つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

伊勢荒神山の出入り(喧嘩)で落命した清水次郎長親分一家の吉良仁吉

2020-09-07 23:43:28 | 文学・歴史

 伊勢荒神山観音寺には清水を縄張りとした博徒一家の親分であった次郎長の子分吉良仁吉の「石碑」が建てられている。これは吉良仁吉が「荒神山の出入り(喧嘩)」で重傷を負い、それががもとで後に死亡したために建てられたものである。

 この「出入り(喧嘩)」は伊勢荒神山を預かっていた二人、黒田屋勇蔵一家の神戸の長吉(下総出身)と、穴太の徳次郎(伊勢出身)の内輪もめに端を発し、清水次郎長親分一家の子分、大政と小政と吉良仁吉が巻き込まれたものであった。

 荒神山では例年4月6日から9日まで祭礼が行われていた。6日の鈴鹿野登り山の祭りから始まり、7日から9日には荒神山の「御開帳」とともに各社の祭りが続いた。そして、1㌔ほどの参道・境内で博徒の賭場が200近く開かれた。

 桑名明神を本拠縄張りとしていた博徒一家の親分黒田屋勇蔵は、荒神山の「しょば割り」を長吉と徳次郎に任せていたが、徳次郎が「よそ者」の長吉を冷遇して「テラ銭」を独り占めしようとした。思い余った長吉清水次郎長親分一家の吉良仁吉に相談したところ、大政と小政らが助っ人を買って出たのである。清水次郎長親分一家は船で四日市へ乗りつけ、東海道の宿場「石薬師」(三重県鈴鹿市石薬師町)に陣取った。

 徳次郎のバックには黒駒の勝蔵が付き、西隣の宿場「庄野」(三重県鈴鹿市庄野町)に陣取って睨み合った。そして、祭りの終日の9日に、大勢の見物人の見ている中で双方斬り合いとなった。吉良仁吉は鉄砲で撃たれて重傷を負い、後に死亡したのである。双方死者2人、重傷2人を残して全員逃走し終わった。

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清水次郎長と東海道の博徒一家の親分衆

2020-09-07 12:22:51 | 文学・歴史

 2020年9月7日の朝日新聞「文化の扉」が「次郎長 大親分の実像」を取り上げた。その次郎長は、東海道に数ある博徒一家の中で、清水を縄張りとした一親分であった。博徒一家の親分には2種類あった。一つは領主や代官所などから十手取縄を預かる親分(風っ引き)、もう一つは賭場のテラ銭だけで生計を立てる親分であった。

 前者は、宿場問屋場と結託したり、人足部屋部屋頭を引き受けたり、子分に任せたりした。博徒一家の資金源は、人足部屋と、宿場の村の名主・役付を集めた「旦那ばくち」や「賭場のテラ銭」のほかに「祭礼ばくち」があった。

 「祭礼ばくち」とは、寺社例祭日や、本尊・秘仏の開帳縁日に、参道や境内に博徒一家が出張って、「賭場」を開いた事をいう。境内や参道の「場所を割る」のは、その神社や寺を「縄張り」にする博徒一家の親分で、「しょば代」だけで一年遊んで暮らせた一家が少なくなかったという。

 大場の久八(伊豆函南出身)は、大山不動・日向薬師(神奈川県伊勢原市)、大雄山最乗寺(同南足柄市)、箱根神社(箱根町)、伊豆山神社(熱海市)、韮山神社(韮山市)、三島神社(三島市)その他、沼津、吉原など合計12の寺社を縄張りとしていた。ちなみに、江戸湾の「お台場」を請け負った人物である。

 ほかの博徒一家の親分たちの縄張りは以下の通りである。

浜松の国領屋亀吉は井伊谷宮と方広寺(引差町)、西伝寺。見附(磐田市)の中泉の五郎は掛塚明神。森(周智郡森町)の五郎は光明寺。都田村(浜松市)の吉兵衛は権現山。雲風の亀吉(愛知県小坂井町)鳳来寺。亀吉の弟の下地の常吉は豊川稲荷(豊川市)。寺津の間之助は三州花蔵寺。常滑の兵太郎は大興寺薬師。宮の三吉は熱田神宮。桑名の黒田屋勇蔵は桑名明神。伊勢荒神山(三重県鈴鹿市)は黒田屋一家の神戸の長吉と穴太の徳次郎の預かり。勢州の他の神社と寺は、すべて伊勢古市の丹波屋伝兵衛縄張りであった。江尻(清水市)の紺屋九兵衛は瓜生神社。そして、清水次郎長の縄張りは清水の美濃輪稲荷秋葉神社であった。駿府の安東の文吉は久能山・浅間神社と今川義元の菩提寺の臨済寺。長楽寺の清兵衛は藤枝神社(藤枝市)。日坂の栄次郎は小夜の中山夜泣石。堀越のと藤左衛門は掛川神社(掛川市)。秋葉三尺坊は山梨(袋井市)の巳之助。大和田の友蔵は見附天神社(磐田市)。

このように東海道のの大親分は大場の久八で、西の大親分は丹波屋伝兵衛であったのであり、清水次郎長は東西の二人の大親分の足元にも及ばなかったようである。

 

 

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おおさか維新4市議の市幹部に対する行動:守口市議会百条委の大半が「不適切」指摘

2020-09-05 16:29:50 | おおさか維新の会

 2020年9月4日、守口市幹部の新型コロナへの対応にからんで、おおさか維新の会所属の市議ら4人市幹部を長時間拘束不当に謝罪を求めたとされる問題で、3日の市議会調査特別委員会(百条委)委員の大半が維新に対し「不適切」とみなす厳しい見解を述べた。報告書は9月末にまとめる予定との事。どうもこの件でも「大阪維新の会」独特の独善的偏狭的暴力的な体質が顕わになったようだ。

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