原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

キャリアある娘にとって母とはそもそも価値観が合わない存在

2020年03月14日 | 人間関係
 郷里の高齢者自立支援施設に暮らす実母の様子が、最近とみに異様だ。


 1月末頃郷里へ旅に出る前日に、実母から「施設には寄らなくてよい」との電話がかかって来た事に関してはバックナンバ-にて述べた。
 その少し前に、私が持参する手土産に関して、「粗末なものを持参されると私の顔に泥を塗られるから、恥ずかしくないものを持って来るように。」との趣旨の電話があったことも述べた。 (今までも決して私が粗末なものを持参した訳でもないのに、実の娘に対する発言として究極失礼な物言いだった…)

 我が母の元々の資質として、その種の“愚かさ”が内在している事はとうの昔から認識している。 
 それにしても…
 誰が考察しても、遠くに暮らす娘に対する実母の上記発言は“非常識”であろう。

 その後、新型コロナウィルス騒動が発生した頃に実母から電話があった。
 その内容とは。 コロナウィルス騒動で施設からの外出が一切禁止になった事実や、自分の体調に関して述べたのだが。 
 それは良しとして、我々一家に対する感染への心配等の配慮が一切無い電話だった。  特に日々満員電車で通勤している孫である我が娘の様子を一言くらい聞いてくれても良さそうなのに、何も言わないまま…  一方的に自分の事を喋り散らして電話は切れた。  
 電話が切れた後、私は思った。  (こいつ、親じゃ無い… )

 もしかしたら、一種の認知症かもしれない。  どうも1月末の電話頃から、私への愛情はおろか、配慮の一切合切が感じられなくなった。 
 ただ、今年88歳を迎える実母だ。
 今後心の交流が持てないまま死に至っても、それで良いのではないかとも思える。  我が最後の責任として母の葬儀を実行し、母自らが申し込みをしている郷里の永代供養墓へ入れれば、それで母との縁も完全に途絶える。
 後少しの辛抱か、とすら思う…
  我が母の利点は、「来るな!」とは言っても「来て欲しい」と泣きつかないことだ。  高齢身内を抱える娘として、こんなラッキーはないとも言えるだろう。


 さて、本日2020.03.15付朝日新聞“なやみのるつぼ”の相談は、40代独身女性による「母と価値観が合わない」だった。  以下に、要約引用しよう。

 40代、キャリアウーマンの専門職女性だが。 20代で都心にマンションを買い、今も独身で同年代男性以上の収入がある。
 1年に数回海外旅行を楽しみ、一緒に行ってくれる友人もいるし、語学力もある。 自分の稼ぎで衣食住を賄えることに誇りを感じており、大きな不満もない。
 最近父が病気で急逝し、70歳を超えた母が残された。 就労経験の無い母は自分で何も決められない。  だが、不平不満は口にする。
 私は昔から母と意見が合わない。 父とは仲が良く、その父の遺言でもあり、母の面倒はみたいものの。  人の悪口と自分が哀れであることにしか興味が無い母との時間が苦痛だ。 
 今後10年か20年、私はどのように母に接していけばよいのだろうか。
 (以上、朝日新聞本日付“悩みのるつぼ”相談内容を要約引用したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 いやはや、我が身に照らし深刻な相談とみた。

 何だか独身時代の境遇が私と酷似している相談女性だが。
 私と決定的に異なる項目とは、私は40代手前で婚姻し出産したことだ。
 この事実こそが確かに、我が実母との“緩衝材”の役割を果たしてくれた。

 しかも相談女性の母親氏とは決定的に異なり、我が母は定年まで地方公務員を全うした。
 その経済力により、我が娘にどれだけのブランドもの子供服等々を東京の我が家に宅配してくれたことか。 母から送られた物品で我が娘は育ったようなものだ。

 そのように思い返してみると。  我が母も過去に於いて、実に役立つ存在だったと今振り返る。
 朝日新聞相談者氏のお母上は、未だ70歳を超えたばかりとのこと。  確かにその後、相談者女性が全面的にお母上の面倒を見るには長過ぎる年月だ。

 ちょっと待てよ。
 70歳を超えたばかりのご年齢で、何故娘に依存するべく生活を欲しているのだろう??  
 この私など、70代はまだまだ青春と認識・期待し一人で羽ばたこう!と意図しているのだが。😜 

 それを思うに確かに今回の“悩みのるつぼ”相談内容は、深刻だ。😨