今朝方、以下のネット情報を発見した。 冒頭より当該情報の一部を引用しよう。
「林修氏が新型コロナ問題でワイドショーを批判 TV報道はどうあるべきか」
2020年03月22日 17時40分
新型コロナウイルス関連の報道が続く中、10日放送の『林修の今でしょ! 講座』(テレビ朝日系)では、林修氏によるワイドショー批判が行われた。 今回、TV報道はどのような役割を担ったのだろうか。
■林氏のTV報道批判
林氏は「テレビ観てるとねぇ、素人がネットで聞きかじった情報であーだこーだ言って、あの時間みんなムダなんですよ。感染症の専門の方の意見だけが聞きたい」と言っている。
新型コロナ報道で一部から批判も寄せられている、同じテレビ朝日系列の『モーニングショー』への批判ではないかとも言われるのだ。
■比較に基づく冷静なやり取り
林氏は感染症の専門家である堀賢教授に「昨年のインフルエンザの死者数と比較したとき、新型コロナウイルスはそれほど恐ろしいのか?」と質問。
さらに、「ここまでいろんな経済活動を止めてまで恐れなければならない病気なのか」との問いに、堀教授は「日本においてはそれほど怖くないというのは正しい」と回答した。
つまり「致死率がそれほど高くないので、世界的に流行してきている風邪のようなもの」であると。
■足を引っ張るワイドショー
林氏はインフルと比較しており、なおかつ経済的リスクにも視野が及んでいるのだ。新型コロナそのものにおける最大の危機は「医療崩壊」にあることがイタリアなどの事例で明らかになっている。
PCR検査を促すことはまさしく医療崩壊につながりかねない。経済的リスクも含めあらゆる観点からして、冷静さを促すのがマスメディアの使命だろう。
それを「正しく恐れる」という有名なフレーズが表すのであり、連日のワイドショーによって不安を煽るTV報道は最も足を引っ張ったといえる。
■TV報道のあり方
林氏は、まさしくその点においてワイドショーを批判しているのだ。Twitter黎明期で情報が凝縮されていた3.11時と比べても、トイレットペーパー騒動に見られるように、SNSも今となっては弱点の一部。パニックを抑えることこそが肝要だ。
冷静さを保とうとしている1つのワイドショーをとりあげれば、 TBS系列の『ゴゴスマ』は、PCR検査を煽っていた医療ジャーナリストの森田豊氏の登板を3月9日以来ほとんどなくし、代わりに冷静な解説をする医師の後藤礼司氏の登板を増やしているようである。
■よい専門家とは何か
森田豊氏も医者なのではあるが、ジャーナリストの肩書きが政治的発言を促すのかもしれない。一方で、医者の肩書きのみの場合は専門の範囲を超えない冷静なコメントになりがちだ。
しかし後藤医師のコメントは経済や政治にも考えが及んでいるようにみえる。林氏もそうであるように、経済への深い知見を持ちながらのコメントが重要だ。
ジャーナリストでは広く浅い知見での不安を煽るコメントになりがちだが、ある程度広く深い知見でのコメントこそが重要なのである。
■リードするSNSメディア
TV報道が足を引っ張ったならば、今回活躍したのはなんだろうか。有益な情報はWeb上で多く発信された。
SNSは弱点でもあるが同時に強力なツールでもあったのだ。世界的な困難にはさまざまな深い知見を融合しなければならない。福祉政策論の分野では、このようにアイディアが力を持つ政策過程を言説政治という。
同様にSNSから発信される知見は大いに新型コロナ問題の展望を示していた。ワイドショーが信頼されるには広く深い知見を持つ専門家をSNSからいっそうに積極的にとり入れる必要があるだろう。
(以上、今朝方見たネット情報の一部を引用したもの。)
私は本エッセイ集に於いて、2018.11.20付で 「『プロ』と『素人』をそれ程“線引き・区別”せねばならないか?」 と題するバックナンバーを公開している。
その一部を、以下に再掲載させていただこう。
今回のエッセイは、決して上記フリージャーナリスト安田氏の言動に関する議論を提示しようとするものではなく、あくまでも表題の通り「プロと素人間の線引き」に対する私論を述べる趣旨である。
何故本日、その私論を述べようと志したのかと言うと。
2,3日前に、某プロのジャーナリストによるフリージャーナリスト安田氏の行動に関して、「素人がつべこべいうのは間違っている、云々…」の趣旨文面を発見したからに他ならない。
そのコピーを取り忘れた、と言うよりも。 その後日数が経過するにつれ、その文面を思い出しては何だか“腹立たしさ”が煽られるのだ。
と言うのも当「原左都子エッセイ集」など、まさに一ド素人がド素人の立場で私論オピニオンを羅列した文集に過ぎない。(いえいえ、中には自分の専門に基づき念入りに内容を検証・監修した上で公開しているエッセイも少なくないのだが。)
上記ネット文面は、あくまでも“ツイッター”等々ネット上のSNS類に記載されている“素人文面”をやり玉に挙げていたのではあるが。
そうだとしても今のネット時代に於いては、米国のトランプ大統領とてツイッターで好き放題暴言を吐いている。 日本の国会議員とてFacebook登録したり、やはりツイッター等で安易な見解を述べたりしているじゃないか!?
そんな現代の時代背景下に於いて、何故素人(要するに“一般人”という事なのだろう)がそれを真似ることを、プロの立場から全面否定されねばならないんだ!?!
事のついでに、現在“フリージャーナリスト安田氏問題”が“素人間で”如何に議論されているかを紹介すると。 (以下に、本日朝ネット上でたまたま発見した文章の一部を引用する。
安田純平氏開放を自己責任論で叩くのは賛否両論ありますが、ジャーナリストの評価は真実を如何に正確に報道しているか、虚偽の情報は含まれていないのかを常に疑われる訳であって、安田氏の取材は欧米のジャーナリストであれば当然の事だと、どんな評価されるべき作業であるそうです( ̄▽ ̄)b
(以上、ネット上より一素人氏が公開したと思しき文面より引用したもの。)
エッセイの本題からズレるが、ここで原左都子自身の安田氏に関する“感覚”(あくまでも“感覚”範疇であり、私見と言えるまでの意思を含有していないことを断っておく)を少しだけ述べさせて頂こう。
安田氏が開放されて帰国した直後に安田氏の実父母がメディア会見に応じた現場での発言に、大いなる違和感を抱かされた。 未だ何らの開放背景も把握されていない状況下に於いて、私が安田氏の親ならばまずは「国民の皆さん、息子が迷惑をお掛けしたことをお詫びします。」と開口一番に謝罪したであろう。
ところが、安田氏実父母氏達のインタビュー内容は大いに違った。 特に母親氏は「今まで本当に辛かった…」と言うなりメディア報道の目前で目頭を押さえたのだ。
片や安田氏ご本人は、帰国直後の長~~い記者会見の中で明瞭に自己の責任論を述べた。 要するに、今回の事件は“自己責任範疇だ”と認めた、と私は解釈している。
その後、安田氏がすっかりメディアに姿を見せなくなっている。 今現在安田氏ご本人が何を考え、プロのジャーナリストとして如何なる将来像を描いているのか、残念ながら測り知れない。
などとド素人の立場で自分の“感覚”を無責任に述べたりしたものならば、上記のプロジャーナリスト氏より再び「素人は黙れ!」なるバッシングを受けるのかなあ。
何故本日、その私論を述べようと志したのかと言うと。
2,3日前に、某プロのジャーナリストによるフリージャーナリスト安田氏の行動に関して、「素人がつべこべいうのは間違っている、云々…」の趣旨文面を発見したからに他ならない。
そのコピーを取り忘れた、と言うよりも。 その後日数が経過するにつれ、その文面を思い出しては何だか“腹立たしさ”が煽られるのだ。
と言うのも当「原左都子エッセイ集」など、まさに一ド素人がド素人の立場で私論オピニオンを羅列した文集に過ぎない。(いえいえ、中には自分の専門に基づき念入りに内容を検証・監修した上で公開しているエッセイも少なくないのだが。)
上記ネット文面は、あくまでも“ツイッター”等々ネット上のSNS類に記載されている“素人文面”をやり玉に挙げていたのではあるが。
そうだとしても今のネット時代に於いては、米国のトランプ大統領とてツイッターで好き放題暴言を吐いている。 日本の国会議員とてFacebook登録したり、やはりツイッター等で安易な見解を述べたりしているじゃないか!?
そんな現代の時代背景下に於いて、何故素人(要するに“一般人”という事なのだろう)がそれを真似ることを、プロの立場から全面否定されねばならないんだ!?!
事のついでに、現在“フリージャーナリスト安田氏問題”が“素人間で”如何に議論されているかを紹介すると。 (以下に、本日朝ネット上でたまたま発見した文章の一部を引用する。
安田純平氏開放を自己責任論で叩くのは賛否両論ありますが、ジャーナリストの評価は真実を如何に正確に報道しているか、虚偽の情報は含まれていないのかを常に疑われる訳であって、安田氏の取材は欧米のジャーナリストであれば当然の事だと、どんな評価されるべき作業であるそうです( ̄▽ ̄)b
(以上、ネット上より一素人氏が公開したと思しき文面より引用したもの。)
エッセイの本題からズレるが、ここで原左都子自身の安田氏に関する“感覚”(あくまでも“感覚”範疇であり、私見と言えるまでの意思を含有していないことを断っておく)を少しだけ述べさせて頂こう。
安田氏が開放されて帰国した直後に安田氏の実父母がメディア会見に応じた現場での発言に、大いなる違和感を抱かされた。 未だ何らの開放背景も把握されていない状況下に於いて、私が安田氏の親ならばまずは「国民の皆さん、息子が迷惑をお掛けしたことをお詫びします。」と開口一番に謝罪したであろう。
ところが、安田氏実父母氏達のインタビュー内容は大いに違った。 特に母親氏は「今まで本当に辛かった…」と言うなりメディア報道の目前で目頭を押さえたのだ。
片や安田氏ご本人は、帰国直後の長~~い記者会見の中で明瞭に自己の責任論を述べた。 要するに、今回の事件は“自己責任範疇だ”と認めた、と私は解釈している。
その後、安田氏がすっかりメディアに姿を見せなくなっている。 今現在安田氏ご本人が何を考え、プロのジャーナリストとして如何なる将来像を描いているのか、残念ながら測り知れない。
などとド素人の立場で自分の“感覚”を無責任に述べたりしたものならば、上記のプロジャーナリスト氏より再び「素人は黙れ!」なるバッシングを受けるのかなあ。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を再掲載したもの。)
最後に、私見だが。
林修氏と言えば過去に大学受験予備校にて、予備校生相手に受験対策授業を行っていた人物と認識している。
受験予備校講師の使命とは、予備校生を大学に合格させるに尽きるであろう。
その業を全うするに当たり、両者間に於いて「議論」や「話し合い」へったくれなど何ら必要なかった事であろう。
上記テレビ内での林氏の発言とは、要するに「素人は出しゃばるな! 黙れ”」と要約出来そうだが…
上記予備校講師を経験した人物として、“素人(生徒)にものを言わせない!” 業務経験が身に染み入っている立場からの発言なのだろうか???
私も日頃テレビ番組ワイドショーにて、林氏がおっしゃるところの“素人が聞きかじりのくだらない発言”をしている場面を見る機会がある。
あれ、番組側の方針として、敢えてそうしていると私は捉えているのだが。
特に“新型コロナウイルス感染”等対象事象の“専門性”が高い場合、いきなり専門家がその分野のうんちくを述べるよりも、その場面を入れた方が素人視聴者も理解し易いのではないか、と私は判断している。
林氏がおっしゃるところの、「ある程度広く深い知見でのコメントこそが重要」に関しては、もちろんその通りであろう。
ただテレビ視聴者のレベルを勘案した場合、まずそのレベルに合わせた番組作りをすることも肝要ではなかろうか?
特に、現在世界を席巻している“新型コロナウィルス事案”のような場合、その専門家である医学者とて初めて体験する事態だ。
そんな医学者にとって「広く深い知見」を得るには、素人の疑問こそが大きな問題提起になり得るとも考えられないだろうか。
林修さん、どうでしょうか??