(冒頭写真につきましては、本文末に紹介しております。)
私は、2度目の大学に於いて「科学哲学」にはまった。
それを講義頂いたA先生の“追っかけ”をして、A先生の他の哲学関連授業すべてを網羅した事に関しては、バックナンバーにて幾度が述べている。
(参考だが、我が専攻は「経営法学」であり、「科学哲学」はあくまでも一般教養科目として受講したのだが、2度目の大学時代にダントツにインパクトがあった授業だった。)
そのA先生が授業の最初におっしゃったのが。
「世には偉大な哲学者が数多く存在する(した)が、私が一番影響を受けたのは、ウィトゲンシュタインとプラトンです。」
プラトンに関しては比較的学習しやすかったこともあり、この私もその勉学を頑張った。 (後に産んだ我が子の命名を「プラトン哲学」より引用したりする程に、私はプラトンにかぶれていた。)
さて今回、偉大な哲学者 Wittgenstein関連エッセイを綴ろうと志したきっかけは、冒頭写真の朝日新聞記事を見たことによる。
比較的学術記事が充実している朝日新聞に於いてさえ、Wittgensteinを題材にした記事を発見する機会は稀なことだ。
数年前(と思っていたら何と2009年だったため、12年も前の記事だったようだ!)にも朝日新聞内でWittgenstein関連記事を発見し、私は以下のエッセイを公開した。
本エッセイ集 2009.01.26公開の、「偉大なる哲学者の遺産」と題するエッセイを、以下に再掲載させていただこう。
ウィトゲンシュタインと言えば、20世紀を代表する哲学者の一人である。
私は残念ながらウィトゲンシュタインの著作を一冊も紐解いておらず、その業績に未だ触れずにいる。そんな私ではあるが、哲学者ウィトゲンシュタインの名前は私の脳裏に鮮明に刻み込まれている。
それには理由がある。
30歳代での再びの学生時代に、私は当時の自分の専門ではなかった哲学にはまり、卒業認定単位とは関係なく哲学の授業を何本もはしごしたのだが、その中で一番没頭したのが「科学哲学」であった。
この「科学哲学」の授業に大いにインパクトを受けた私は、担当講師(他大学の教授でいらっしゃったが、我が大学には講師で来られていた)の先生を密かに尊敬申し上げた。そして、この先生の追っかけをして「科学哲学」を2年に渡って2度(単位取得後の再受講は原則禁止のため2度目は“隠れ受講”だったのだが)と、同先生による「自然科学概論」を受講したのである。
(私が最初に「科学哲学」にはまったのは、おそらく元々理系で医学関係の職業経験があったというバックグラウンドも大きいと思われるが。)
この先生をここではA先生としておこう。 このA先生というのが、とにかく“哲学者”そのものでいらっしゃるのだ。浮世離れしているというのか、冗談のひとつも出ないどころか、無駄口の一切ない授業で口を開けば哲学なのである。そのためか学生には滅法不人気のようで、大教室にいつも受講生が10名程しかいない。 最初の頃は訳がわからないまま授業に出ていた私であるが、そのうちA先生の哲学の世界にどんどんと引きずり込まれていった。
このA先生の授業が、これまた唐突だ。いきなり英文の哲学論文のコピーを受講生に配布する。そして、前方に座っている私に「じゃあ、あなた、ちょっと訳して下さい。」と来るのだ。哲学専門用語はてんで分からないし、辞書も持ち合わせていない。四苦八苦しながらしどろもどろ日本語に訳していると、専門用語に関しては先生が手伝って下さりながら、私は何とかプラトンに関する論文を訳した記憶がある。 こういう授業の唐突さも不人気で、さらにだんだんと受講者が減っていき、結局最後まで残ったのは私を含めて3、4人だったように思う…。
私は残念ながらウィトゲンシュタインの著作を一冊も紐解いておらず、その業績に未だ触れずにいる。そんな私ではあるが、哲学者ウィトゲンシュタインの名前は私の脳裏に鮮明に刻み込まれている。
それには理由がある。
30歳代での再びの学生時代に、私は当時の自分の専門ではなかった哲学にはまり、卒業認定単位とは関係なく哲学の授業を何本もはしごしたのだが、その中で一番没頭したのが「科学哲学」であった。
この「科学哲学」の授業に大いにインパクトを受けた私は、担当講師(他大学の教授でいらっしゃったが、我が大学には講師で来られていた)の先生を密かに尊敬申し上げた。そして、この先生の追っかけをして「科学哲学」を2年に渡って2度(単位取得後の再受講は原則禁止のため2度目は“隠れ受講”だったのだが)と、同先生による「自然科学概論」を受講したのである。
(私が最初に「科学哲学」にはまったのは、おそらく元々理系で医学関係の職業経験があったというバックグラウンドも大きいと思われるが。)
この先生をここではA先生としておこう。 このA先生というのが、とにかく“哲学者”そのものでいらっしゃるのだ。浮世離れしているというのか、冗談のひとつも出ないどころか、無駄口の一切ない授業で口を開けば哲学なのである。そのためか学生には滅法不人気のようで、大教室にいつも受講生が10名程しかいない。 最初の頃は訳がわからないまま授業に出ていた私であるが、そのうちA先生の哲学の世界にどんどんと引きずり込まれていった。
このA先生の授業が、これまた唐突だ。いきなり英文の哲学論文のコピーを受講生に配布する。そして、前方に座っている私に「じゃあ、あなた、ちょっと訳して下さい。」と来るのだ。哲学専門用語はてんで分からないし、辞書も持ち合わせていない。四苦八苦しながらしどろもどろ日本語に訳していると、専門用語に関しては先生が手伝って下さりながら、私は何とかプラトンに関する論文を訳した記憶がある。 こういう授業の唐突さも不人気で、さらにだんだんと受講者が減っていき、結局最後まで残ったのは私を含めて3、4人だったように思う…。
学生の人気におんぶしたがる大学教員も多い中で、A先生はそういうことには我関せずで、相変わらず哲学者でいらっしゃる。これがまた魅力的だった。
ウィトゲンシュタイをいつかは紐解きたいと思いつつ、未だ実現していない。
そうしたところ、先だっての(2009年)1月18日(日)の朝日新聞日曜版別刷り「奇想遺産」のコラムにウィトゲンシュタインが取り上げられていて、久々にA先生のことを思い出した、といういきさつである。
この朝日新聞記事に目を通すと、偉大な哲学者ウィトゲンシュタインの横顔を垣間見る事ができ興味深い。
“ウィトゲンシュタイン・ハウス 大哲学者癒した「建築療法」”と題する記事の一部を以下に要約してみよう。
ウィトゲンシュタインの人生は2期にわかれる。極限まで論理の抽象化を進めて、数学のようにかわいてスカスカな印象を与える『論理哲学論考』は、哲学の歴史を変えた本と今では言われる。しかし、時代の先を行き過ぎて誰からも理解されない。
厳密な彼が建築デザインしたウィトゲンシュタイン・ハウスは物の寸法からディテールまで異様なほどに整理されている。彼は2年間この家の設計と工事に没頭することにより人間が変わった。後期は普遍的な厳密さより、多様なコミュニケーションを大切にする人間的なものとなった。箱庭を作って患者をなおし、いやすという箱庭療法というメリットがあるが、これは大哲学者の「建築療法」であった。大哲学者ともなると箱庭療法の結果さえ、歴史に残った。
以上の朝日新聞の記事を読むと、私が尊敬申し上げるA先生は、もしかしたら前期のウィトゲンシュタインの影響を大きく受けているのではないかと、私には見受けられる。何やら、前期のウィトゲンシュタインとA先生に共通点があるように感じられるためだ。
ウィトゲンシュタイをいつかは紐解きたいと思いつつ、未だ実現していない。
そうしたところ、先だっての(2009年)1月18日(日)の朝日新聞日曜版別刷り「奇想遺産」のコラムにウィトゲンシュタインが取り上げられていて、久々にA先生のことを思い出した、といういきさつである。
この朝日新聞記事に目を通すと、偉大な哲学者ウィトゲンシュタインの横顔を垣間見る事ができ興味深い。
“ウィトゲンシュタイン・ハウス 大哲学者癒した「建築療法」”と題する記事の一部を以下に要約してみよう。
ウィトゲンシュタインの人生は2期にわかれる。極限まで論理の抽象化を進めて、数学のようにかわいてスカスカな印象を与える『論理哲学論考』は、哲学の歴史を変えた本と今では言われる。しかし、時代の先を行き過ぎて誰からも理解されない。
厳密な彼が建築デザインしたウィトゲンシュタイン・ハウスは物の寸法からディテールまで異様なほどに整理されている。彼は2年間この家の設計と工事に没頭することにより人間が変わった。後期は普遍的な厳密さより、多様なコミュニケーションを大切にする人間的なものとなった。箱庭を作って患者をなおし、いやすという箱庭療法というメリットがあるが、これは大哲学者の「建築療法」であった。大哲学者ともなると箱庭療法の結果さえ、歴史に残った。
以上の朝日新聞の記事を読むと、私が尊敬申し上げるA先生は、もしかしたら前期のウィトゲンシュタインの影響を大きく受けているのではないかと、私には見受けられる。何やら、前期のウィトゲンシュタインとA先生に共通点があるように感じられるためだ。
そして私も、哲学の本髄とは極限まで論理の抽象化を進めることにあるようにも感じる。
いや~~、それにしても、ウィトゲンシュタインといいA先生といい、真に偉大な学者というのは一見変人のように見えても、必ずや後世に影響力という遺産を残せる普遍の存在であるものだ。
いや~~、それにしても、ウィトゲンシュタインといいA先生といい、真に偉大な学者というのは一見変人のように見えても、必ずや後世に影響力という遺産を残せる普遍の存在であるものだ。
(以上、本エッセイ集2009.01公開バックナンバーの一部を再掲載したもの。)
以上は、我が大学時代の「科学哲学」講義ノートより、ウィトゲンシュタインに関連するページを転載したもの。
この中から、ウィトゲンシュタインに関する記載の一部を以下に紹介しておこう。
ウィトゲンシュタインの活躍後期は、grammer,rule との概念が問題の中心だった。 これを見出すことが哲学の主幹であり、単純な規則性はナンセンス。
我々の生活は“言語ゲーム”である。 ゲームである以上、何らかの規則性が必要。 その規則性を見て取ることが哲学の目的である。
following the rule。 例えば、算術の規則においていくつかの例を与えると。 15+17= 32 15+17= 52 後者は算術の規則を誤った形で適用したものであり、懐疑主義者であったわけではない。
言葉の使い方は生き方に繋がる。
あらゆるものが規則に従っているわけではないが、規則性を見出すことに哲学の目的がおかれている。 (ただ、すべてのことを言語表現することは不可能だ…)
合理的であるものとそうでないものとの区別がうまくつかないのは、合理性rationarity の概念がこれまでと食い違っているためか…
(以上、我が「科学哲学」講義ノートより一部を引用したもの。 何分“聞き取り書き”のため、聞き取り間違いがあることをご承知いただきたい。)
最後に、冒頭写真の哲学者・古田哲也氏に関する情報をウィキペディアより一部紹介しておこう。
古田哲也氏は、1979年生まれの現在42歳?。
東京大学准教授。
著書「はじめてのウィトゲンシュタイン」が好調発売中。
いやはや、お若くして実に素晴らしい!
早速その著書をゲットして読破しようじゃないか!!