ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

今日は、訓練?

2017年08月16日 10時20分13秒 | 日常

 今朝は9時台から、不思議な放送が流れています。市の防災無線じゃなくて、廃品回収車でもなく、外国人の日本語で「こちらは横田基地です」に続き、英語が流れてきます。エクササイズ、ワークダウン、などなど。一体なんだ?と、市のホームページを見てもわからず、同じところに自衛隊もあるので、その広報に問い合わせました。

 訓練で放送が流れているそうです。

 北のミサイルがついに、と怖かったのですが、納得。この雨の中、ずっと訓練しているのでしょうか、お疲れ様です。

 昨年10月からここにきて、こんな不思議な放送を聴くのは初めてだったので、解決してよかった。

 昨夜のインパール作戦のドキュメンタリーを、今朝見ました。昨日は間に合ったので見てはいたけれど、ワイン飲んでいたのでよく覚えていなくて。

 日本軍の作戦の責任を、結局上層部は回避して、現場の指揮官の責任だと言ってのけたんです。そして、現場では大勢が、無謀な作戦で死に、さらに作戦中止後にももっと大勢が亡くなり、3万人の戦死者と4万人の傷病者を出しました。

 牟田口廉也は戦後も生き残り(どうして東京裁判にかけられなかったのか不思議)、自己弁護ばかりだったそうです。その息子さんは反戦派できっと、父を恨んでいたのでしょう。孫の代で、遺品をNHKにゆだねたのでした。残っていたよかった。

 戦争遺品を今、生理分析しないと、永遠になかったものにされてしまいます。今、生存者の証言をもらわないと、歴史の事実が埋もれてしまいます。二度と戦争をしないために、私たちができることをしなくてはいけない。

 昨日、92歳の地元に住むシベリア抑留体験者の肩の話を聴いてきました。92歳というのに、とてもお元気で、しっかりしていて、あんなつらい体験をしていたなんて想像もつきませんでした。彼は戦闘経験もなく、最後の最後で終戦間際に武器を持っただけで、捕虜としてシベリアの収容所を回り、2年くらい過酷な重労働をして最後は今のウクライナの収容所で内勤だったために生き残れたとおっしゃっていました。帰るにあたって共産主義思想を植え付けられ(といっても、帰れるのならとうわべだけ)、帰国後はシベリア帰りということで就職もままならず(赤狩りのようなこと?)、しばらくは苦労が絶えなかったそうです。

 大きな地図を手作りで作成し、どこに収容所があるか、自分はどこにいたかを克明に説明してくれました。50人限定の会場では、もっと多くの人が集まり、急きょ椅子を並べたりと大盛況でした。

 国家は国民を犠牲にします。怖い存在です。天皇をトップに皇国という宗教のもとで、庶民は虫けらのように扱われました。一人の命を大切にできない国が戦争をするということがどれだけ恐ろしいか・・。インパールでは生きるために仲間の肉を食べていたそうです。一人になるとやられるとのこと・・。そして豪雨地帯では、死体は10日で白骨になるそうです。あのあたりの激戦地ではいまも、日本兵の幽霊が出るとのこと。無念で成仏できないんだと思います。

 国のために奪われた命は、報われません。

 思想や主義がどうであれ、一人一人の命を軽んじることは絶対に許されない。

 今ようやく、極秘文書が公開されてきています。そして、体験者の証言がもう消えそうになっているんです。今、あの太平洋戦争、日中戦争をきちんと整理分析しておかないと、また同じことになってしまいます。国を超えた調査研究、必ずすすめてほしい。そのうえで、改めて従軍慰安婦や南京大虐殺を考えても遅くないはず。共通の歴史事実を、私は知りたい。

コメント (2)
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