ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

はじめての寄席!浅草演芸ホール

2005年11月30日 12時01分59秒 | 芸能スポーツ

 昨日、友人が招待券があるからと、生まれて初めて「寄席」に一緒に行きました。私は東京下町育ち、子どもの頃には、たしか、人形町に寄席があったそうで、よく父が姉を連れて行っていたそうですが、私はそのチャンスに恵まれませんでした。いつか、その「寄席」なるものにでかけてみたいと常々思っていて、今回、八王子からは遠いのですが、春日部に住む友人の誘いで浅草演芸ホールに出掛けたのでした。
 彼女は、その招待券を読売新聞でもらったそうです。そして、その券が今月一杯有効ということで、平日なのに満員で立ち見も出る賑わいになったそうです。私はとにかく初めてで、ホールがけっこう小さいのにも驚きでしたが、三谷幸喜監督の映画「笑の大学」に出てきた浅草と寸分たがわぬ雰囲気で、ホールもあの劇団が芝居していたホールみたいに、そっくりに感じました。古くて狭い、でも、懐かしくて面白いのです。立ち見なので、私たちは2階に上がり、そこでいい場所を見つけたのです。後ろには立ち見の場所らしき、椅子がない空間があり、さらに右隅には、靴を脱いであがる、板間に薄いカーペットが敷かれた一角があり、赤い手すりにへばりついて見ることが出来、、なかなかよさそうなのです。夜のお弁当も持参して、そこに座り、しばらく昼の部の最後を見ていました。カザルスホールやタケミツメモリアルのバルコニー席みたいなものですね(雰囲気は違いますが)。居心地がよかったのですが、奥に横になっていたおじいさんが、すっかり熟睡して、大きないびきをかきはじめたのです。このままいても、うるさいからと、移動することにしました。
 夜の部のときに、1階に移動しましたが、けっこう満席状態で、開いているのは最前列だけでした。飛び飛びの席を見つけたら、親切にも、男性が席を替わってくれて、ど真ん中の「かぶりつき状態」で私と友人が見ることになりました。
 夜の部の始まる前にとお弁当を食べ、でも、そう休憩時間がなくて、始まってしまってからも食べていました。ちょっと悪いナーと思いながら・・・。
 午後の部は林家一門中心に、いろんな落語家が登場しましたが、その中でかなり面白かったのは「柳家権太楼」という噺家でした。中入り前の、川柳川柳という人も、かなり面白かったけれど、彼は自分の本の宣伝ばかり??かなりユニークな人ではありました。たしかに、けっこうもてたでしょうね、昔は。かつての色男ってか?梨園も落語界も、女性関係は、今も昔も派手なんでしょう。そりゃ、人間、いくつになっても変らないんですもの。その、落語界裏話をたくさん書きまくったそうです。
 今日のメインはなんといっても、林家正蔵。めちゃくちゃ目の前で本物を見てしまいましたよ。とにかく、間近かすぎて、鼻の穴も口の中も、歯も丸見えです。仕舞いに首が痛くなってきて、そのうち尻も痛くなる。でも、話が面白くてゲラゲラわらっているうち、6時間なんて、あっというまでした。最後のトリを勤めた林家いっ平、ちょっといい間違いが多く、緊張していたんでしょうか、今ひとつといった感じでした。お兄ちゃんみたいに、がんばらないとね!マジックや曲芸も見たのですが、意外と本番って、緊張して失敗するんですね。体調にもよるでしょう、ごまかしのきかないプロの厳しさを感じました。こちらも、ハラハラドキドキでした。
 もちろん、正蔵師匠の噺、面白かったです。意外なのが、林家ペー(奥さんのパー子は来てませんでした)の話が、面白いの。誕生日の話や、ゴジラ松井の契約金から年俸、日給、時給、分給、といった具合に、オリジン弁当にアルバイトしてる時給950円のパー子の姪と比べたり、なかなかユニークでした。
 初めての「寄席」、大いに楽しめました。落語が多かったのが、うれしかったですね。今度は自腹でちゃんと入って聞いてみましょう。浅草は遠いから、新宿末広亭がいいかな?

コメント (2)
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