つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

「八紘一宇」刻字の塔(宮崎県宮崎市の県立平和台公園)、安倍政権は再び東京五輪聖火リレーの起点にする事は諦めたのか?

2024-03-25 07:56:04 | 戦争遺跡

河野俊嗣宮崎県知事に関する、2023年1月1日の動静について朝日新聞は、「自身のFBへの投稿2日午後6時42分)では「14時ごろ、宮崎神宮及び宮崎県護国神社初詣 夕方、倦怠感あり」としているが、宮崎県秘書広報課1日午後9時過ぎ、この日の行動を「宮崎神宮県護国神社初詣」と書いたメールを、「知事の動き」を掲載している宮崎日日新聞社に送ったが、2日午後、同社に変更を要請するメールを送ったという。同紙は要請に応じず、3日付朝刊に初詣の事も記載した。一方、県が2日午後5時過ぎに発表した河野知事の……プレスリリースには、1月1日は「公舎などで過ごす」と書かれていた」とする報道を行った。ちなみに、宮崎神宮神武天皇を祀っており、県護国神社靖国神社の支社である(2023年1月6日)。

※以下は表題に関して2021年7月25日に投稿したものであるが、河野俊嗣知事上記の記事の意味を理解するうえで役に立つと考えられるので改めて投稿しました。

 2020年東京五輪の聖火リレーについて、メディアが報道し始めた。安倍自公政権の五輪組織委員会は、開幕4カ月以上前の東日本大震災発生日の3月11日前後に始めたいようだが、1964年当時のように、「八紘一宇」刻字の塔(宮崎県宮崎市の県立平和台公園)を、再び2020年の東京五輪聖火リレーの起点の一つにする目論見は持っていないかのような内容の報道がなされているが、まだ油断はできないだろう。さて、前回の東京五輪聖火リレーに関して、以下の内容を2016年7月28日に投稿したのですが再投稿しますのでぜひ読んでください。 

 宮崎県宮崎市内の「県立平和台公園」内に、その正面に大きく目立つように「八紘一宇」という文字が刻まれた巨大な石積みの塔(37㍍)が立っている。今日では「平和の塔」と呼ばれている。

 しかし、そんな文字が刻まれた巨大な石塔がなぜ今日、県立公園に堂々と屹立しているのだろう。宮崎県はなぜそのような状態を放置させているのか。県はその意味を認識していないという事だろうか、そんな事はあり得ないだろう。であれば地方自治体の責任としてそのままの状態を放置する事は非常識であり許されるものではない。しかし、敗戦後70年を過ぎた今日も存在しているという事は、宮崎県は「確信犯と言ってよく、「意図的」に放置しているとしか考えられない。この姿勢は日本国憲法第99条が国民に対して保障する「憲法尊重擁護義務」「天皇及び摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」に違反するものであり、その「不作為」は処分に値するものである。

 「八紘一宇」という言葉の語源は、日本書紀にあり、それによると、神武天皇を初代天皇とし、神武天皇が大和橿原に都を定めた時に、「八紘を掩いて宇にせん」と抱負を述べた、と書かれている。その意味は「八方の地の果てまでを一つの家として統治支配するぞ」というもので、強い権力志向を表す言葉である。

 この日本書紀をもとにして、「八紘一宇」の造語を生み出したのは、宗教家の田中智学(1861~1939)で、それを軍部が1930年代から「天皇の威光がアジアを覆う」という趣旨で使用し始めた。そして、神聖天皇主権大日本帝国政府は1940年には、「八紘一宇」を盛り込んだ「基本国策要綱」を閣議決定したのであるが。

 その同じ年である1940年に「八紘一宇」の文字が刻まれたこの石塔が建てられているのである。その建造理由は、1940年がちょうど紀元2600年(神聖天皇主権大日本帝国政府が定めた、日本書紀に記された神武天皇即位年からの年数)にあたり宮崎県がそれを記念して、企画し建設したといわれる。また、中国への聖戦完遂(侵略戦争継続)のための国民の総動員と戦意高揚が目的であった。完成時の正式名称は「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」である。石塔はこのように「侵略戦争」に強くかかわる建造物なのである。

 この塔の基礎部分には1800個位の世界から略奪したり献納させた「」を使用した。うち約1割180個は、中国朝鮮半島からは120~130個、台湾からは41個、満州国からも。また南米や軍事同盟国ドイツからのものある。また、「八紘一宇」の塔の中には「厳室(いつむろ)」という空間をつくり、そこには世界地図を描き、「昭和天皇」の思召しが及ぶ(また、支配下にあった)地域として、朝鮮半島や台湾などを含むアジア全域樺太の南部、南米大陸などを描いているのである。

 敗戦後の連合国軍による占領支配の下では、戦争遂行や戦意高揚に関係する事物の多くが破壊されたり、地中に埋められたりなどして処分され国民の目に入らないようにされた。靖国神社の境内の事物についても同様であった(占領支配後は埋めたものを掘り返して元に戻して今の姿になった)。

 それでは、宮崎県のこの石塔については、どうなっていたのか。敗戦後、他の地域の事物と同様の対象となった。しかし、「八紘一宇」の文字が占領軍によって削除されただけで、塔自体は破壊されずにそのままの姿で残す事を認められたようだ

 しかし、「確信犯」と考えられる事が起こった。それはその後の1964年の「東京五輪」開催との関係で、1961年になると、地元の観光業者らの働きかけを受けて宮崎県は、多くの県民や労働者の反対を無視して、かつての場所に「八紘一宇」の文字を復元したのである。それが今日、目にする事ができる「八紘一宇」の文字なのである。そして、当時の知事名による由来碑には「八紘一宇が平和を祈念して刻まれた」などと書かれたのである。この言葉には、日本による侵略戦争であるという「認識」は微塵も感じられないだけでなく、「東亜永遠の平和」のための「聖戦」として「正当化」するものであり、そのためもちろん「加害者」としての「反省」「謝罪」の言葉は「かけら」さえも見られないのである。おまけに、それ以降この石塔は「由来碑」の言葉から「平和の塔」と呼ばれるようになったようである。スリカエ欺瞞も甚だしいものである

 しかし、そのような認識の下に、1964年東京五輪では、「県立平和台公園」が「聖火リレー」の起点の一つとなったのである

 その後も今日まで、そのままの姿で存在し続けているのであるが、宮崎県知事や県議会、そして宮崎県民はどんな意識をしているのであろうか。

 2015年10月、中国・南京民間抗日戦争博物館の呉先斌館長が宮崎県庁(河野俊嗣知事2011年1月21日~)に来訪し、「この塔の礎石の一部は南京産である」として返還を要求した。返還要求しているのは3個で、1個は中国の霊獣「麒麟」の絵と「南京日本居留民会」の文字が刻まれたもので、14世紀に明王朝を興した皇帝陵墓にあった可能性があり、「国宝級の文化財」ともいわれるもの。ほかの2個は、「孫文」の陵墓である「南京中山陵」の刻印があるものと「南京紫禁山麓」と刻まれたものである。

 現在、宮崎県都市計画課(河野俊嗣知事)は、「取り壊しはできない。現状のまま保存する」方針であり、返還要求には応じない姿勢を続けている。「侵略戦争について学ぶ場」とする気もなく、返還要求に応じる気もない。ここにもこの現在においても「確信犯」としての姿勢を続けている。

 それはなぜか? この石塔をそのまま残し、2020年の「東京五輪」再び「聖火リレー」の起点(県立平和台公園から1㌔のところに「神武天皇」をまつる「宮崎神宮」がある)とするためなのである。そして、「聖火リレー」の「到着点」は「聖地」と呼ばれている「国立競技場」を建て替えた「新国立競技場」という構想が練られているのである。

※「国立競技場」がどのような意図で建築されたかについては、本ブログの別稿をぜひ読んでください

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追伸:「八紘一宇」の塔礎石返還交渉、宮崎県知事の対応は信義に悖る

2024-03-25 07:49:29 | 戦争遺跡

※「八紘一宇」の塔の成り立ちや、なぜ、敗戦後のGHQによる日本軍国主義否定の支配を切り抜け、今日まで存在できたのか、については、別稿の「今時『八紘一宇』刻字の塔、再び東京五輪聖火リレーの起点に?」を読んでください。

 さてここでは、メディアが伝えなかった事、それは礎石の返還交渉において、宮崎県知事がいかに信義に悖る対応をしていたか、という事、について伝えたい。

 礎石の返還を宮崎県に要求したのは、2006年12月6日に南京市に「南京民間抗日戦争博物館」を開設した「呉先斌」さんです。

 呉氏は礎石返還を要求するため、何度も宮崎県知事に宛てて、「公開書簡」を送りました。

 その内容は、「塔に使用されている南京の『石』を返還してほしい。そして、この『石』を日本に、宮崎県に持ってきた経過、歴史事実を明らかにし、より多くの宮崎県民に対して説明していただくような教育などをしてもらいたい。私は民間の博物館を開設している一市民ですが、これは南京市民総体の思いでもあります。真摯な回答をいただける事を心から願います」というものでした。

 呉氏の再三の要求の結果、2015年10月27日に宮崎県知事は呉氏と面談する事を約束しました。

 呉氏は10月25日には宮崎県に入りました。ところが、前日26日の夜11時になって電話が入りました。それは常識では考えられない信義に悖る対応(どこからか政治的圧力がかかったのであろうが、人を馬鹿にしている態度)で、「知事は急用ができたのでお会いできません」という連絡でした。そして、知事の代わりに、県都市計画課の課長との面談、それも1時間の面談という事になってしまったのです。

 そして面談中、都市計画課課長は「この塔には軍国主義の意味合いはありません。これは『平和』の塔です。」という事をずっと言い続けたのです。

 呉氏はこれに「反論」しました。一つは、「建設が始まったのが1938年、そして終わったのが1940年、この間は日本の侵略が最も激しい時期ではないか。こうした侵略は各地の人々に悲惨な体験を与えただけでなく、日本の侵略は日本の人々にも大きな影響、被害を与えたのではないか」と。

 もう一つは、「1950年に当時日本にいた同盟軍GHQが、この塔を撤去するように命じている。それはこの塔が侵略、軍国主義の象徴だったからである。この命令に対して当時の宮崎県知事は非常に姑息な手を使った。それはこの題字にセメントを塗って字を消したのである。また、根元に置いてあった、当時ファシスト軍人の像を撤去して、塔そのものの撤去を免れたのです。そして、この塔のある場所を『平和公園』と名づけたのである。」と。

 この「反論」に対して、都市計画課課長は答える事ができなかったのです。

 都市計画課課長は、メディアの取材に、「県民が散歩や遠足などで訪れる場所で、観光地としても定着しており、取り壊しはできない。現状のまま保存する事を考えている」と述べ、要求には応じなかった。

 また、「戦利品」という指摘に対しては、「古い事なので過去の経緯は分からないし、調べようもない」と述べた。ちなみに、「塔」の中の「厳室(いつむろ)」には世界地図が描かれており、「天皇」の支配が及ぶ地域が示されている。

 呉氏は言う。「この『石』そのものを南京に戻す事は重要な事だとは思っていない。このまま台座に安置されるのは構わない。ただ少なくともこの『石』がどのような脈絡で、どのような経過と思想と当時の状況の下でここのあるのか、どのように生まれてきたのか、そういう歴史を明らかにする、そうした『碑』か『銘板』を掲げるべきではないかと思う。今後その方向の交渉を、運動を続けていきたい」

(2016年10月27日投稿)

 

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安倍首相の真珠湾演説:日米政府正当化、喧嘩両成敗で水に流す、政府のため命を賭け戦う精神称賛

2024-03-19 00:04:32 | 戦争遺跡

 安倍首相の真珠湾訪問演説は安倍政権と米国オバマ大統領による日米両政府による今後の世界戦略の意味を、特に日本国民に対してアピールする事を目的としたものである。両者による世界の覇権と経済の主導権を掌握する事の意味と正当性をアピールするものである。

 太平洋戦争の戦端となったのは日本政府による米国ハワイ準州オアフ島真珠湾(これより先に英領マレー半島コタバル)への「奇襲攻撃(上陸)」であるが、この奇襲攻撃(上陸)は当時の日本国民にとっても「寝耳に水」の事であり、突然の「奇襲行為」であったが、今回の安倍首相らによる真珠湾訪問演説も「日本国民にとっては奇襲攻撃」であった。この2度の決定は、国会において議論や決定や承認されたものではなく、国民の意志に基づいたものであったとは決して言えないものである。

 安倍首相は「演説」で「日本国民を代表して」と言っているが、これは事実ではなく彼の自分勝手で独善的な表現であり、国民にとっては強引な「押しつけ」行為であり、非常に憤慨せざるを得ない許せない事である。

 安倍首相の、真珠湾訪問やその「演説」内容は、「日米和解」の「アピール」を目的としているというが、その実態は「真の和解」(国民レベルの和解)ではなく両国政府にとって政治的に都合よく計算されたものであり、オバマ大統領との合意の上(政府間レベルの合意)で、太平洋戦争(特に真珠湾奇襲攻撃について)に対して、「大日本帝国政府が加害者(歴史的事実であるが)であると認める表現をせず(安倍自公政権は本音では米国が加害者であると認識している)」、また、都市無差別爆撃(空襲)や特に原子爆弾投下について「米国政府の責任を追及する主張もせず」、その結果、「日米どちらの側の政府の主張も明らかにしない」表現で「両国政府の行為を共に正当化する」という曖昧な「喧嘩両成敗」で表現し、今後追及をしない「水に流す」という処理を狙ったものである。このような「和解」手法は、これまでの歴史研究の成果と今後の歴史研究を否定し、「歴史の書き変え」(歴史修正主義)に至る危険性を孕んでいる点で認める事はできない。真実を知る事によって教訓を得、政治の主権を行使する国民にとっては認めがたい。このような「曖昧」な表現をとった大きな理由として考えられるのは、昭和天皇の英米国に対する「開戦の詔勅」(侵略戦争ではなく東洋新秩序・永久平和確立、自存自衛のため聖戦)を否定する事は都合が悪いからである。天皇制はこのようなところにも影響を与えているのである。

 さらに「演説」で重要な点は、両国政府の「軍人の行為」を「国のために戦った軍人」として「敬意を表」し「称える」という形で「美化」「創作」し、「政府のために命を賭けて戦う」事が国民にとって崇高な精神であると日米両国民(特に日本国民)に訴える内容であった事である

 その事は、「亡くなった軍人たち」「祖国を守る崇高な任務」「兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で死んでいった」「兵士たちが眠っています」「すべての思いが断たれてしまった。その厳粛な事実」「その御霊よ安らかなれ」「この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪ったすべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった無辜の民の魂に、哀悼の誠を捧げます」「飯田房太中佐です。……死者の勇気を称え、石碑を建ててくれた。碑には、祖国のため命を捧げた軍人への敬意を込め」「勇者は、勇者を敬う」「戦い合った敵であっても、敬意を表する。憎しみ合った敵であっても理解しようとする」などという表現に表れている。

 また、「戦争の惨禍は二度と繰り返してはならない」と誓ったとしているが、その基礎には「人権尊重」こそが重要であるにもかかわらず、その言葉にまったく触れていないところに「欺瞞」である事をうかがわせる。つまり、「戦争は最大の人権侵害であるからだ」。そして、それとは正反対に、歴史の事実に反した「大うそ」を放言している。それは、「戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを貫いてまいりました。戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は静かな誇りを感じながら、この不動の方針をこれからも貫いてまいります」という表現である。日本の政府(自民党)は日本国民の民主主義や人権を抑圧しながら(特に沖縄県に対しては強く、戦後の主権回復の際には、天皇の意思によって日本国から切り捨て米国に施政権を貸し与えた。施政権返還後も内国植民地として差別扱いを続けている)、アメリカ政府によるアジア各国の人々の人権を侵害する介入戦争(例えば朝鮮戦争、ヴェトナム戦争)に加担(反共の防波堤として米国政府の戦争に協力する事)してきたというのが事実であるからである。「不戦の誓い」を貫いてきたとか、「平和国家として歩んできた」とか、日本政府安倍自公政府が「誇り」を感じると主張する事は「傲慢」な態度そのものである。さらに、それを「不動の方針」と主張しながら、大日本帝国憲法への回帰をめざす「憲法改悪」を進めたり、2018年に実施しようとしている記念施策「明治150年」が「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ」としている事を見れば、「演説」がいかに矛盾しており、「大うそ」に満ちたものであるかがわかる。

 そして、「演説」は、日米安保同盟を新たに「希望の同盟」と表現した。そして、それは「寛容の心」によってもたらしたとしているが、実態はそのようなものではなく、両者それぞれの極めて世界経済戦略上の「打算的な心」によってもたらされたものである。それを安倍自公政府は米国政府との間で、「寛容」という感覚的な言葉を用いて日本国民はもちろん世界の政府と国民を欺き「和解」を「演出」し、「寛容」による「和解」の重要性を「建前」として、米国政府と共に世界に向かって訴える事が任務であるとして、日本の自衛隊(国防軍に改編するであろう)が米国軍隊と「運命を共にする事」を日本国民に納得させるための儀式でもあったのである。また、日本が戦争経済へ向かう事を日本国民に納得させるための儀式でもあったのである。

 「演説」では、日米安保同盟は「今までにもまして、世界を覆う幾多の困難にともに立ち向かう同盟」「寛容の心、和解の心を世界は今、今こそ必要としています。……共通の価値のもと、友情と信頼を育てた日米は、今、今こそ寛容の大切さと和解の力を世界に向かって訴え続けていく任務を帯びています」としている。

 「自民党憲法改正草案」では第2章は「安全保障」とし第9条2を新設し「国防軍」としている。Q&Aには「国家で軍隊を保持していないのは日本だけであり、独立国家がその独立と平和を保ち、国民の安全を確保するため軍隊を保有する事は現代の世界では常識です」としている。9条2第3項には、「国防軍は、……法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動……を行う事ができる」としているが、今回の真珠湾訪問演説はその先取りである。

 安倍自公政権は、国民に対しては「寛容」ではない。なぜなら、「寛容」とは「人権尊重」の精神に基づいていなければ「本物」であるとはいえないからである。安倍政権は、首相を先頭にすべての閣僚に、益々「人権」を軽視否定する言動政策が顕著となっている。安倍内閣閣僚は今までになく、国民を騙して目的を達成するという体質(詐欺体質)を一様に強く持っている。彼らの本音は、民主主義や人権こそ大切で守り発展させなければならないものと考える国民意識とはかけ離れたものだといえよう。つまり、安倍首相の「演説」の言葉を疑いもせず「言葉通り」にそのまま受け取れば騙されてしまうという事である。

(2017年1月4日投稿)

 

 

 

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国立「昭和館」の展示は偏向した歴史認識に依拠:侵略戦争と認めず自衛戦争であると。

2023-09-27 07:52:11 | 戦争遺跡

 2020年5月11日の朝日新聞記事「戦争 あのころの日用品」という見出しで、「戦争を体験した祖父母の日記や手紙、日用品を見つけたら、歴史資料として収集し、公開している施設があります」という事で、国立「昭和館」を紹介していた。

 国立「昭和館」は1999年3月27日に開館したが、その設立趣旨HPでは、「主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から30年頃まで)の国民生活上の労苦についての歴史資料、情報を収集、保存、展示し後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する施設です」としている。これには、1999年1月15日の「日本遺族通信」が掲載した、「当時本会「日本遺族会」は厚生省に対し、『苦労した戦没者遺児に対する慰めの気持ちを形に表すと同時に、悲惨な体験を繰り返さないため戦争の本当の姿を後世代に伝える』ことの趣旨で『戦没者遺児記念館(仮称)』の設立を要望した」という日本遺族会の要望が背景にあった。

 このように国立「昭和館」は特定の思想や歴史認識をもつ「日本遺族会」(自民党支持母体の一つ。遺族会には別の思想や歴史認識をもつものが存在する)の立場に立った施設であり、歴代の自民党系政府は、「日本遺族会」にその運営を委託してきた。しかし、「日本遺族会」は、アジア・太平洋戦争を自衛戦争(侵略戦争ではない)と主張し続けているとともに、首相閣僚及び天皇による靖国神社「公式」参拝などを強く要望しており、実態は国家神道宗教団体と言って良く、極めて偏向した思想や歴史認識を持つ組織であると言って良い。「日本遺族会」は国立の建造物である「昭和館」を運営する資格はないのではないだろうか。

 自民党政権が設立した国立「昭和館」とは、「公正・中立」という言葉で主権者国民を欺瞞し、特定の巨大な宗教組織「日本遺族会」の立場を代弁するとともに、侵略戦争の真相を隠蔽する役割を担っているのである。

 「戦中・戦後の国民の労苦」という展示(千人針、必勝、お国の為に、一億一心、大東亜戦争、愛国心、昭和天皇がキーワード)については、「人を殴っておいて『手が痛い』と言っているのと同じである。他国を侵略しておいて、自分たちの苦しみだけを強調するものである」と評価されている。

 上記のような偏向した展示内容だけを後の世代に伝えても、アジア・太平洋戦争からの本当に役に立つ教訓は得られないという事は今日世界的な常識であるという事を、安倍自公政府は認めるべきである。しかし、できないだろう、彼らは神聖天皇主権大日本帝国への回帰を目指しているのだから。主権者国民は、彼らに期待するのを諦めて、彼らを打倒し新しい政権を樹立する道を選択しかない事にそろそろ気づいても良い頃だ。手遅れになる前に。

(2020年5月19日投稿)

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大阪真田山陸軍墓地:保存ではなく墓じまいをし故郷の墓で、誤った戦争の加害者であり被害者として哀悼する事こそあるべき姿

2022-11-20 18:07:31 | 戦争遺跡

 大阪真田山陸軍墓地の墓石の補強工事を始めた。また、これまで保存活動をしてきた人々がいる。しかしあえて言う。この際、陸軍墓地は保存をするのではなく、墓じまいをし、葬られた方それぞれに存在するであろう故郷の墓で親族縁者により弔われるように計らう事こそ現行憲法に基づく政府のあるべき姿である。

 なぜなら、陸軍墓地が整備された経緯や敗戦時における神聖天皇主権大日本帝国政府、特に日本陸軍の対応、そして、日本国成立後の新政府の対応を知れば、上記のように考えても微塵の不思議もないであろうし、誰からも批判される理由もないはずである。

 陸軍墓地(海軍省が維持管理した海軍墓地も各地7カ所に存在)とは敗戦まで陸軍の聖地として陸軍が厳重に維持管理し、清掃も行き届いた、一般人には気軽に立ち入る事を許さない墓地の事であった。陸軍が1871年に全国で最初に設置したものが大阪真田山陸軍墓地であり、その後、全国各地に造られ、敗戦時には80カ所以上(現在44カ所)に存在した。

 ちなみに、大阪真田山陸軍墓地に埋葬されているとされるのは、陸軍創設期に亡くなった兵士をはじめ、西南戦争日清・日露戦争、第1次世界大戦、アジア太平洋戦争における軍人・軍属の戦死者、病死者。5千超の墓石、8千超の方を葬る納骨堂があり、規模は全国最大である。

 しかし敗戦になると、帝国政府陸軍省廃止(1945年12月1日)されるとともに、大日本帝国政府も陸軍墓地の管理を拒否した。そのため、墓地を管理する者がいなくなり、荒れ果ててしまった。さらに、陸軍省が、墓地に関する史料を廃棄し、墓地に関する引き継ぎもしなかったり、敗戦後の新政府も故意に墓地に関する調査をしなかったため、陸軍墓地に関する詳細は一切不明となった。しかし、葬られた方々について今日詳細を知る事ができるのは、NPO法人「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」の方々の調査によるものである。

 今日、真田山陸軍墓地を維持管理しているのは大阪市である。それは、1946年6月第1次吉田政権が、全国関係自治体大蔵次官・内務次官通知「旧軍用墓地の処理に関する件」を出し、「旧陸軍墓地は都道府県又は地元市町村に無償貸付するものとする」「維持管理、祭祀は地方の実情に応じ、市町村、宗教団体、遺族会等において行うものとする」として一方的に押し付けたためであり、そのため他の自治体同様、大阪市も政府と国有財産無償貸付契約(真田山陸軍墓地の財産所管部署は財務省近畿財務局である)を締結する事となったのである。この事は政府が表立って関わると都合の悪い事を地方自治体に押し付けて政府の目的(戦争の正当化、戦争責任の放棄とともに、天皇に忠誠を尽くし戦って命を落とした人々を護国の神兵として讃え顕彰し、後に続く精神の崇高さをすり込む場として存続させる事。これは靖国神社の果たす役割そのものである)を達成するという狡猾な手法に基づくものだという事である。

 真田山陸軍墓地の実際の維持管理、祭祀について大阪市は1947年、団体を設立、現在は公益財団法人「真田山陸軍墓地維持会」と、「旧真田山陸軍墓地に関する確認書」を交わし、除草・清掃などの環境維持や、墓碑の修復事業や祭祀(慰霊祭)、墓地見学者に対する案内・普及・啓発活動、次の世代に引き継ぐための活動などを委託している。

 そして、2018年11月には、大阪市長であった吉村洋文氏は、安倍首相に対し「旧真田山陸軍墓地の管理・維持保全」に関する要望書を出している。そこには、「本市の無償貸付契約による維持管理で対処する事が難しく、財産所有者である国による抜本的な対策が必要」「もともと国により創設された、国民の生命・財産を守り、その使命を果たすために殉じた方が眠る墓地である事から、当墓地の管理・維持保全は、国の責務であると考えております」として3点を要望している。しかし、ここには「維新の会」の誤った戦争観が明確にうかがえるとともに、憲法の政教分離原則に対する認識の欠如がみられる。それは、

1、行政目的の確立、国の責務の明確化

 国民の生命・財産を守り、その使命を果たすために殉じた方を慰霊する施設であると明確に位置付け、さらに、戦争の歴史を後世に伝えるための史跡として文化財指定を行うなど、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」と同様に、行政目的と所管省庁を明確にしたうえで、その管理・維持保全の責務が国にある事を明確にする事

2、旧真田山陸軍墓地の計画的な維持保全の実施

 国は、国有財産の管理責任者として、……将来にわたって旧真田山陸軍墓地を適切に管理・維持保全していくために、国の事業として、維持保全計画を策定し計画的に維持保全を実施する事。

3、国・本市・民間団体との役割分担及び財政支援

 ……墓地の管理・維持保全の責務は国にある事を前提として、当該管理・維持保全などに係る必要な部分について、国・本市・環境維持活動を行っている団体それぞれの役割分担を明確にするとともに、国は、本市や民間団体が担う業務に対して財政支援を行う事。       

以上のような内容である。

 現在、この要望書に基づいて、墓地を所管する近畿財務局公費(税金)を使い、公益財団法人「元興寺文化財研究所」と契約を結び墓石の補強工事を進めている。これまで納骨堂の屋根瓦の補修などを実施してきたようであるが、墓石の保全は初めてである。そして、財務局は「今後も関係団体と協議の上、計画的に修繕を進めていく」という。

 しかし、安倍自公政権、財務省近畿財務局のこの動きは、全国に新たに「靖国神社」の支社を造るような敗戦まで国教とされた国家神道のような宗教活動に加担する行為であって、政教分離を原則とする現行憲法に違反する政策であり、主権者国民は看過してはいけない。

※憲法第89条「公の財産の支出又は利用の制限」には「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」と定めている。

千鳥ヶ淵戦没者墓苑では遺骨は天皇下賜の骨壺に入れられており、兵士は死んでも天皇制から逃れられない事を象徴している。

昭和天皇記念館の内容は極めて政治的で思想的に偏向している。昭和天皇は平和のために尽した人物であるとし、戦争責任を免罪するためのビデオや展示を行っている

※靖国神社は、戦死者を顕彰し、護国の神として祀るところである。戦死者を顕彰するのは、戦死者を次の戦争に利用するためである。顕彰できるのは、正しい戦争で亡くなった人だけで、誤った戦争で死んだ者を讃えたり、神として祀ったりはしない。靖国神社は明治以来の日本の対外戦争はすべて正しい神聖な戦争であるとしている。1875年の江華島事件を起こした時に、朝鮮側の守備兵を35人殺害した。日本軍兵士は1人だけ死んだ。その兵士は靖国神社に祀られている。

(2020年2月22日投稿)

 

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