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ハンセン病作家・北條民雄の本名公表へ

2024-06-25 21:50:51 | ハンセン病

 北條民雄(1914~37)の本名は「七條晃司」である。父は軍人で、赴任した朝鮮(もと大韓帝国で、1910年神聖天皇主権大日本帝国政府が「併合」し植民地化後に改称)の京城(もと大韓帝国の首都ソウルを改称)で生まれ、母の故郷である徳島県阿南市下大野町で育った。10代後半にはすでに友人と雑誌を発行し、小説を書いていたが、1933年、19歳ハンセン病を発病した。翌年、東京の全生病院(現・多摩全生園)に入院後、川端康成に師事し、本格的に執筆活動を始めた。差別が家族にも及んだため、「北條民雄」と改称を余儀なくされた。1936年に『いのちの初夜』を発表して注目されたが、翌1937年12月5日、腸結核で23歳で亡くなった。

以下に、小説『いのちの初夜』の一部を抜粋して紹介しよう。

「私にとって最も不快なものは、あきらめである。あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定してそれに到達しえぬ場合にのみ用うべくものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は、実にこのあきらめと戦う事である。あきらめる位なら自殺した方が余程ましである。というよりも、あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝つという事は絶対にないが、しかし死んで敗北から逃れるという事はあるのである。」

 2014年、「北條民雄」生誕100周年を機に、徳島県阿南市と市文化協会が、親族の了承を得て、郷土の偉人13人を紹介する冊子『阿南市の先覚者たち』に、「本名」の「七條晃司」を記載公表した。

(2023年11月12日投稿)

 

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