今、フジテレビの、あの大震災の時の消「防隊だけが撮った0311」を見ています。
夫が亡くなったのはその翌年の6月でしたから、彼はあの時、家にいて、食器棚の中身が出てこないように、しがみついていたそうです。私は市の施設の嘱託職員になってこの3月で丁度1年、その日は同じ職場の人たちと本部の会議室で接遇研修を受けていたのでした。
まるでバラックのような2階建てのプレハブ建物の2階の会議室で、講師はあの倉田まり子さんでした。彼女が市内に住んでいることで講師を引き受けてくれて、地震が起きたときも、ご家族やお子様が心配だったでしょうに、気丈にふるまっていました。
窓から見える気が相当に揺れていて、同僚は非常階段から外に出ていきましたが、私は会議室に残っていました。その時の人員の半分は外に非難して半分は部屋に待機、という状況でした。結局、研修は中断でそのまま帰宅となり、同僚と駅に向かっているときに、周りの見知らぬ人が「電車が停まっている」という応報をくれて、駅の近くの家電量販店の大型テレビでその大地震の状況を目にしたのでした。
私は電車が停まっているので、バスを乗り継いで帰宅しました。
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緊 急 の お 知 ら せ
現在、東北地方で発生した地震の影響により、電力が不足しております。このままの状態が続くと、強制的な臨時停電が行われることになります。
市民の皆様には、徹底した節電にご協力をお願いいたします。
八王子市ではこの電力不足により、今月15日から21日まで、市内各市民センターの夜間のご利用を自粛させていただきます。
ご利用の皆様には、ご理解ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
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当時、震災の後に貼りだした市の施設使用に関する緊急告知です。
当時の私は、初めての職場が遠くてバスを乗り継いでいく勤務地なので、すでに夫もがんを発病していたから不安でいっぱいでした。主任も3月末で定年なので、震災のその後の、使用禁止に関する還付や計画停電など、新主任としてもういっぱいいっぱいでした。
職場でも、計画停電がありました。そして、自宅でも、あとの方で、実際に経験しました。夫との夜の計画停電での食卓、ろうそくをつけてワイン飲んだのが忘れられません。
震災が起こった3月11日、その後、ガソリン不足があって、車通勤の主任がとても苦労したのを覚えています。震災があった東北とは離れた東京市部でも、かなりの影響がありましたから、現地は本当にすごかったんだと、今夜の番組で思い出しました。
5年経ったから、忘れられることじゃない。5年経っても、復興していない地域がある。
首都圏が電気をもらっていた現実、私たちはもっと痛感して何かしなくてはいけないことがあるはずです。本当に、ごめんなさい。