 そして、2018年11月には、大阪市長であった吉村洋文氏は、安倍首相に対し「旧真田山陸軍墓地の管理・維持保全」に関する要望書を出している。そこには、「本市の無償貸付契約による維持管理で対処する事が難しく、財産所有者である国による抜本的な対策が必要」「もともと国により創設された、国民の生命・財産を守り、その使命を果たすために殉じた方が眠る墓地である事から、当墓地の管理・維持保全は、国の責務であると考えております」として3点を要望している。しかし、ここには「維新の会」の誤った戦争観が明確にうかがえるとともに、憲法の政教分離原則に対する認識の欠如がみられる。それは、

1、行政目的の確立、国の責務の明確化

 国民の生命・財産を守り、その使命を果たすために殉じた方を慰霊する施設であると明確に位置付け、さらに、戦争の歴史を後世に伝えるための史跡として文化財指定を行うなど、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」と同様に、行政目的と所管省庁を明確にしたうえで、その管理・維持保全の責務が国にある事を明確にする事

2、旧真田山陸軍墓地の計画的な維持保全の実施

 国は、国有財産の管理責任者として、……将来にわたって旧真田山陸軍墓地を適切に管理・維持保全していくために、国の事業として、維持保全計画を策定し計画的に維持保全を実施する事。

3、国・本市・民間団体との役割分担及び財政支援

 ……墓地の管理・維持保全の責務は国にある事を前提として、当該管理・維持保全などに係る必要な部分について、国・本市・環境維持活動を行っている団体それぞれの役割分担を明確にするとともに、国は、本市や民間団体が担う業務に対して財政支援を行う事。       

以上のような内容である。

 現在、この要望書に基づいて、墓地を所管する近畿財務局公費(税金)を使い、公益財団法人「元興寺文化財研究所」と契約を結び墓石の補強工事を進めている。これまで納骨堂の屋根瓦の補修などを実施してきたようであるが、墓石の保全は初めてである。そして、財務局は「今後も関係団体と協議の上、計画的に修繕を進めていく」という。

 しかし、安倍自公政権、財務省近畿財務局のこの動きは、全国に新たに「靖国神社」の支社を造るような敗戦まで国教とされた国家神道のような宗教活動に加担する行為であって、政教分離を原則とする現行憲法に違反する政策であり、主権者国民は看過してはいけない。

※憲法第89条「公の財産の支出又は利用の制限」には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と定めている。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑では遺骨は天皇下賜の骨壺に入れられており、兵士は死んでも天皇制から逃れられない事を象徴している。

昭和天皇記念館の内容は極めて政治的で思想的に偏向している。昭和天皇は平和のために尽した人物であるとし、戦争責任を免罪するためのビデオや展示を行っている

※靖国神社は、戦死者を顕彰し、護国の神として祀るところである。戦死者を顕彰するのは、戦死者を次の戦争に利用するためである。顕彰できるのは、正しい戦争で亡くなった人だけで、誤った戦争で死んだ者を讃えたり、神として祀ったりはしない。靖国神社は明治以来の日本の対外戦争はすべて正しい神聖な戦争であるとしている。1875年の江華島事件を起こした時に、朝鮮側の守備兵を35人殺害した。日本軍兵士は1人だけ死んだ。その兵士は靖国神社に祀られている。

(2020年2月22日投稿)

 

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赤紙(召集令状)作成の恐るべき内実

2022-09-28 07:42:19 | 戦争遺跡

 赤紙と呼ばれた「召集令状」はどのようにして作成され届けられていたのか。第3師団連隊区司令部勤務であった陸軍中佐・神戸達雄『「兵隊製造人」の手記』に興味深い事であるとともに、強く憤懣を覚える内実を書き残している。それによると、

「私が、今ここで、5千人や1万人の召集令状誰にしようと、私の意のままに出来たのだ。といっても、本気になって耳を傾けるものはあるまい。しかし事実、やればやれた部署に戦争中私は就いていた。今『南方で飛行場を建設するため3千人の要員がほしい』と仮定する。私たちの受ける命令は『昭和2年から5年までの徴収年次、未教育二国(第二国民兵)、3千3百人、3月1日午前10時××海兵団』とこれだけである(3百人余分の召集をするのは、事故病気で即日帰郷組を加算してある。この命令に従い、私たちは××海兵団、3月1日午前10時、とだけゴム印を押した、3千3百枚の無記名の赤紙を用意する。各地方別に分厚い1冊にとじられた兵籍名簿(私たちはこれを『軍名』といった)に、その赤紙を適宜に差し込む。それをあたかも仕事の早い事を競うがごとくに、処置したものだった。そしてその結果、赤紙の挟み方に精疎ができると、混んだ地方から抜き取ってまばらの地方へ廻した。平均をとるため私たちが無造作に行うこの操作で、抜かれた人は運を拓いたが、肩替わりされた者こそ不運だった。やがて私たちの手によって名を記入された礼状は、5時間以内には、間違いなく本人の手に届いていた」というものだったのである。

(2019年2月27日投稿)

 

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中国ハルビンの東北烈士記念館:メディアは空襲被害とともに侵略加害の事実も伝えよ

2022-03-15 21:41:51 | 戦争遺跡

※下記は2020年3月14日投稿のものに加筆修正したものです。

 3月10日の東京大空襲や13日の大阪大空襲の事をテレビや新聞が取り上げている。戦後の政府は軍人や軍属に対しては補償をしてきたが、空襲被害を受けた一般人は対象外としてきた事や、政府に謝罪と賠償を求めても最高裁は認めず敗訴し、政府が放置している事も伝えている。しかし、被害者で生存者の方々の訴えの中には、「若い世代に空襲の惨さを知らせられるならうれしい」とか、「戦争が起こればどんな事になるか伝えたい」など、被害についての訴えを目立たせているものが多い。これでは十分ではないと思う。加害侵略の事実も関連させて伝え、国民のアジア太平洋戦争の実相の理解に尽力するために努力すべきである。思考停止し毎年行事的に例年通りの視点で伝えるだけでは害あって益なしである。また、記事の書き方によっては誤解を生むおそれを感じるものも目立っている。

 20年程前に中国東北部(神聖天皇主権大日本帝国時代には満州国)を訪れた事がある。黒竜江省ハルビンにも立ち寄った。その一曼街三号には「東北烈士記念館」がある。外観からして立派なギリシャ神殿風の建物で、日本の関東軍が占領後、関東軍特務機関の本拠とし、多数の反満抗日ゲリラの戦士たちを連行し、残虐な拷問で虐殺したところである。その烈士の中の一人、趙一曼を紹介したい。

 1905年、彼女は四川省の地主の娘として生まれた。1931年、関東軍の謀略による9・18事変(満州事変)の後、彼女は東北入りし、反満抗日ゲリラ部隊に加わった。そしてすぐ、東北人民革命軍(後の東北抗日連軍)第三軍第二師団の政治委員になった。そして戦闘中、重症の身で捕えられ、恐ろしい拷問を受けたが、一言も口を割る事なく病院に移された。しかし、入院中に看護婦を味方に付け脱走した。またまた捕えられ、1936年8月2日、ついに銃殺刑にされた女性である。その時の遺書を紹介しよう。

「寧ちゃんへ。

お母さんは、あなたの教育上のお世話ができないのを、とても心苦しく思います。お母さんはね、命を賭けて反満抗日の闘いに力を尽してきましたが、悲しい事にまもなく処刑されようとしています。お母さんは、二度と、あなたに会う事はできません。私のいとしい寧ちゃん!すくすくと、成長してくださいね。私はあの世から、両手を合わせてお祈りしています。私の、何よりも愛する息子よ。お母さんは、たくさんの言葉で、あなたを教える事はできなかったけれど、私の生きてきた道筋そのものが、あなたへのささやかな贈り物なのですよ。そして、大きくなってからも、母親が祖国のために命を捧げた事を、忘れないでちょうだいね。」

という内容である。

 銃後の臣民(国民)は空襲被害を受けたが、神聖天皇主権大日本帝国政府の為政者職業軍人たちの軍事侵略政策によって臣民(国民)は、徴兵兵士として加害者でもあり、空襲被害を受けた銃後の国民がその加害を支えていた事を頭に刻み込んでおかなければ、物事を正しく思考・判断できない。また、爆弾や焼夷弾の集中投下(空襲)で市民もろとも焼き殺す「皆殺し戦争」は、総力戦といわれた第2次世界大戦から生まれた戦術で、その最初ナチス・ドイツのヒトラーによる1937年4月のゲルニカ爆撃であり、世界中の非難を浴びている事。そして、それを真似たのが大日本帝国政府で、1937年7月の天津爆撃は、抗日運動の中心といわれた南開大学に集中して行ったので、国際的非難は、ゲルニカ爆撃よりもさらに高まった事。国際連盟も「世界を通じて恐怖と義憤との念を生ぜしめる行動に対しては、なんらの弁明の余地なき事と宣言し、ここに右行動を厳粛に非難す」との声明を出している事。しかし、帝国政府は1939年5月からは重慶に対してさらに大規模な無差別爆撃を実施している事。その先で米国が日本各地に対する爆撃や原子爆弾投下を行っている事を理解しておく事も、原子爆弾使用を認めるのでなく、大切な事である。また、東京大空襲や原爆投下を含む日本に対する無差別爆撃の米空軍総司令官はカーチス・ルメイ大将であったが、昭和天皇は敗戦後の1964年に彼が来日した際、最高位の「勲一等旭日大綬章」を贈っている事をどのように理解するのかという事も、日本に対する空襲とその被害を正しく判断認識するうえで重要である。

(2021年3月15日投稿)

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ホロコースト犠牲者追悼式典:リブリンとシュタインマイヤー両大統領から安倍首相が学ぶべき事

2021-09-24 21:17:18 | 戦争遺跡

『戦争を善行と考えるか、悪行と考えるかで、戦争後の対応は異なる。それは、心を痛める事なく再び行えるか、それとも二度と行わないよう教訓を学びとり、継承するかにある

 1月27日はナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人の大量虐殺)を象徴するアウシュビッツ強制収容所(ポーランド南部オシフィエンチム。最大の収容所。約110万人を虐殺)ソ連軍によって解放された日(生存者約7500人)である。国連総会では05年11月、この日を「ホロコースト・インターナショナル・メモリアルデー」と決定した。今年2020年1月23日にはイスラエル・エルサレムの「ホロコースト記念館」で、アウシュビッツ強制収容所解放75年を前に、犠牲者追悼式典が開かれた。ちなみにアンネ・フランク一家の足跡は、1944年9月3日に一家全員がアウシュビッツ強制収容所へ連行された。同年10月28日にはアンネ姉妹ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移され、両親と別離。1945年1月6日アンネの母が死亡。同年1月27日アンネの父が解放された。同年3月始めアンネの姉が死亡。その数日後アンネが死亡(15歳9カ月。連行7カ月後)した。同年4月15日英軍によってベルゲン・ベルゼン強制収容所が解放された。

 式典冒頭でイスラエル・リブリン大統領は「反ユダヤ主義や人種主義に対して、国際社会が団結して闘う事が重要だ。ホロコーストと第2次世界大戦の記憶は薄れつつある。私たちは記憶しなければいけないのだ」と訴えた。

 ドイツ・シュタインマイヤー大統領は「ユダヤ人600万人の産業的大量殺人という、人間の歴史の中で最悪の犯罪は我が国の人々によって行われた私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている。邪悪な精神は、反ユダヤ主義、人種主義、独裁主義といった新たな症状で表れている。ドイツ人は歴史から学んだと言えたら良かったが、憎悪が広がる中、そう語る事はできない」と述べた。

 ドイツと三国同盟という軍事同盟を結んでアジア侵略戦争という悪業に邁進した神聖天皇主権大日本帝国負の遺産を、戦後の自民党政権はもちろん今日の安倍自公政権も引き受けて当然であろう。そう考えれば安倍首相もこの式典に参加し自己の考えを述べるべきだと思うがどうであろう。この点について今日までの日本のすべてのマス・メディアはまったく触れた事がないがこのような姿勢は如何なものであろうか。

 1月27日のアウシュビッツ強制収容所解放75年式典では、収容所生還者、ポーランドのマリアン・トゥルスキ氏が語った。「最も経験を伝えたいのは若者たちだ。しかし、彼らが自分の苦労話を聞くのはつまらないと思うのは理解できる。私たちが1930年代のベルリンにいると想像してみよう。ある日『このベンチにユダヤ人は座るな』と言われる。『このプールに入るな』『この声楽隊には入るな』『ユダヤ人には17時以降しかパンを売らない』。差別は徐々にエスカレートする。だが、疎外される事に当のユダヤ人も、周りの人も、少しずつ慣れてしまう。気がつくと隔離され、収容所ができていた。」「アウシュビッツは急に空から降って来たものではない。憲法を守り、人権を守り、少数者の権利を守れば、悪に打ち勝てる。民主主義は少数者の権利を保護する事にかかっている。権力を握っている政府の行動に無関心になってはいけない。無関心になればアウシュビッツは空から降って来る」と。

 また、別の収容所生還者レッサー氏は語った。「自分と異なる人も、同じ人間だ。憎しみを止め、理解し、一緒に生きていく。それを若い人たちに教えていかなければならない」と。

 主権者国民の権利は、権力を握る安倍自公政権の行動に無関心になれば奪い取られていくものだ、という意味として理解しよう。諦めるのはまだ早い。権利を守るための闘い、民主主義を守るための闘い、共存共生を守るための闘いはこれからでもまだ間に合う。

(2020年1月31日投稿)

 

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GLOBE特集『ナショナリズム』「ナチズムの解毒今も、ドイツの試練 模索続く、日本のナショナリズム」が見えていない事

2020-04-06 19:38:02 | 戦争遺跡

 朝日新聞GLOBE4/5№228「ナショナリズム私たちを映す鏡」は、大見出し「ナチズムの『解毒』今も、ドイツの試練」と、小見出し「模索続く、日本のナショナリズム」という記事を掲載していた。フランクフルト郊外にある公立ハインリヒハイネ校歴史の授業を担当するローラ・スキピス先生(30)の「歴史を孤立させず、自分たちの民主主義にどう結びつくかを教えたい」という言葉や、国際教科書研究所長エッカート・フクス氏(58)の「国家の歴史は自国の正当化ではなく、地域、世界の歴史に包摂されねばならない」という言葉に感動した。そして、ナチズムに対する反省から西ドイツが制定し、東西統一後のドイツにおいてもそのまま効力を有する「基本法」(憲法)は、人間の尊厳の保護を国の義務とし、独裁者への抵抗権も認めている、という事を紹介していた。しかし、この記者には見えていないようだが、主権者国民にはもっと大事な事を伝えてほしかった。それは、「基本法」に「良心的兵役拒否」の規定を条文に定めている事である。

 西ドイツは、徴兵制を復活した際に、西ドイツの憲法「基本法」に「良心的兵役拒否」を規定した。そして、統一ドイツ成立後もそのまま継承している。「何人(ドイツ国民)も、その良心に反して、武器をもってする(人殺しの)戦争の役務を強制されてはならない」というものである。今日、ドイツは徴兵制であるが、兵役拒否を認められている事で、60%以上の青年が「良心的兵役拒否」を選んでいる。ただ、兵役を拒否する場合、兵役と同期間代替勤務を課しており老人ホームの介護などの仕事をする事になっている。

 かつて三国軍事同盟を締結したドイツが、上記のような変化を遂げているにもかかわらず、敗戦後、憲法第9条を掲げてきた日本国は今日、安倍自公政府がそれを否定改悪しようとしており、政府の一方的で強引な政治姿勢によって、自衛隊の任務を、隊員にとってはこれまでとは異なる予想外な内容に変質させつつあり、それを有無を言わさず押し付けようとしているのである。

 安全保障関連法による集団的自衛権の行使違憲であるとして、現職の陸上自衛官が出動命令に従う義務はない事の確認を安倍自公政府に求めた訴訟の差し戻し審の判決を東京高裁が2020年2月13日に下したが、安保法の憲法判断を示さないという職責放棄をした上に、「今も近い将来も存立危機事態が発生する恐れがあるとは認められない。出動命令も、命令に従わずに懲戒処分を受ける事もあり得ず、訴えは不適法だ」と、司法も原告の不安に対し正面から誠意を持って答えようとせずはぐらかし棄却しているのが現状だ。

 

 

 

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