原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

猛暑時の「健診」って病気になりに行くようなものだね…

2020年08月14日 | 医学・医療・介護
 本日は娘の職場が指定した「健診日」だ。


 何故これ程厳しい猛暑時に娘が「健診」を受けざるを得ないのか?、と言うと。
 そもそも例年6月頃に実施しているようだが、今年は“コロナ禍”の影響を回避するため8月に延期されたようだ。 (その配慮が返ってとんでもない事態と成り下がり、結局はこれ程までにコロナ感染拡大した時期の実施と相成ってしまった。)😨 

 しかも、健診場所が“新宿”とのこと。😱 
 「ちょっと、まさか“歌舞伎町”じゃないよねえ???」と私が尋ねると、「昨年までは歌舞伎町だったけど、今年は健診センターが移転して“東新宿”。」との娘の回答。
 少し安堵したものの。
 「朝食は食べちゃいけないから、朝ご飯は要らないよ。」と娘。

 ビックリ仰天の私が応えて、「えーーーー!! こんな猛暑日に朝飯抜きで来い、とは健診センターも何を考えているんだ!?  それじゃあ道中熱中症でぶっ倒れて救急車で運ばれよ!、と言ってるも同然じゃないかい?? (この朝飯食べずに来い!との指示に関してだが)貴女の年齢では未だ胃検診はないよねえ? 血糖値でも測るのか? そんなのもっと年取ってからで十分だよ。 云々云々…」

 健気な娘は高齢母の心配をよそに、私が用意したお茶ボトルだけを持参していそいそと健診に出かけた。



 そんな娘の高齢母である原左都子自身の健診歴を、ここで語ると。

 職場に所属していた時期には国家から「健診」が強制されていたが故に、毎年受けざるを得なかった。
 最後に職場からの強制で受けたのは、50歳頃だっただろうか。
 当時、更年期に達しようとしていた私(元々月経過多だった事実をバックナンバーにて公開しているが)は生理の出血量がかなり減少し始めていた時期であり、それまでは一貫して健常値の半分以下だったヘモグロビン値が健常値に近づきつつあった。  
 特異的なのは、HDLコレステロール値が相変わらず高値で推移していたことだ。 基準値の2倍は優にあったと記憶しているが、医師からのコメントとして「この値が高い人は長生きできることでしょう。」と報告書に手書きして下さっていたのが嬉しかった記憶もある。 このHDLコレステロール値に関してはその後も計測する機会があったが、更に高値に推移していたものだ。
 胸部X線撮影に関する医師からのコメントとして、「胸部映像には異常ありませんが、背骨が歪んでいるようです。」と既に指摘された。 (今となっては確実に身体が左に傾いてしまっている。)😵 
 その他、必ず指摘されるのが“痩身注意”だが。 好きで主体的に“痩身”を貫いている身にして、これぞ我が健康維持の秘訣でもあるため。 他者からつべこべ言われる筋合いは無く、放って置いてほしいものだ。

 まあ私の場合、“問題がある箇所”と言えばそれくらいだろう。
 いまだかつて、五臓六腑に関する健診結果で異常値が出たことが無い健康体を誇っている。 
 

 そう言えば、今年も私が住む自治体から「健診の案内」が届いたなあ。
 毎年開封すらせず、それを捨て去っている私だが。

 以前一度開封して中身を見たところ、「一度も健診を受診しない方へ」との文書が同封されていた。 その内容とはもちろん、「必ず受診して下さい」なのだが。
 その片隅に「もし医学関係者等でご自身の身体状況を把握されている方は問題ありません。」云々とあった。 これぞ私に当てはまる、と自分に都合良く解釈して、その後も無視を決め込んでいる。

 今年はどうやら“節目年”のようで、いつもより健診の案内が分厚い。
 それでも私は今まで通り、無視を決め込む予定だ。


 もしも今後仮に健診を受けるとして、そして万一異常が検出されたとしても。
 おそらく私はその異常データよりも自分自身が培って来た“医学的感覚”を優先し、決して取り乱したり大騒ぎしたりはしないようにも思う。

 ただやや不安なのは、この我が“自信”をいつまで維持出来るのか?、と言うことだ。
 きっと、我がポリシーに基づいてこのまましっかりと生きる事が叶えば、その不安は先延ばし出来るように思ったりもする。



 P.S.

 余談ですが、現在原左都子とFacebookとの関係上において混乱を来している様子です。 原因は不明ですがそのためFacebookの使用を控えております。
 今後その回復が叶った暁に、また左欄に我がFacebookからの写真等を公開させて頂きたく考えております。

本日の猛暑・激しい雷雨の後に東京の夕刻の空に架かった七色の虹

2020年08月13日 | 雑記
 (冒頭写真は、つい先程我が家のバルコニーより撮影した東京の七色の虹。)



 本日も、義母所有不動産物件賃貸業にかかわる所用で出かけたのだが。

 その帰り道に急激な雷雨に遭いつつ帰宅した。


 まだ雷雨が激しい中自宅に戻り、そそくさと夕飯を仕立て上げ亭主を呼んだところ。


 亭主が、「素晴らしい虹がバルコニー側から2重に展望出来るよ!」と私に声を掛けてくれる。


 急いでバルコニーに行き、その虹の様子を撮影した。


       
        二重の虹も確認し。


       
        その後晴れ渡った東京の空の虹の色彩がこれまた美しく…


 我が上京後、東京で虹を観察するのは数える程だが。


 確かに、東京の大空を大展望可能なこの上階の我が住まいに引越して来た後、その回数が格段に増えた気がする。



 収まることを知らないコロナ禍や、猛暑の厳し過ぎる日々を過しつつも。

 激しい雷雨後の天からのプレゼントに、心が和んだ一時だった。


猛暑の真昼の訪問者

2020年08月12日 | 医学・医療・介護
 (冒頭写真は、昨日我が家を訪れた私の個人年金を取り扱っている保険会社係員が持参した書類。)


 1週間程前に当該保険会社の女子職員氏より、我が家への訪問予約電話が掛かってきていた。
 何でも上記案件がメイン目的で、我が家に2名の担当者が来られると言う。
 

 この保険会社からは特に我が60歳時点の個人年金受取直前期頃より、係員が入れ替わり立ち替わり我が家を訪れている。

 一番最近訪れたのは、2年程前の事だっただろうか。
 若き男性係員氏が一人でやって来て、玄関先で「動物占い」等を展開して下さる等、楽しいひとときを過した話題は、本エッセイ集バックナンバーにて綴り公開している。
 
 今回は2名で来られるとのこと。 
 この“コロナ禍”しかも猛暑の時期に(随分と“大仰”だなあ。)と感じつつも、その訪問をOKしておいた。

 さて、約束時間ぴったりの午後1時に、集合住宅1階の正面玄関のインターフォンが鳴る。 (近頃の特に大企業からの訪問とは、実に時間に正確だ。 それに感心しつつ上階の我が家の玄関で待っていると、中年美人女性(A女史としよう)と青年イケメン男性(B青年としよう)2人がマスク着用かつ低姿勢でやってきた。

 あらかじめ“コロナ対策”に関しては熟考しておいた。
 昨日は特別猛暑だったため、エアコンフル稼働の上に扇風機を回して室内空気を循環させることとした。 (参考だが、我が家の集合住宅は“24時間換気システム”が元々備わっている。 そのためにすべての窓を閉め切っても密室となることは避けられるのだが、北側の窓を開放して空気循環を強化した。)

 まず二人が案内したリビングルームに入るなり。
 A女史が、「えーーー! ここ凄いですね~。 こんなにリビングからの展望が素晴らしいのですね!!」
 「そうなんです。 これが気に入ってこの部屋にしたようなものです。 そう言えば貴社は西新宿超高層ビル群の一つに本社がありますよね。 どの建物でしょう?」と私が尋ねると。
 A女史、「あーー、あれです! 右から2番目のてっぺんが丸い形のビルです。 何だか目と鼻の先ですね。」

 その後、会合に入った直後の話題に一瞬意表を突かれた。
 やはり先輩の立場であるA女史が話題を切り出す。
 「個人年金受取者の中でも、癌等の病気に悩まれておられる方々は少なくない状況です… (以下略) 」
 ははあ、と合点した私だ。
 私が皮膚癌に罹患したのは40歳時点。 その際に当該個人年金保険の疾病特約を締結していた関係で、当該保険会社より(少額ながらも)保険金を受け取っている身だ。
 その情報が今尚活きている事実を、私側も把握している。 それを私側からすかさず話題に持ち出した。
 (もしかしたら、この私がその経験を元に未だに塞いで生きていると保険会社側が勘違いしていることと察して。)😖 

 「私、この通りピンピンとしぶとく生きています。 何故ならば、私は元々医学部出身の医学関係者であるからに他なりません。 この保険契約を我が高校教員時代に“教職公務員弘済会”から申し込んでいるため、我が職歴がむしろ医学関係者だった時期の方がずっと長かった事実を、もしかしたら貴社がご存じ無いことと察します。」

 どうやらその通りだったようで、その後は我が独壇場だ。
 流暢に我が「皮膚癌経験」を医学的観点から総括しつつ、何故元癌患者にしてこれ程元気に生命を保てているのかに関して説明すると。 

 今度はB青年が、「是非とも今後も保険会社員を貫く立場として参考にさせていただきたいのと加えて…。  実は我が近しい知り合い女性が現在「乳癌」で苦しんでいます。 その人に如何に癌と闘えばよいか伝えたい…」
 何だか話題が急に深刻になってきた…。 (おそらくその女性とは、B青年のフィアンセではなか??)と直感した。  それでも私は冷静にB青年に伝えた。 「癌に打ち勝つ一番の手立ては、正直言って自身に医学知識があることとだと思うのですが。 とにかく主治医と頻繁に話し合いを持って、ご自身の患者としての意思をしっかり主治医先生に伝えたら如何でしょう?」

 これが一番重い課題だったが…。


 そのやりとりを隣で熱心に聞いていたA女史が、「原さんて魅力的で我が業務にもプラスの影響力がある方で、今後も機会があれば原さんと面会したいです!」と言って下さる。
 その前の我が皮膚癌話題の際に、それがために我が人生はその後25年間“ウィッグ”の世話にならざるを得ず、今現在もウィッグを装着している、と暴露すると。
 A女史曰く、「私も年齢的にウィッグに興味があるのですが著名メーカーは超高額なばかりで実りが無く、原さんが現在装着されているウィッグのごとくの素晴らしいウィッグに出会ったことが無い!」と言われるではないか。 
 そこまでおっしゃるならばと。 我がウィッグ遍歴(A女史とカブる部分もあって話を展開し易かったのだが)を語った上で、現在私が装着しているウィッグの詳細を暴露させていただいた。)

 それを、B青年が横で一生懸命筆記していたのに何だか“もの悲しさ”を感じたりもしつつ…


 冒頭写真の話題で訪問してくれた個人年金保険会社の係員氏達だったが。

 結果として、我が“癌遍歴”と“ウィッグ”談義で始終した1時間程の会合”との結果だった。
 我が家からの帰り際に2人揃って、「充実した訪問でした!」とおっしゃって下さったことにこちらこそ感謝しつつ…。


 今後も微々たる当該個人年金の受取を楽しみにしつつ、健康体を維持し続けたいものだ。

「踊り子」考 - vol.2

2020年08月11日 | 音楽
 昨夜、民放テレビにて歌番組を斜め見していると。

 久々に、村下孝蔵氏の「踊り子」が画面に流れた。

 この村下孝蔵氏の「踊り子」を、私は過去に「原左都子エッセイ集」内で取り上げた事を思い起こした。


 早速、当該2009.12.23公開の「『踊り子』考」と題するエッセイを以下に再掲載させていただこう。

 2009年の年末は、私の趣味の一つである「バレエ観賞」を2本、立て続けに楽しめることとなった。

 そのうちの1本は、我が娘が幼少の頃よりの我が家における年末恒例行事である「くるみ割人形」観賞なのだが、今年はレニングラード国立バレエ「ミハイロフスキー劇場」版を選んで、東京国際フォーラム公演の座席を予約した。(20日に既に観賞済)
 そして、もう1本は地元の小バレエ団による「コッペリア」である。 「コッペリア」はバレエを習っていた我が娘の古典全幕ものの舞台デビュー作品であるのだが、近くの劇場で公演があるのを発見したため、今週末に娘と共に出かけることにしている。

 ここで突然話を歌謡曲に移すが、私の知る限り「踊り子」と題する歌謡曲が2曲存在する。
 その一曲はフォーリーブスが踊って歌った「踊り子」であり、もう一曲は今は亡きシンガーソングライターの村下孝蔵氏による「踊り子」である。
 両者共に、なかなかの秀作と私は評している。

 それら「踊り子」の歌詞の一部をかいつまんで、以下に紹介してみよう。
 
 まずは、フォーリーブスが歌って踊った阿久悠作詞の「踊り子」から。
  ♪私は踊り子よ ふるまいのお酒にも気軽く酔うような 浮き草の踊り子
   愛してくれるのはうれしいと思うけど あなたはうぶなのよ 何一つ知らない
   このまま別れていきましょう 短い恋と割り切って
   港の酒場ではらんちきの大騒ぎ あなたもあの中で酔いどれておいでよ
   私は踊り子よ うらぶれた灯の下で踊っていることが大好きな踊り子
   ほんとは少しだけまごころに打たれたわ けれどもあなたとは暮らしてはゆけない…

 続いて、村下孝蔵作詞の「踊り子」。
  ♪答を出さずにいつまでも暮らせない
   つま先で立ったまま 君を愛してきた
   踊り出すくるくると 軽いめまいの後 写真をバラまいたように心が乱れる
   拍子のとれている愛だから 隠し合い ボロボロの台詞だけ語り合う君が続き
   坂道をかける子ども達のようだった 倒れそうなまま二人走っていたね
   つま先で立ったまま 僕を愛してきた
   狭い舞台の上で ふらつく踊り子
   愛してる 愛せない 言葉を変えながら
   かけひきだけの愛は 見えなくなってゆく…
   つま先で立ったまま 二人愛してきた
   狭い舞台の上で ふらつく踊り子
   若過ぎた それだけがすべての答だと
   涙をこらえたまま つま先立ちの恋…


 同じ題名の「踊り子」でも、前者は旅芸人の「踊り子」との恋を描いたものである。 川端康成の「伊豆の踊り子」における出逢いを彷彿とさせ、また一方で酒場の“舞妓、芸奴”や“ストリッパー”等にも思いが及びそうな、はかなき“浮き草”の恋物語である。

 片や、後者はクラシックバレエのトーシューズで踊る女性ダンサーの「踊り子」をイメージしつつ悲恋を語った歌であろう。 トーシューズを履いて踊るバレエの「踊り子」と若かりし恋との“不安定感”を交錯させつつ、切ない恋物語が崩れそうに綴られている。 

 「踊り子」にはその踊りのジャンルを問わず、共通項が存在するように私は捉える。
 あらゆる芸術の中でも、自らの「身体」を表現手段としてその芸なり技なり美を訴える芸術は「踊り」しかないのではあるまいか。 (「声楽」もその一種であろうが。)
 
 私事になるが、我が家の娘は幼少時よりクラシックバレエを習ってきている。 小学校高学年にさしかかった頃に、初めて“トーシューズ”を履かせてもらえた時には、一家でお祝いをして喜んだものである。 (「つま先立ち」などという不自然な体型を強要することが、我が子の身体的成長に悪影響を及ぼさないのか??) などという親ならではの懸念も頭の片隅に無きにしもあらずだったのだが、それよりも (これで我が子も子どもから娘として成長できる) がごとくの一種の通過儀式のような感覚が、親の私にも初めて手にしたトーシューズに感じ取れたものだ。

 一方で、私が今現在スポーツジムで楽しんでいるヒップホップやエアロビクスというのは、クラシックバレエとはまったく異なるジャンルの「踊り」である。 “コンテンポラリーバレエ”と名の付く、クラシックバレエから発展したそれに近いバレエが存在するが、その後庶民の間で発生したと思われる上記のヒップホップ等までも含めて、それらの共通点は“トーシューズ”を履かないことにあろう。

 特に私が2009年頃勤しんだ「ヒップホップ」など、例えば“猫背”状態で踊ったり、“つま先”よりも“かかと”が中心の踊りと言えそうだ。 (それ以前の問題として、バックの音楽が踊りのジャンルによってすべて異なるのは皆さんもご承知の通りであろうが)
 これはこれで十分に整合性があると捉えて、現在「ヒップホップ」を大いに楽しむ私である。 生活に密着している、と表現すればよいのだろうか? むしろ、歳を重ねた人間にとっては、“猫背”のままで踊っていいと言ってもらえた方が開放感があって自然体で踊れそうなのである。
 要するに“現代舞踊”とは、観賞する「踊り」から自分が楽しむ「踊り」へと変遷の道程を歩んでいるようにも捉えられる。 皆が自分自身で「踊り子」を演じてこその快感享受の時代なのであろう。

 話を戻して「クラシックバレエ」観賞の魅力とは、やはり女性の「踊り子」が“つま先立ち”のトーシューズで踊る研ぎ澄まされた“繊細さ”が醍醐味であるように私は思う。 あの“つま先立ち”の緊張感こそが何百年に及ぶバレエの伝統であり、クラシック音楽とマッチして後世に伝えられるべく正統な芸術なのではなかろうか。

 それにしても「恋」とは、いつの世も、老若を問わず、繊細で不安定ではかなくて“つま先立ち”の存在であるように思えるよね……

 (以上、2009年12月バックナンバーを再掲載させていただいたもの。)




 このバックナンバーには、複数のコメントを頂戴しているのだが。

 その中から、その頃いつも「原左都子エッセイ集」コメント欄に“アカデミックな風を吹き込んで下さっていた “空乏層”氏とおっしゃるコメンテイターとのやりとりを以下に掲載させていただこう。

 つま先の芸術 (空 乏層)2009-12-24 13:19:36
 40を過ぎる頃だったでしょうか、男のバレー・ダンサーを正面から見れる様になれました。そのきっかけが、映画「ホワイト・ナイツ」に主演した屈強なる男の躍動感溢れるダンスでした。ストーリーがそうさせたのかもしれませんが、以来、新体操、体操競技、シンクロナズド・スイミングなどを見るときには、つま先が随分気になる様になったのを覚えています。そうそう、ワールド・カップ日韓大会でのジャパンがベスト16進出を決めた対トルコ戦のあの”One foot”シュートも芸術的シュートでしたね。日本の古武道などはみな裸足ですが、つま先には相当の神経を使います。あれも、もはや芸術の域なのでしょう。お能の足運びに通じる日本古来の地に付いた躍動美かもしれません。
さてさて、バレエの話しですが、ロンドン駐在時代に、ただの一回だけロイヤル・バレエ団を観劇(?)できるチャンスがありました。バレエそのものには疎い私、組曲、「くるみ割り人形」、「白鳥の湖」くらいしか知らないのですが、それでもロンドン交響楽団のチャイコフスキーの哀愁に満ちた演奏には大変感激しました。特に、「情景」と日本語での表題が付けられた曲が演奏されたときには、思わず涙が溢れてしまい、プリマドンナのダンスが歪んで見え、ブースのバイオリンやビオラの弓が湖の葦がたなびく様にさえ見えるほどでした。バレエはとんちんかんでも、「白鳥の湖」というロシア抒情詩は十分堪能できた様な気がします。
最近、日本人ダンサーがロイヤルバレエ団のプリマドンナを務めることがあるそうですが、もうそれを観賞する機会もないでしょう、ロンドンは遠くなってしまいましたから、・・・。

空 乏層さんは、英国本場でロイヤル・バレエ団公演を観賞なさったのですね! (原左都子)2009-12-24 16:20:17
 それは、重々羨ましい限りです。
 この私も、英国ロイヤルバレエとパリオペラ座バレエ、そしてウィーン学友会館に於けるウィーンフィルニューイヤーコンサートを一度でいいので現地の劇場で観賞して、「ブラボー!!」と叫ぶのが夢なのです。
娘が育った暁には娘を現地に同行して、是非夢を叶えたいものです。
 空さんはサッカーもお好きなのですね?(実は私はサッカーにはほとほと疎い人間なのですが)空さんがおっしゃる通り、確かにサッカーもつま先でボールを蹴り込みますよね。あれってもしかしたら、バレエでつま先で立つよりも一瞬ずっと巨大な負荷がつま先にかかりそうです。 靴(やトーシューズ)の性能が急激に向上しているからこそ、どのような分野においても研ぎ澄まされた技や芸が可能となっているようにも推測できます。
 空さんがおっしゃる通り、バレエ公演の魅力はオーケストラの生演奏を堪能できるところにあることに私も同感です。 
私は中学生時代にブラスバンド、高校生時代にオーケストラ部を経験しているのですが、バレエ公演の開幕直前にオーケストラが“音合わせ”をしているところから既に涙が出そうなほど音楽には思い入れがありまして、私にとりましてはあの音合わせを聴くのもバレエ観賞の楽しみの一つです。
 訂正とお詫び (原左都子)2009-12-24 16:41:50 
 上記(↑)空乏層さんへの返答コメント内の「ウィーン学友会館」との記載は、正確には「ウィーン楽友協会大ホール」です。
 訂正してお詫び申し上げます。
         
 (以上、バックナンバーコメント欄より一部を引用したもの。)


 この空乏層さんとのハンドルネームは、半導体用語から引用されたものだ。
 物理学研究者であられた空乏層さんからは、実に博学かつ文学的なセンスも身につけられた素敵なコメントをいつも頂戴していた。 
 東京都在住でいらっしゃった様子で、「今度上野の美術館でもご一緒に観賞しませんか?」 なるお声もおかけ頂いていた記憶があるのだが…。  残念ながら2011年に東日本大震災勃発後、東北地方ご出身の空さんがその支援に多忙となられたのをきっかけに、その後音信不通状態に入り現在に至っている。

 数多くの“つま先立ちの恋”を経験し、既にその領域は卒業している私だが。
 今でもクラシックバレエ鑑賞をする都度、心切ない“踊り子”に戻れる気分である…

お盆中の都市部から過疎地郷里への帰省、各自が慎重な判断で

2020年08月10日 | 時事論評
 昨朝パソコンを開くと、とある話題が氾濫していた。

 そのネット報道を、以下に引用しよう。


 某市で7日、東京から帰省した男性の家に、帰省したことを中傷するビラが置かれていたことがわかった。
 被害受けた男性(60代)「東京から帰ってこないでくれとかの誹謗(ひぼう)中傷は、ニュースの中でも取り上げられてはいたが、まさか某県でもそういうことが起きてるとは思ってもなかった」
 東京から某市の実家に帰省した男性が7日、家の玄関先に「なんでこの時期に帰省するのか」などと中傷するビラが置かれているのを見つけた。
 男性は8月5日に帰省したが、仕事柄、PCR検査を受けていて、10日前の検査でも陰性だったという。
 被害受けた男性「投げ入れた人は、『わたしが今度あなたに同じような文章を、あなたはもらったらどう思いますか』っていう気持ちは考えないのかなと」

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 世間ではお盆帰省が本格化している様子だ。

 昨日や本日のテレビニュース報道によれば、鉄道や空路を利用しての帰省は例年の半数以下であるのに比し。 車での移動に関しては高速道等で渋滞が発生しているとのことだ。

 おそらくコロナ感染を回避するために公共交通機関の利用を敬遠し、自家用車での移動に依存して帰省する動きがあるのだろう。



 冒頭のネット報道に関する我が感想を述べよう。

 ネット情報内に書かれている、男性の家の玄関先に置かれていたとの“ビラ”の写真を私も見た。
 匿名ではあったようだが、その文面は感情的では無く比較的冷静な記述のように私は感じた。
 そんな中、最後に書かれている男性側の以下の記載がひっかかる…
 「投げ入れた人は、『わたしが今度あなたに同じような文章を、あなたはもらったらどう思いますか』っていう気持ちは考えないのかなと」 😨 


 もしもこの原左都子がこの男性のように郷里へ帰省して、同様のビラが置かれていたとして。
 (後に記述するが、私の場合その行動はまずあり得ない。 郷里に帰省する目的が無いためだ。 郷里には実母一人しか残っておらず、その実母も高齢者自立支援施設暮らしの身だ。 このまま実母が施設暮らしを全うした後にあの世へ旅立った際に、葬儀を施す義務はある。 その際に帰省せねばならないが、コロナ禍が完全消滅するまでは、実母が大病でもして帰省して欲しいと願い出ない限りこちらから積極的に訪れる事はないだろう。)

 もしもそのビラの出し主が特定出来る場合は、私ならば面会させて頂き一応のお詫びを申し上げたい思いだ。 「こんな時期に帰省してしまい、混乱を招いた事を心よりお詫びします。」と。

 そんな我が感覚から言わせて頂くならば。
 男性による最後の記述こそに、むしろ過剰な自己防衛心及び攻撃的意思を認識してしまい、少し怖い気すらさせられる程の違和感を抱いてしまうのだが…😱 


 この事件のみならず、国内他県各所でも同様の事件が起こっている様子だ。

 中には、“コロナ感染”状態で帰省したり移動したりして、道中及び郷里(や過疎地)に実際そのコロナウィルスを(言葉が悪いが)撒き散らした事例も少なくない。

 その一例が少し前に我が郷里にも勃発した。
 本エッセイ集バックナンバーにて既に述べているが、その事件のせいで郷里の実母が暮らす高齢者施設では、長期間に及ぶ外出禁止令が出されてしまったようだ。 
 そのとばっちりが東京に住む私に課せら続けている。 まだまだ施設から単身で徒歩にて買い物に行く能力のある実母が、その外出禁止令により一切の自由行動が出来なくなってしまっているのだ。 必需品を郷里の実母へ送る作業が今尚続行している。
 それ程までに、一人の“コロナ感染者”がとった行動が及ぼす悪影響とは広範囲に及ぶものでもあるのが事実だ。


 話題をお盆の時期の郷里帰省に戻すが。

 郷里へ帰省する際に、冒頭ネット情報ごとくの「ビラ事件」を発生させない方策を帰省者側が工夫してはどうだろう。

 例えば、自宅には立ち寄らず宿泊先を予約するなどの手段もありそうに思うが。
 (東京都以外の)地方では“Go To キャンペーン”も活きているようだ。 これを予約して、宿泊先の広いロビー等で3密回避状態での家族との短時間の面会を果たす、等の方策も取れるのではなかろうか?


 とにもかくにも、世は“コロナ禍”が収まり処を知らない厳しい状況下だ!

 いくら万全の対策を採ったからと言って安易に郷里の地を踏むとの行為とは、(特に過疎地にては)周辺住民の混乱・誤解をもたらしかねないと懸念する。

 ここは今は帰省者側こそが、周辺住民に配慮する知恵が問われるようにも考察するのだが…。