原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

貴方が一番集中できる勉強場所、って何処?

2020年04月19日 | 時事論評
 冒頭より、昨日2020.04.18付朝日新聞朝刊「天声人語」を以下に要約して引用しよう。


 集中して勉強できる場所を問われれば、自宅ではなく図書館や喫茶店を挙げる人もいるだろう。 
 滅多に入ることはないけれど、ここもなかなかいいと言われる場所がある。
 それは「監獄」である。
 何度も入れられた大正期のアナーキスト大杉栄の場合、獄中の時間の多くを語学にあてた。 「一犯一語」を目標に、国際語エスペラントからイタリア語、ドイツ語と続けた。 6ヶ月後にはかなり読めるようになったと、著書「獄中記」に書いている。
 2年半という長めの刑期の際には、人類学や社会学にも挑戦した。 あれも読みたい、これも読みたいと考えると、刑期をどうかもう半年増やして欲しいと、本気で考えるようになったそうだ。

 緊急事態宣言が全国に広がった。 家にいるのを余儀なくされ、大型連休の遠出もままならなくなりそうだ。 ここは獄中の大杉の境地に立ってみるのも悪くない。
 (中略)  
 さて、こうした刑期いや自粛の期間はどれくらい続くのだろう。 世界的流行を抑えるには、外出規制などを2022年まで断続的に続ける必要があるという、米研究者の予測も出ている。 
 少なくとも、我が政府が掲げる「5月6日まで」とは思わない方がよさそうだ。

 (以上、朝日新聞2020.04.18付「天声人語」より引用したもの。)


 私事に入ろう。

 学生時代が長かった私だが、特に2度目の30代の大学・大学院時代の6年間は“学業に励む”時間と場所の確保に難儀した。
 何分勤労学生の身分だ。 
 昼間の学生生活が終了するや否や、夜間の仕事のために職場へ駆けつけねばならない。
 今思い返すに、どうやってその時間と場所を工面したかと言えば。 やはり大学構内だ。 授業時間に空きがある時は必ずや「自習室」へ駆け込んだ。 我が2度目の大学・大学院はこの「個室自習室」が充実していて、必ずや“空き自習室”が確保出来たものだ。 (と言うのも、通常の若き学生どもは、大学構内で“自習”になど励みやしない故だ。) これは助かった。
 
 図書館に関して言えば、私はどちらかというと好まない。
 人が多い故だ。 まさか大学生にまでなって図書館で喋くり倒す愚か者はいないのだが、人の存在そのものが気に掛かる。 
 出来れば一人になりたかったものだ。

 夜に話を移せば、飲兵衛の身にして酒の付き合いもあるし😋 、また恋愛活動も積極的にこなした立場としては、その時間も貴重だ。😍 

 あるいは大学が長期休暇時期はいつも昼間は医学関連の仕事に励んだのだが、その時には昼休み時間こそが貴重だった。 それこそ喫茶店やレストランでそそくさと昼食を済ませた後、読書に没頭した。
 よくぞまあ、都会の混雑した食事処で「哲学書」や「法学書」を読み込んだものだが、慣れとは凄いものがあった。 そんなのヘイッチャラで、本の内容に集中出来て、それを元に幾つもの小論文をしたためたものだ。


 監獄、いいじゃないの!
 私ももしも入る機会があれば独房に入れてもらって、学問に励みたいなあ。
 雑魚寝の部屋は御免被りたいものだ。 是非とも独房がいい。
 そして、願わくばそこで合間に“ダンスエクササイズ”もさせて貰えたらならば、心身共に健全を保てそうで言うことは無い。


 ああーーー。  それよりも、だ。

 「天声人語」結語部分に記されている通り、政府が言うところの「自宅自粛は5月6日まで」など、大嘘だ!  米研究者の「2022年まで断続的に続けるべき」 こそが正論であろう。
 2022年まで“監獄暮らし”が続くのは、学問好きのこの私も耐えがたいかも…😱 

本日の春の嵐が “新型コロナウィルス” を洗い流してくれるとよいが…

2020年04月18日 | 時事論評
 (冒頭写真は、先程我が家の室内より南側バルコニー方面を撮影したもの。)


 まさに“春の嵐”の様相だ。
 朝目覚めてからずっと、大粒と言うよりも“シャワー”か“大波”と表現した方が適切な大雨が大風に煽られて、我が家の南面窓にバシャ!!バシャ!!と連続的に叩きつけている。

 これ、大窓の掃除係としては助かるのだが…  雨が上がった後、綺麗に掃除されていたりする。 😝 
 と、そんな呑気なことは言っていられない。 昼頃には私が住む自治体に「洪水警報」が発令された。  また石神井川が氾濫しているかもしれない。😨 

 ただ本日はさすがにこの悪天下で、「外出自粛要請」が発令されずとて乱りに外出する人は少数となるだろう。 テレビ報道で見聞しても、繁華街に出没している人の姿は極端に少ない。



 話題を変えて、つい先程見た東京都内の病院に関するネット情報を以下に引用しよう。
 
 大規模な院内感染が発生した東京・台東区の永寿総合病院について、厚生労働省のクラスター班は、「感染した患者と陰性の患者が混在していた」などとする報告書をまとめた。
 永寿総合病院では、これまでに入院患者や医師など187人が新型コロナウイルスに感染し、このうち24人が死亡している。
 原因を調査していた厚労省のクラスター班は、院内で集団感染が発生したのは3月14日ごろで、感染した患者と陰性の患者が病棟内で混在する感染リスクの高い状態が続いていたと指摘した。
 また、感染した患者が別の病棟に移されたり、医師や看護師の病棟間の移動などが感染拡大の要因としている。
 クラスター班は、さらに調査を進めるとともに、退院した患者など、その後の経過も追うことにしている。
 (以上、ネット情報より引用したもの。)


 臨床医療現場の現状とは、上記栄寿総合病院同様に悲惨な状態であろう。

 都内某区部地域基幹病院に於いては、3月に入ってから局面が大きく変化したようだ。 3月末頃には38床あるフロアを新型コロナ専用に切り替えたものの、研修医師が感染し、他の研修医師を自宅待機とし、一般救急の受け入れを一時制限せざるを得ない状況下に陥った。 
 4月中旬になり、敷地内に白いテントを張った。 院内感染を防ぐために来院者は全員まず体温測定の後、熱があればこのテントへ移る事となっているようだ。 看護師による問診の後、新型コロナの疑いがある場合は、院内に設けた専門外来で診察を受けるしくみとの事である。
 (以上、朝日新聞2020.04.17一面記事よりごく一部を引用したもの。)


 私事を語れば。
 私の場合、元医学関係者とは言えどもそのほとんどの期間を“基礎医学”分野にて活躍した立場だ。 従って “臨床経験”は学生実習時以外一度も無い。
 更には20年程前より“予防医学”を徹底して「病院へ行かない主義」を貫いている。 (幸いなことに、現在のところはそれで事が足りている程の健康体を誇っていると言えるであろう。)
 それ故に現在の病院の実態は、義母の病院付添いの際に多少観察するか、あるいは人づてに聞くしか方策が無い。

 そんな立場で考察しても、“新型コロナウィルス”をめぐる我が国の臨床現場の現状とは、戦後現在に至るまで経験したことが無い程過酷な事態を強いられている事であろう。


 こともあろうに、安倍政権は(その上層部に医学に秀でている人材が誰一人として存在しない事実もあるのだろうが)、 特に医療現場対策に於いて無力な事実が日ごと浮き彫りになっている。😰 
 医療崩壊を阻止するためには、まず政権こそが医療現場改革を率先して成すべきだろうに、これ程までに国内都市部の医療現場が混乱を来している現状下に於いて。

 国民皆に10万円を配ると言ってみたり、突然全国都道府県に「緊急事態宣言」を発令したり…


 東京都に住む原左都子として勘弁して欲しいのは。

    
     この写真は、当エッセイ執筆中のつい先程バルコニーから撮影した写真だが。
 安倍政権って、こんな悪天候下でも大都心市街部上空を平然と羽田着陸航空便を飛ばすんだ… とその“無神経さ”と“配慮の欠落ぶり”に呆れ果てるばかり…😵 


 そんな政権だからこそ、自らの無力な立場を “10万配って”ごまかすしかないのだろうと、  その無能な実態を、哀れにすら思う…

愛すべき生命体たち ー vol.2 -

2020年04月17日 | 芸術
 (冒頭写真は、葛西臨海水族園にて2011.11に撮影した水槽内に生育している東京湾にて採取されたアマモ。  昨日「芸術」カテゴリーエッセイを執筆・公開する際、当該カテゴリー記事を見直していて発見した 2011.11.19公開バックナンバー「愛すべき生命体たち」内で公開した写真。)


 パソコン音痴故にパソコン事故を多発させる私だが。😓 
 つい先だってには、ONEDRIVE被害に関し怒りを込めて😡 述べたばかりだ。
 この「葛西臨海水族園」にて撮影した写真を含め、過去数年間に撮影した膨大な数の写真すべてを旧パソコンに保存していたのだが。 それらは旧パソコン壊滅的故障により根こそぎ紛失してしまっている… (これに関しては少し早い“終活”と捉えるべく、既に心の整理がついている。)

 やむを得ず、goo画像ホルダー内の同じ写真を再掲載した。


 ついでに、バックナンバー本文も以下にその一部を再掲載させて頂こう。

 我が故郷の過疎地に 「鳴門水族館」 と称する水族館が存在していた事を記憶している。
 小学生時代の遠足で海の近くに位置するその水族館へ何度か出かけた。
 当時の我が身丈の2倍程高さがある水槽が、子供心にとてつもなく大きく映った。 科学技術力がまだまだ低い時代背景において、透明性の低いガラスから覗き込む水槽の中は私にとってまさに神秘の世界だった。 数種の魚類が混在して泳ぐ水槽の中で、直径1m程ある“エイ”の奇妙ながらも悠々たる勇姿が幼心に一番印象深かったものだ。
 今回葛西臨海水族園を訪れ、原左都子にとっての水族館の“原風景”とも言える我が郷里の 「鳴門水族館」 が脳裏に蘇った。
 そこで鳴門水族館がいつ閉館したのか等の情報をネット上で検索したところ、興味深い情報を得たので以下に少し紹介しよう。
 鳴門水族館は昭和30年代から昭和57年まで開館していた。 この水族館は規模(の小ささ)などからB級スポットのように思われているが、日本の水産業並びに水族館史において不滅の業績がひとつある。 それは「鯛の人工繁殖」つまり「養殖」に初めて成功し、その業績をもって全国各地の水産試験場に「鯛の養殖」が普及したということである。 このことは、地元の名産ともいえる「鳴門の鯛」と併せて考えると、実に大きな貢献をしたことが分かる。 (以上、ネット情報より引用)
 そうだったのか!
 あのマイナーな水族館がそのような誉れ高き業績を残していたとは、今までまったく心得ていなかった。
 そして昭和57年まで開館していたという事実にも驚かされる。 私自身は小学校の遠足以来訪れていないため、もっと早期に閉館したものとばかり認識していた。

 さて先だって晩秋にして暖かく晴れ渡るある日、私は東京都江戸川区に位置する葛西臨界水族園を訪れた。
 この水族園を訪れるのは、私にとっては今回で4度目の事である。
 初めて訪れたのは恐らく葛西臨界水族園開園後間もない頃だったと思うのだが、今を遡る事20年程前の我が30代後半の高校教員時代である。
 高校の遠足(校外活動)行事で生徒を引き連れ(連れられて?)この地へ訪れた私が水族園を堪能できるはずもない。 水族園で何かを見た記憶は一切なく、学校を離れて解放感に浸っている男子生徒の一グループと心底語り合った思い出のみが印象深い。(彼女の話等々、生身の男子生徒との会話が私にとって一番印象的だったものだ。)
 我が子が小学校高学年の頃、夏季休暇中に連れて訪れたのが2度目である。 夏休み中で園内は“ゲロ混み”、しかも猛暑で私は“くたくた状態”…  これまた水族園を堪能するには程遠い劣悪な環境だった。
 3度目はほぼ半年前の春の日のことだ。 これに関しては、我がエッセイ集バックナンバー 「パンダの憂鬱、カバの退屈」 と題する記事においても少しだけ述べているが、何と言っても水族園も動物園も“混雑していない時”に行くのが鉄則であることには間違いない。

 今回4度目となる葛西臨海水族園訪問は、原左都子にとって実に印象深いものがあった。
 実は先週この水族園を訪れる以前より、私はこの「原左都子エッセイ集」のコメント欄を閉鎖しようかどうかと大いに迷っていた。 
 そのような心に迷いがある時に水族園を訪れても私の心が晴れるはずもないと心得つつ、それでも私は水族園を訪れてそこに息づく生命体を見ることを志したのである。
 これが大正解だった。
 晩秋の晴れた日に訪れた水族園は、大都会にして人がまばらであった。
 水族園という大いなる環境制限はあるものの、その環境下で生き抜いている生命体の一つひとつを熟視する事が叶った事は私にとっては今回が4回目にして初めてだったのかもしれない。
 上記写真は、葛西臨海水族園においてはさほど目立たない場所にある小さな水槽の展示物である。 それでも、私は今回この水槽の“アマモ”に一番心を奪われたのだ。
 “アマモ”とやらの海草の正体が知りたくて先程ネット上で検索したところ、東京湾で生き抜いているアマモの本来の色彩は青緑色であるようだ。 私が水族園で見た“アマモ”は人工飼育故に既に痛んでいたのであろうか?? 写真の通り黄色黄緑色系の色彩だった。
 ところが(アマモには申し訳ないが)、この色彩が生命体を人工的に演出しているに過ぎない水族園に於いては、まるで美術館で傑作絵画を見るがごとく素晴らしい“芸術”として光輝いていたのである。 
 生命体の生き様とは、それをじっくり観察すると実に芸術的で素晴らしいものがある。
 利潤目的も伴って経営されている水族園や動物園とは、ある方面からは“動物虐待”と批判される一面も共存していることは承知の上だ。 だが特に都会に生きる人間にとっては、それらの施設とは生命体を間近に観察できるまたとはないチャンスであり環境である事には間違いないであろう。

 (以上、2011.11バックナンバーより一部を再掲載したもの。)


    
     
      実は上記共通入場引換券を、朝日新聞愛読者特典として先月無料でゲットしたのだが。  あいにくの“新型コロナウィルス騒動”で、何処の施設も休園中だ。😭 
 私としては、娘を引き連れて「葛西臨海水族園」をチケット有効期間中に再度訪れたいと狙っていた。 娘も6月には有給休暇が取り易いから、それを利用して是非共混雑のない平日に行きたい! と言ってくれていた。

 にもかかわらず…
 この厳しい情勢下に於いて、如何に考察しても都内の行楽施設が6月に再開するとは思えない。

 残念だが、冒頭のアマモ写真でも観賞するしか方策がとれない情けなさ…
 (ただ、実に美しい写真であることには間違いない。😅 ) 

左都子コレクション ー ミュージアムショップで購入した絵はがき編 2 ー

2020年04月16日 | 芸術
 (冒頭写真は、原左都子がミュージアムショップで購入した絵はがきの一部。)


 何本か前に公開した「原左都子コレクション」シリーズ2本目になるが。

 vol1 同様、 以下にそれぞれの絵はがきの解説をさせていただこう。

 
 最上段左から

 〇 徳永陶子 「扇・冬秋夏春」 (想像教育センター)
 〇 徳永陶子 「無限一水」 (想像教育センター)
 〇 ジョアン・ミロ 「花と蝶」 (横浜美術館)
 〇 藤田嗣治 「バラ」 (青山ユニマット美術館)
 〇 シェレ、ジュール 「Libraie Ed. Sagot」 (印刷博物館)  注釈: シェレはフランスの画家だったが、イギリスで石版印刷術を研究し、帰国後、色彩豊かな大判のポスターを数多く作った。 このポスターは、パリの本屋 エド・サゴの広告ポスター。
 〇 パウル・クルー 「攻撃の素材・精神・象徴」 (横浜美術館)


 2段目左から。

 〇 エジプト第3中間期王朝 「彩色木棺」 (松岡美術館)
 〇 片岡球子 「富士」 (横浜美術館)
 〇 小磯良平 「踊り子二人」 (泉屋博古館)
 〇 ドガ・エドガー 「花束を持つ踊り子」 (大塚国際美術館)
 〇 ルノワール・オーギュスト 「ピアノに向かう娘たち」 (同上)
 〇 ゴッホ・フィンセント・ファン 「ヒマワリ」 (同上)

 
 3段目左から。

 〇 クロード・モネ 「しゃくやくの花園」 (国立西洋美術館・松方コレクション)
 〇 アンリ・マチス 「金魚」 (The State Pushikin Musium of Fine Art,Moscow )
 〇 コルネリス・へーム 「果物籠のある静物」 (国立西洋美術館)
 〇  ジャン=シメオン・シャルダン 「プラムを盛ったボウル」 (The Phillips Collrection ) 
 〇 アンリ=ジャン=ギヨーム・マルタン 「花と泉水」 (国立西洋美術館・松方コレクション)
 

 最下段左から。
 
 〇 ポール・セザンヌ 「舟にて」 (国立西洋美術館)
 〇 モーリス・ユトリロ 「モンマルトルのキュスティーヌ通り」 (松岡美術館)
 〇 マイケル・フランシス 「アンティークスザニコレクション 写真右:綿地に絹刺繍 ブラハ、 写真左:綿地に絹刺繍 シャフリシャブス」 (大倉集古館)
 〇 「金製の半月型装飾」 紀元前2400ー前2000 アイルランド (大英博物館展)



 ついでに“おまけ”だが。

    
     これは、上記の「プーシキン」展(2005.10~12開催)観賞のため東京都立美術館へ訪れた際に、無料配布していた アンリ・マチス作「金魚」のポスター。 (360mm × 500mm) 
 参考だが、本物は2~3メートル長方形四方の大型大作だった。
 このマチスの大作 「金魚」 が大いにお気に入りの私にとって、今でもこのポスターは宝物だ。
 台所に飾ったらあれから15年の年月が経過した今となっては油まみれだが、その風情が何だか“アンティーク調”を醸し出し、また別物として素晴らしい我がコレクションである。 (マチスさん、芸術を冒涜して申し訳ございません!)😝 


 今回も前回同様、絵はがきの裏面に記されている注釈に(虫眼鏡に依存しつつ😰 )忠実に従って記載した。 

娘の勤務先が本日より “不定期自宅待機”を採用

2020年04月15日 | 自己実現
 世の職場は“新型コロナウィルス”の影響下に、既にテレワーク、自宅にての業務等々、出勤を回避している所も多い事だろう。


 我が娘は、表題のごとく本日より遅ればせながら“不定期自宅待機”に入った。

 職場毎に、“新型コロナウィルス対策”を苦慮しているようだが。
 特に我が娘の職場(IT企業だが)の場合、普段使用しているIT機種が特殊かつ大型で自宅に持ち帰る訳にはいかないとの事情があるようだ。
 既に3月頃から、職場上層部が職員の勤務態勢をあれこれと模索していたようだが。

 とりあえず“時差通勤制”を採用した後。
 本日より“不定期自宅待機”に突入した。

 娘が言うには、まさに“不定期”らしい。 😲 
 とりあえずは、娘は本日と明日“自宅待機”なのだが、来週以降のスケジュールはまったく決定していないとの話だ。

 「で、自宅待機して何するの?」 と娘に確認すると。
 「私の場合は今後のIT力をアップさせるべく、更なる上級IT資格試験勉強に励む。」との回答だ。

 ここで過去のサリバン(私のことだが)なら、「よし! サリバンがビシビシ指導するぞ!」😈 となるはずが…
 いやはや情けないことに、もう現在のIT分野には完全に付いて行けないだろう。


 実はこのサリバン、20代後半期に「第2種情報処理試験」にチャレンジしたことがある。 
 当時医学分野の専門職員だったのだが、その業務に際し自分達でコンピュータプログラミングをする機会があった。 それには「医学専門知識」が必要なため、その作業を丸ごと当時のIT技術者に任せるには無理があったためだ。
 医学職員の我々がプログラミングをマスターするのが手っ取り早い、との判断で
それに私が申し出て、情報処理の勉学に励んだのだ。
 結果として、情報処理理論やCOBOL、FORTRANの知識を得て、医学業務に必要なプログラミングが叶った。 
 せっかくのその努力を形に残そうと、「第2種情報処理試験」にチャレンジしたという訳だ。  その結果は、残念ながら70点合格の65点で不合格となった…😭 
 その後再度チャレンジしようかとも考えたが、それよりも自分の専門の医学知識を増強する事こそが我が歩むべき道程、と思い直したものだ。

 その当時の私ならば、サリバンとして娘に情報処理指導が叶う気もするが、もはやその知識は忘却の彼方へと過ぎ去っている… 


 さて、娘はこの“不定期自宅待機”中に、自らのIT専門力を増強出来るのだろうか??
 サリバンの後ろ盾があれば安心して勉学に励む習慣が強力に身に付いてしまっている子故に…  どうもそれが得られないとなると、不安げでもあるし…

 ただ、娘よ。 
 ここは自力で頑張らねば、“新型コロナウィルス騒動”が一体いつ終焉するやら図り知れない現実だ。 
 4月に関しては“不定期自宅待機”中も給与支給があるが、5月以降はその日数によっては不安定感もあるとの話のようだし…
 今後の自己資金力増強のためにも、今こそ頑張り時だよ!!😈