トルコ・アナトリア地方で発掘を続ける日本の調査隊が、ハインリッヒ・シュリーマン(1822~90)がトロイア遺跡で発見したものと同じ型式の金製品を発掘したという。シュリーマンは北ドイツのノイブコーに牧師の子として生まれた。母親は小さな町の町長の娘で、教養ある音楽好きな女性であったが、彼が9歳の時に亡くなった。考古学に興味を持っていた父親は、幼いシュリーマンに、ホメロスの叙事詩やポンペイ(ローマ)の悲劇などを語って聞かせた。シュリーマンの少年時代は恵まれていなかった。学校教育も満足に受けられず、14歳で小売店の小僧となって働きながら簿記の勉強をした。運試しをしようと19歳で米国へ向かった。途中不幸にも難破したが、オランダの砂州に漂着して助かった。そのままアムステルダムに住みながら、フランス語、スペイン語、イタリア語、ポルトガル語などを次々と身に付けていった。商才にも恵まれ、24歳でアムステルダムの貿易商の職を得るや、早くも目をロシアに向け、独学でロシア語を勉強し、モスクワのインディゴ(藍色染料)商人たちとその国の言葉で商談をまとめた。その成果を足掛かりに、ぺテルスブルクへ赴き、わずか1年で独立。自分の商館を開き、又ゴールドラッシュの米国に銀行を持つなど、国際的な大商人となり、巨万の富を築いた。ところが1863年(41歳)に年来の夢であったトロイア発掘を実現すべく、すべての経済活動を打ち切った。1865(43歳)3月、彼は世界漫遊の旅に出た。インドから海路、香港、上海へ。さらに中国と日本(1865.6.1~9.2の3カ月間滞在)へ。横浜から太平洋を約50日かけてサンフランシスコへ。その後、米国東海岸からハバナ、メキシコを巡り、1866年(44歳)、パリに落ち着き、改めて考古学を勉強し、2年後に学位を取得。1876年ミケーネ文明遺跡を発掘。トロイア遺跡の発掘に成功したのは1871年(49歳)の時であった。
(2025年3月6日投稿)