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強制不妊救済法も安倍談話も違憲違法性責任明らかにせず:日本の成文法治主義では、人権侵害とは認めないとの意味。動物の去勢処置と同じ認識

2024-07-03 21:39:32 | ハンセン病

※2020年5月29日の新聞が、優生保護法(1948年~1996年まで施行)に基づいて行われた強制不妊手術による被害者に対する救済法(一時金支給法)が昨年4月24日に施行されて一年経つが、5月3日までで一時金の申請者数が想定の27%(厚労省集計)であった事を記載していた。被害者数は約2万5千人。個人が特定でき手術記録が残る被害者の数などから3400人の申請を想定していたが、909人(27%)であった。

以下は、2019年5月30日に投稿した内容であるが加筆修正し改めて掲載した。

 2019年4月24日午前、国会参院本会議強制不妊救済法全会一致で可決し、成立した。

 法律は、「(国家賠償請求)訴訟への影響を避けるため」という事を理由として優生保護法違憲性や制定した国会の責任に触れていない。しかし、その言葉とは裏腹に、このような内容で法律を作る事自体が、司法(裁判官)や判決内容に対して圧力をかけ影響を与える事を意図していると言って良い。また、「違憲ではない」とする判決が出された場合、この支給内容と国会の責任を明記せず曖昧にした前文内容とでもってこの問題を処理しようと意図している事を表しているのである。

 メディアはそれに反論批判せずそのまま正当な理由であるかのように報道しているが、それは偏向した報道姿勢であり、上記の意図を持つ救済法を支持する側に立って報道していると言うべきである。訴訟の際にはさもそのようにしなければならないかのように、「訴訟への影響を避けるために触れない」、というのは単に国会が都合の悪い事を明らかにするのを回避するための屁理屈であり、そのように義務づける法律などもちろんないわけであるから、主権者である障害者(被害者)はもちろん国民は、そんな「触れない理由」に納得するものではない。らい予防法に対する判決(熊本地裁)から推察しても、明らかに違憲である事は間違いない。にもかかわらず違憲性に触れないというのは、「違憲ではない」との意思表示であると理解すべきであり、司法(裁判官)に圧力をかける事が目的と受け止めるべきである。優生保護法(強制不妊手術)は人権侵害には当たらない」との意思表示とみなすべきである。つまり、障害者を人間とは見なしていないのであり優生保護法制定の意識がそうであっただけでなくこの救済法制定の意識においても、障害者(被害者)に対する強制不妊手術を犬や猫など動物に対する去勢手術なみにしか見なしていない(人権侵害問題であるという理解ができていない)という事である。であるから、救済法は物損事故的弁償感覚でしかなく、つまり金銭を渡すだけで解決できるものと考えているといってよい。だから、「救済法」という、主権者である障害者や国民が違和感を感じる名称を使用する事ができたのであり、法の内容の全てが、「一時金」という名の金銭の支給に関する事だけになっているのである。また障害者の高齢化に言及し、平成中の救済法成立(一時金支給)を目指したいとしていたが、そこには障害者がさも金だけが目当てであるように印象づける手前勝手な決めつけ意識がみられ、主権者である障害者や国民の屈辱と憤怒を理解してないだけでなく愚弄している事にも気づいていないのである。

 反省しお詫びする主体を『我々』とし、その責任を明記せず曖昧にしておきながら、その意味を「国会や政府を特に念頭に置くもの」と口頭説明する手法についても主権者である障害者や国民は、「国会は優生保護法制定の違憲性を認めていない、認めないという意思を表明した」と理解すべきなのである。それも制定に関与していないのであるから含めるべきでない「政府」まで含め、安倍自公政権にも忖度した判決を出させる事を狙っているとみるべきである。口頭で「国会を念頭に置く」と説明しておきながら、法律には明記しないというところに国会の不誠実な狡猾さを感じざるを得ない。成文法による法治主義国家においてはこのような手法で制定された救済法は認める事はできない。国会が率直に違憲性を認めた内容の法律を制定しさえすれば、主権者である障害者や国民は訴訟を起こす必要はなかったのである。

 安倍首相も、国会の説明が、「我々」には「政府」が含まれているとしたため、「おわび」談話を発表したようだが、優生保護法の違憲性や政府の執行責任には触れなかった。この事について、官邸関係者が「訴訟に関わる事だから、政府の非を認める形にはならない」とする国会同様の理由を述べていたが、メディアはそれにも反論批判せずただ報道しているだけであった。主権者である障害者や国民は、この談話についても、安倍首相は、優生保護法の「執行は違憲違法ではなく政府に責任はない」との意思表示をしている、と受け止めるべきである。元々安倍自公政府は訴訟においても、違憲性の認否を避け続け、法の執行を続け救済策を講じなかった事についても違法性を認めていないのだから。主権者である障害者(被害者)や国民は、「真摯に反省し深くおわび申し上げます」との抽象的で中身の明確でない、それも極めて世間一般的な「おわび」の常套句に、軽々に思い込みの期待を抱き、騙されてはいけない。談話の最初が「一時金支給」の内容である事からもうかがえるが、障害者が優生保護法によって人生を踏みにじられ変えられた事(人権侵害)の屈辱を理解できているとは言い難いからである。また本来、首相談話は内閣全員の意思として閣議決定されたものをいうが、この談話は「首相談話」と言いながら、閣議決定されていないため、安倍自公政権の意思を示すものではないのである。正確には「首相談話」と言えるものではなく、安倍首相個人のスタンドプレーの意思表示なのである。しかし、安倍首相は、中身の曖昧な「談話」を何故あえて判決前という異例にもかかわらず発表したのか。それはその事により安倍首相の意思を司法(裁判官)に暗示し、圧力をかけるためであり、それによって政府に忖度させ政府に有利な判決を出させようというのが狙いなのである。安倍首相はこの問題の「処理」においてもこれまでの問題以上に存分に自己の常套手法を駆使しようと手を打っているのである。

以下、上記以外に強制不妊救済法に関連して感じた事を書いておこう。

まず、優生保護法全会一致で成立したものであるが、全員が賛成(全員が反対でもよいが)すれば「正しい判断」がなされた事を意味するとは限らないという事を学べる良い例である。例えば、神聖天皇主権大日本帝国政府下において1941年制定された「改正治安維持法」も全会一致であった。そして今回成立した救済法も全会一致で成立したが同様に考えるべきである。

当時の政府も国会も、人権尊重を原則とする新憲法に対する理解は極めて乏しかったという事である。理解しようとする動きも積極的ではなく、それを阻む戦前回帰の動きの方が強くなっていったといえる。今日の日本の政治や社会の姿がその行き着いた姿である。

 国会も内閣も、これまでの誤りを率直に認め、その責任を引き受け主権者である障害者や国民に対する償いを進んで行い、事実を究明し将来の教訓とする姿勢をとれない事が改めて暴露され、その事がまた憲法が定める人権尊重の進展を阻害している事が明らかになった。

国会は救済法を被害者である障害者の意見や要望に耳を傾けないまま成立させた。この手法は、日韓の政府間で解決しようとした「慰安婦問題合意」と同じである。政府も国会も被害者が人間扱いされなかった屈辱(人権侵害)に対し率直に誤りを認め、その屈辱を癒やしてもらうために被害者が納得する謝罪と賠償をする事が大切なのである。人間としての名誉回復こそ最も重要な事である事に気づくべきである。

今回成立した救済法被害者である障害者はもちろん国民をも分断し、訴訟を妨害する効果を生む事が安倍首相や国会の狙いである事が徐々に見えてくるであろう。すでに「優生手術に対する謝罪を求める会」の米津知子さんは「言葉がどうであれ、首相がおわびの気持ちを形にした事が重要だ」と手放しの歓迎ぶりであるのに対し、訴訟原告男性は「法律で『我々』がおわびをするとあるが、ごまかされているように思う。国の謝罪をはっきり書いてほしい。国の謝罪で救われる家族がいるはずだ」と政府の対応に憤っている事からも明らかである。

1966年に開始した兵庫県の「不幸な子どもの生まれない運動」に関する資料集には、「(知的障害や身体障害など)不幸な子どもだけは、生まれないでほしいという気持ちは、お母さん方のみならず、みんなの切なる願いでございます」とあるが、ここから分かる当時の自治体(政府はもちろんであるが)の優生保護法による「強制不妊手術」に対する認識と対応は、ハンセン病に対して「らい予防法」に基づいて全国的に推し進めた「無らい県運動」のものとまったく同じだと認められるのである。

(2020年6月9日投稿)

 

 

 

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韓国ハンセン病療養所「小鹿島更生園」…朝日新聞「取材考記」が書かなかった事

2024-06-25 21:56:14 | ハンセン病

 朝日新聞2024年3月25日付「取材考記」「ハンセン病療養所 園歌の旅 韓国で見た威圧」記事に書かれた、韓国ハンセン病療養所「小鹿島(ソロクト)更生園」について、「ハンセン病 小鹿島更生園・台湾楽生院補償請求弁護団」発行のパンフレット「ソロクト・楽生院 Q&A」を基づいて以下に紹介したい。

 「小鹿島(ソロクト)更生園」とは、神聖天皇主権大日本帝国政府が「大韓帝国」を併合し植民地にし「朝鮮」と改称していた時代に、天皇の勅令によりその「朝鮮」につくったハンセン病療養所である。植民地支配をしていた大日本帝国政府は、植民地でも、ハンセン病は恐ろしい伝染病だと宣伝して、患者をあぶりだし、強制収容して生涯とじこめるための隔離施設としての療養所をつくったのである。「小鹿島(ソロクト)更生園」は、隔離政策実現のために設立したものであり、「らい予防法」とほぼ同一の法律つくったのである。

 故郷から強制的に連行し、収容専用の車両や船を使って有無を言わさず収容した。大日本帝国内の療養所と同じく、職員が絶対的に不足していたので、療養所運営のために「患者」にあらゆる作業を強制した。「療養所」とは名ばかりで「強制収容所」そのものであった。「患者」を、夜が明けぬうちから作業場に狩り出し、レンガ工場や「かます」作り、桟橋の建設、日本人園長「周防正季」の銅像つくりのために夜遅くまで働かせた。食事は貧しく、しばしば理不尽で容赦ない「懲罰」を加え、たまらず逃げ出した「患者」は「監禁室」に入れ、「懲罰」として「断種」した。数えきれないほどの「患者」が「懲罰」と「飢餓」のため亡くなった。韓国は、日本とは異なり、1960年代には政府が隔離政策を撤廃し、制度上では、ハンセン病は普通の病気となんら変わらない感染症となった。しかし、大日本帝国政府が、植民地支配時代に、徹底的な「ハンセン病は恐ろしい」という宣伝を行ったために、ハンセン病に対する社会的偏見差別が生まれた。故郷から強制隔離された「患者」は家族とのつながりを断たれているため、治癒しても故郷には帰れず、療養所での生活を余儀なくされている。2005年頃には700名超の「患者」が生活していた。

《小鹿島(ソロクト)略年表》

1910年 韓国併合条約調印

1917年 小鹿島慈恵医院開設

1933年 第1期拡張工事

1934年 小鹿島(ソロクト)更生園成立

1935年 朝鮮らい予防令施行

1936年 第2期拡張工事

1939年 第3期拡張工事

1945年 日本人職員退去(敗戦)

(2024年3月25日投稿)

 

 

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ハンセン病作家・北條民雄の本名公表へ

2024-06-25 21:50:51 | ハンセン病

 北條民雄(1914~37)の本名は「七條晃司」である。父は軍人で、赴任した朝鮮(もと大韓帝国で、1910年神聖天皇主権大日本帝国政府が「併合」し植民地化後に改称)の京城(もと大韓帝国の首都ソウルを改称)で生まれ、母の故郷である徳島県阿南市下大野町で育った。10代後半にはすでに友人と雑誌を発行し、小説を書いていたが、1933年、19歳ハンセン病を発病した。翌年、東京の全生病院(現・多摩全生園)に入院後、川端康成に師事し、本格的に執筆活動を始めた。差別が家族にも及んだため、「北條民雄」と改称を余儀なくされた。1936年に『いのちの初夜』を発表して注目されたが、翌1937年12月5日、腸結核で23歳で亡くなった。

以下に、小説『いのちの初夜』の一部を抜粋して紹介しよう。

「私にとって最も不快なものは、あきらめである。あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに到達しえぬ場合にのみ用うべくものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は、実にこのあきらめと戦う事である。あきらめる位なら自殺した方が余程ましである。というよりも、あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝つという事は絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるという事はあるのである。」

 2014年、「北條民雄」生誕100周年を機に、徳島県阿南市と市文化協会が、親族の了承を得て、郷土の偉人13人を紹介する冊子『阿南市の先覚者たち』に、「本名」の「七條晃司」を記載公表した。

(2023年11月12日投稿)

 

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