原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ネットが社会を分断?? ネットにそんな大それた力は無い。

2020年03月08日 | 時事論評
 新型コロナウィルス騒動で、電車に乗りマスク無しで咳・くしゃみをすれば命が危うそうなご時世に成り下がり… 

 外出するにも、本日は真冬の寒さの雨天でランニング練習にも行けず…  
 かと言って買い物ばかりに足を運んだとて、そんなに買うべき必要がある物も無いし…

 という訳で、新聞でも読み込んで題材を探しエッセイを書くしか方策が採れない程に行動パターンが画一化されてしまう昨今のコロナウィルス環境下におかれてしまっている。


 さて本日2本目のエッセイは、がらりと分野を変えて。

 朝日新聞2020.03.03付「争論・ネットが社会を分断」と題する記事から私論を導くこととしよう。

 朝日新聞記事より、前書き部分をを引用すると。

 インターネットは多様な意見が交わされ、相互理解を深める「公共圏」になると期待されていた。 だが今は、社会を分断する原因になっているとの批判が強まっている。 ネットの言論について実証研究を重ねる2名の大学教授に話を聞いた。

  ・ 分断の原因はネットか?
  ・ 分断の中心は?
  ・ ネットは社会の「鏡」か?

 (以上、記事の前書き部分を引用したもの。)


 一旦私論だが、一体ネット上の如何なる媒体を捉えて、朝日新聞は上記提案を成しているのだろう?

 私が日頃ネット上で馴染んでいるのは、当該「ブログ」との媒体と、SNSのひとつ「Facebook」のみだ。  そのうち、現在Facebookは単にブログ記事を転載しているに過ぎず、友達付き合いやその発展系の議論は一切成していない状態だ。

 そんなネット環境下での我が印象とは。

 「ネットが社会を分断」????  そんな大それた力(ちから)が現在のネットにあるとは到底思えない。
 一昔前、私がブログを開設した頃のネットは、大いに風紀が乱れていた。
 記事をアップすると同時に押し寄せるエロコメントやトラックバックの数々…。 ネット画面を開けば、エロ写真やエロ情報が氾濫し。
 少し偏りがあるエッセイを公開すると、怒濤のごとく押し寄せる誹謗中傷ご意見。

 そんな中、真面目に議論するコメントも沢山頂いた我がブログだった。
 その頃こそが、我が「原左都子エッセ集」“華の時代”だったものと懐かしく振り返るが…。

 その後ブログ世界は、一見“道徳心旺盛”に進化(後退?)を遂げたと私は分析する。
 確かに、一見“平和かつ無難”に生まれ変わった印象はある。

 ただ、そこには既に「議論」の余地など皆無だ。
 皆さんブログ内容を綺麗にまとめ、それに対する反応もすべてが挨拶程度のさりげない内容に始終するに至っている。
 それに従わないと、すぐさまバッシング行動に出るブログもある様子だ。 ほんの少しでも反論意見を記入しようものならば、門前払いあるいは無視に徹する行動に出るブログに接した経験がある。 (もちろん、こちらとてそんなブロガーは願い下げなのだが。)

 それほどまでに自己の安泰を守ろうとするブログとの媒体に、まさかまさか、「社会を分断する力」が宿る訳もなかろう。

 
 この朝日新聞記事に対し私と同類のご意見を述べられている大学教授氏のご見解の一部を紹介しよう。

 いまのネット空間は、確かに分断しているように「見えます」。 それは、少数派が積極的にネットで意見を発信する一方で、中庸派はネットの議論にはほとんど参加しない「サイレントマジョリティー」になっているからです。 (中略)
 その要因として、ネットには新聞や雑誌、テレビに比べ、人々を穏健化させる働きがあると考えられます。 
 (以下略すが、朝日新聞記事より一部を引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 まさに上記大学教授氏がおっしゃる通りの記述を、私もブログ上の人間関係に於いて経験する機会が現在多い。
 実に“サイレントマジョリティー派”で満たされている現在のブログ世界であるとも言えよう。

 そんな“穏健”な日々を目指し、ブログを開設している皆様にとって。

 今後共、あくまでも“オピニオンエッセイブログ”なる姿勢を保ち続けたい「原左都子エッセイ集」を日々ご訪問頂ける現状に、改めて感謝申し上げます。

 と同時に私ども原左都子は、今後とも決して“穏便に”ネット世界を渡りたいと欲していない事実にもご配慮お願いしたいものです。
 

マスク騒動のせいで“電車恐怖症”になりそうだ…

2020年03月08日 | 時事論評
 (冒頭写真は、昨夜テレビ番組で小学生男子が上手にマスクを手作りするのを見た私が、それを真似てキッチンペーパーと輪ゴムとホッチキスで手作りしたマスク。)


 何だよ、この下手くそでみっともないマスクは!?! と皆さんに呆れられそうだ。
 (一応、私「家庭科」はいつも評価5で、上手にワンピースやスカートやブラウスを作った時代もあったのですよ。)
 嘘こけ!  誰がこんなボロマスクを付けて外出できるか!?? との反応が返ってきそうだ… 😱 
 でも一応テレビの小学生の教えに従い、上下はプリーツ構造になっていて、隙間が出来ない工夫がなされているんですよ。😷 


 
 そんな折、先程マスクにて電車乗車に関するネット情報を見つけた。 以下に引用しよう。

 新型コロナウイルスの感染拡大により日本全国ピリピリムードが続いている。 「いつ自分が感染してもおかしくない」そんな不安が広がるなか、電車内でのトラブルも増えている。
 福岡市営地下鉄では、「咳をしているのにマスクをしていない人がいる」という理由で非常通報ボタンが押され、列車が停車する出来事があったとか。
 また、咳をする乗客に暴言を吐いたことをきっかけに乗客同士の口論が発生…なんてニュースも記憶に新しい。
 こんなときだからこそ、咳やマスクのエチケットはもちろん大事ですが、咳に対する過剰な反応や行き過ぎた行為はいかがなものか…。
 しかし、筆者は先日ちょっとほっこりする?光景を目にした。
 それは2月下旬ごろ。 移動中の電車内で起きた。 私が電車に乗ってから2〜3つあとの駅で乗車した男性。 歳は60代〜70代くらいか。  男性はマスクをしていたが、その表面には真っ黒のマジックペンでデカデカと『花粉症』の文字が! 
 男性は恥じる様子もなく、堂々と席に座る。 そして、時おり鼻をすすったり、軽く咳き込んだりしている。
 男性の咳き込む音にビクッと反応して、一瞬音がするほうに目をやる乗客が数名いるが、男性のマスクの文字を見ると、安堵したかのように落ち着きを取り戻していた。
 確かに2月下旬から春にかけては花粉の季節。 花粉症の方にとっては、マスクが手放せない時期だ。 しかし今年はコロナウイルスの影響もあり、世間はピリピリムード、ちょっと咳をするのも気を遣う。
 ちょうどその数日後にテレビで、『花粉症・喘息バッチ』が注目を集めているというニュースを見た。 バッチには、「花粉症です うつりません」といった文字が書かれており、それを鞄など目に付きやすいところに付けておくというもの。
そのニュースを見て真っ先に思い浮かんだのが、あのマスクのおじさん。 「おじさん、こんなバッチもあるみたいですよ」と教えてあげたい。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 私見に入ろう。

 何でもバッチをつければ許されるがごとくの社会風潮を好まない私だが…
 バッチ付けるよりもその場で誠実に議論しようよ、とでも言いたくなる。
 上記ネット情報内にも、マスクをめぐる乗客同士の口論の話題が出ているが、もしも私がその場に鉢合わせたら、その口論に加わってしまいそうだ。😨 

 
 ところでよく考えてみたら、新型コロナウィルス騒動のせいで、私はここ1週間以上電車に乗っていないことに気が付いた。
 無意識的に電車を避け、なるべく徒歩圏内で用を足す習慣がすっかり身についてしまっているようだ。 それが功を奏し感染から免れているかもしれない。

 昨日久々に電車に乗った亭主が言うには、土曜日の昼間にもかかわらず都心を走る電車内がガラ空きとの事だ。  皆さん考えることは同様なのだろう。

 だが、繰り返すがバッチに依存するのは私は嫌だ。
 もしも電車内で“はっくしょ~~~~ん!!”とくしゃみをして口論になったらなら、その喧嘩買って立とうじゃないか!!
 
 えっ??  イチコロでやられてしまうぞ、って?? 😵