原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「左膝複雑骨折・針金除去手術」 来週月曜日(8月14日)入院が決定しました。(前編)

2023年08月08日 | 医学・医療・介護
  もうほんとに。

 私としては、「やっとこさ!」です。😩 

 これで「再びの自由」を手に入れられる感覚で、早くも“開放感”に浸っています。



 思い起せば 昨年10月下旬に昔からお付き合いのある知人との会合の後、18時頃に自宅最寄駅前のファミマで買い物の直後、突然激しく転んで全身打撲と脳震盪をおこした後。
 救急搬送された先が、その後ずっとお世話になっている病院だった。

 諸検査の結果、脳震盪の方は大したことは無かった(???)とのことで。
 一番重傷箇所だった 左膝複雑骨折のために、9日間手術入院することと相成り。
 退院後も4月まで週1の定期通院を余儀なくされて。 その後も、しばらく松葉杖生活で不自由を強いられ。
 その後 松葉杖を病院へ返却した後も、ずっと左右アンバランスなぎこちない歩き方を余儀なくされていた。 それが元で「ぎっくり腰」を患ったりして、5月下旬ごろから3週間程歩行困難状態に陥り…

 7月の受診時に、思い切って主治医先生に「この左膝の針金を早めに除去していただけませんか!??」と嘆願したところ。
 「次回の診察時に、左膝のCT撮影をして完璧に膝がくっついていたらすぐにでも除去手術をしましょう」とのご返答を頂いていた。


 そうこうして、昨日の受診だったのだが。

 病院到着直後にCTを撮影していただき、その判定を主治医先生に伺ったところ。
 「左膝は“完璧に”くっついて完治しています。 それでは、すぐにでも針金除去手術に入りましょう。」

 その後更なる手術前諸検査の後に、再度主治医による手術に際する もろもろ事項の最終確認があった。


 これらの説明をしていると長くなるため。

 午前の部は、この辺で一段落としておきましょうか。
 

私(原左都子)って、「仏滅」の「月曜日」に生まれたんだ!?!

2023年08月06日 | 自己実現
 つい先ほど 朝日新聞テレビ欄を見ていたところ、本日夜に「何曜日に生まれたの」と題するテレビドラマが放映されるようだ。


 それは特段二の次でよいし、そもそも夜10時からの放送のため、私はその時間帯には既に睡眠に入っている。


 そう言えば、私は親から「何曜日」に生まれたのかを伝えられたことも無ければ、こちらから尋ねたことも皆無だ。

 まあ、それを知ったからと言って今更どうという訳でも無いのだが。
 その日が平日か休日かによって親である我が母の暮らし方や気持ちの持ち方が大幅に違ったであろうし、もしもその日が月曜の朝だったりしたならば、母親は心理的に落ち着かない状況下にあったかもしれない?!?!  
 などと想像しつつ、スマホにて確認してみた。


 スマホの検索機能の素晴らしさは、既に心得ていたものの。

 そんなどうでも良いことまでが一瞬にして検索できてしまう、その検索能力の凄さに改めて驚かされてしまった!😱 


 で、その検索結果が、我が予想の“最悪パターン”として考えていた「月曜日」しかも、その日は「仏滅」だったようだ!😱 😱 😱 

 そうだったんだ… 

 できれば、金曜日や土曜日の午後あたりがゆったり生まれて来れそうで良かったのに…

 よりによって一番落ち着かない月曜日の朝(母の話によると、私は朝5時に生まれたようだ)。
 当然ながら自宅にて、急に呼び出された産婆さんの手助けの元にこの世に無事に元気に誕生したとのことだが…



 そのテレビ番組「何曜日に生まれたの」に関する朝日新聞の解説記事によると。
 タイやミャンマーでは、星座や血液型のように何曜日に生まれたかで性格や相性を占うらしい。 それによって、初対面の人とも盛り上がれるとのことだ。


 もしも この私が、仏滅の月曜日の早朝では無く。
 もっと産んだ母自身やお産婆さんが落ち着けそうな曜日や時間帯にこの世に誕生したとするならば。
 もう少しは、ゆったりと落ち着いた性格に生まれ出れることが叶ったのだろうか??

 そんな“非科学的な妄想”を既に高齢者域に達している今更していても埒が明かないのは、十分に理解できているが。



 明日(月曜日)朝一番に、左膝の針金除去手術に向けてのCT検査及び手術前諸検査のために病院へ行きます。

 我が主治医先生が月曜勤務のため、どうしても月曜の朝から病院へ脚を運ばねばならないのも憂鬱だし。(病院は週初めの月曜日が一番混在します! 特に都会の大病院の月曜朝の混雑ぶりは凄まじいですし…)😫 
 加えて どうせ手術スケジュールが混んでいて、我が左足針金除去手術が一体いつの施術となるのか想像もつかないのですが… 😭 

 とにかく、我が左膝及び私自身の“明るい未来”のためにも、月曜朝から病院へ行って来ます!!

 何でこんなに、私の場合は(特に嫌なことが)月曜朝と縁があるのか!?!?😨 
 摩訶不思議でもあるなあ…
 

郷里・観音寺のマチ子さん(我が医学部時代の恩師奥様)より「梨(幸水)」が届きました!

2023年08月05日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、本日午前中に我が郷里・観音寺のマチ子さんよりお届け頂いた「梨(幸水)」。)


 昨夏に引き続き、今夏も郷里・観音寺のマチコさんより梨をお届けいただきました!


 このマチ子さんに関して説明すると。

 我が郷里の出身大学・医学部恩師(N先生)の奥様でいらっしゃる。
 恩師の医師で医学博士であられたN先生との出会いは我が医学部時代に遡る。 様々な授業や実習にてご指導いただいたのに加えて。 我が「卒業論文」のご指導も担当して頂いた。
 特にその「卒業研究」に於けるN先生のご熱心なご指導のお陰を持って。 我が卒業研究論文を私が大学医学部を卒業後に、BioMedical Jornal(現在は残念ながら廃刊となっているが)にご投稿頂いたとの、思いがけないサプライズプレゼントも経験している。 (つい最近のエッセイ内にもこの件を公開した。)

 そんなこんなで、N先生とは私が医学部卒業後に上京した後も毎年年賀状のやり取り等々が継続していた。


 そんなN先生が80代前半期に他界された折に。
 奥様であられるマチ子さんが、N先生の医学論文等々の諸業績を記録された冊子をまとめられたのだが。 それをN先生がご生前にそれの送付先をご自身で記録して残されていたようだ。
 その記録の中に、何とも有難いことに我が氏名があったらしいのだが。
 とにかく、マチ子さんよりその冊子が我が手元に届けられた時に私は大感激だった。😭 

 さっそく読ませていただくと同時に、編集主であられるマチ子さんへお礼状をしたためた。
 そうしたところ、間髪入れずマチ子さんより我が手紙に対する丁寧なご返答を頂戴したのだ!!
 
 幾重にもよく出来た(失礼な表現をお詫びするが)奥様であられることと、これまた感激した私が返信をさせて頂くと、その後しばらく手紙のやりとりがマチ子さんとの間で続行した。


 N先生同様に、何とも素晴らしいご人格者であられるマチ子さんに是非お会いしたいと考えた私は、2020冬に一人娘を引きつれてマチ子さん(N先生)のご実家である郷里の観音寺へ旅をした。
 その際のマチ子さんのご厚遇にも恐れ入りつつ。
 図々しくもその後郷里へ行く都度マチ子さんがお住まいの観音寺へ脚を運ばせていただき、マチ子さんとの関係を更に紡がせていただいている。

 (この原左都子、元々自身が気に入った相手に対しては積極的にこちらからアプローチをして関係を続行せんと努力する人間であると、自己評価しています。)


 そして、本日は郷里のマチ子さんより 梨(幸水)と共に、お写真もお贈りいただいた。

          

          

          

 これら「蓮の花」のお写真なのだが。

 先程マチ子さんと電話にてお話させていただいたところ。
 今年のこの猛暑続きで、蓮の花も弱り気味とのことだった。 
 そうだとしても、マチ子さんは素晴らしい蓮の花の写真を撮影されている!

 ついでに、ご長男(観音寺のご住職・8月お盆の時期は例年激務だそうだ…)、ご次男(我が出身大学医学部付属病院の医師先生)のご近況などもお聞かせいただいた。
 その中で興味深かったのは、ご次男が現在オーストラリアにてご自身の専門医学分野の研修中とのご談話だ。 ところが、それを家族の方々がマチ子さんに教えてくれなかったともおっしゃる。 それは何故かと言えば、「お婆ちゃんに教えると余計な心配をするから黙っていた…」とのお孫さんとの会話だったとのお話だった。😊 

 そんなお身内のお話を私にも電話にて伝えて下さるマチ子さんは、私にとってまさに愛すべき人材だ!
 
 今後も郷里・観音寺のマチ子さんとのご関係を末永く続行したく存じておりますので、こちらこそよろしくお願いします!!
 

「女子会」との言葉、懐かしいなあ

2023年08月04日 | 自己実現
 本日「原左都子エッセイ集」編集画面の「過去のアクセス解析」を見ていて、面白いバックナンバーを発見した。

 
 2016.07.30 公開の「『女子会』はめくるめく“潰し合い”の世界なのか!?!」と題するエッセイなのだが。 それの一部を以下に再掲載させていただこう。
 参考だが、2016年と言えば原左都子がちょうど「還暦」の頃だ。
 それを前提にお読み下されば、より内容が理解し易いかと思います。


 私が「女子会」なる言葉を耳にし始めたのは、近年の事だ。
 おそらく、こういう集会が “それ” に該当するのだろうと推測出来る会合に、私が最後に出席したのは十数年前だったと記憶している。
 何分、40近くまで長き“華の独身貴族時代”を貫いた私の場合、そもそも女性との付き合いが極めて少なかった。 職業環境下に於いて周囲に存在するほとんどが男性だったため、必然的に男性陣との付き合いが圧倒的だった。
 もちろん、女性との付き合いも無きにしもあらずだったが、それは決して「女子会」と言う程女性は数多くなく、1対1、あるいは必ずや男性も入り混じった会合となったものだ。

 そんな私も、晩婚後「女子」連中に誘われる事が無きにしも非ずだった。 
 まず、子どもを介して母親達に誘いを受ける事を経験している。
 娘が幼稚園時代にPTA役員会主催飲み会への誘いを受け、それに同席した事がある。 PTA会長以外、出席者のほとんどが女性(子どもの母親)だったため、これを「女子会」と表現してよいだろう。
 あるいはサリバンとして娘の指導教育の合間に、某国立研究開発法人研究所にアルバイトの身分で勤務していた頃にも、ほぼ同年代のアルバイト仲間の女性達より「飲み会」の誘いを受けた事がある。 これぞまさに参加者が全員女性ばかりのれっきとした「女子会」だったと言えよう。

 ところが、上記両会合が「飲み会」だったことが、“底なし飲兵衛”の私に参加への後悔を募る事と相成った。
 (この話題は既に当エッセイ集「酒」カテゴリー内にて公開済みだが)、男連中(要するに“オヤジ飲み会”)に慣れ切っている私にとって、女どもが酒を“飲めない”事実に愕然とさせられるばかりだった… 
 ビール一杯で酔い潰れる女史がいれば、私が2杯目を追加注文すると「そんなに飲んだら大変な事になる!」と本気で“指導”し始める女史。  あるいは、「飲む前に食べるべきだから、皆さん料理が来るのを待ちましょう」とまで言われてしまうと、“駆けつけ3杯派”の私としては(もう、帰りたい……)との発想しか出ない。
 そんなこんなで40代半ば頃にして、一般女史(女子)達と(特に酒に関して生育してきた歴史が大幅に異なる)と結論付けた私は、その後断じて「女子会飲み会」に参加する事はなく現在に至っている。

 「女子会」卒業後十数年が経過している原左都子が、ネット上で「女子会」に関する記載を発見した。
 (大幅に略して、結論部分のみを引用しよう。)
 このようにして夫を使ってマウンティングしあう、それが現代の女社会なのである。夫を使ったマウンティングママ会とは夫の自慢大会の実態だ。
 女子会とはめくるめく「つぶし合い」の世界である。
 (以上、ネット情報より一部を要約引用したもの。)

 原左都子の私論に入ろう。
 もしかしたらこのネット情報記者である女性を取り巻いている環境が、今現在女子(ママ友?)で溢れその対応に苦慮する渦中にいるのではなかろうか?
 「お医者さま病」ねえ。
 私自身が国立大学医学部に通っていた経験があり、過去に於いて“医者の卵”男性達と少なからずまみえた事もある。 その後上京して医学関係の職種に就き、更に医師連中と会合する機会が少なくなかった人間だ。
 その経験から言うなら、結論として医師とて人それぞれ個性豊かであることは自明の理であろう。
 医学経験者である私から助言すると、「臨床医」と「基礎研究医」によりその勤務形態が大幅に異なる(あるいは「臨床医」も、「開業医」と「勤務医」ではまったく異質だし。)事実を、もしも未だに「お医者さま病」にかかっている女性がいるとするならその女性陣に伝えておこう。 (更には今時、「開業医」など大規模病院にして経営難で四苦八苦している事業所も多いしねえ…。)

 で、女性記者が更に曰く……
 現代女性達も女同士の戦いは幼いころから行われている。 エリートであればあるほど、小学校受験や中学校受験など受験戦争で揉まれてきているし、受験が終われば就職があるがその戦いは男性以上。有名企業の椅子をかけて争ったうえで最後に結婚という戦いに挑むのだ。  女性が寿退社でやめるときに必ず聞かれる質問が、“旦那さまの職業は?”である。
 (再び、ネット情報より引用したもの。)

 それ程までに歪み切った苦労の人生を、記者である植草氏は若くして耐えて来ているのだろうか??

 以下は、原左都子の私論だが。
 そもそも上記記者女性氏自らが、男尊女卑観点から抜け切れない人生を歩んで来ているようで残念な思いだ。
 まず、真実の「エリート」とは何かをこの記者女性は問い直すべきだ。
 原左都子の私論としては、女性とて一生に渡り各自の得意分野で“男以上”の働きをすればよい話だし、若くしてそれに挫折したからといって、何故問題を「寿退社」にすり替え、挙句の果てに「旦那の職業」を問われる事をそれ程までに重視し議論対象とするのだろう??
 私に言わせてもらうと、まるで40年以上前に生きていた女性達の思想と何ら進展がないようにさえ感じる。
 この原左都子も確かに子育て場面で、「ご主人の職業は?」の質問をされたことが何度もある。 その時私が取った対応とは、「主人の職業よりも、私自身の職業・学業経歴を話していいですか!?!」と切り返したものだ。
 あるいは娘の命名の由来(古代ギリシャ哲学より引用しているが)を尋ねられ「ご主人は何をされていますか?」と問われれば、「娘の命名主は母の私です!!」と反論し続けている現在でもある。 
 それ以前の課題として、このネット記者女性氏は、単に「自分の真の幸せとは何か?」をもっと若き頃より掘り下げ自問するべきだったのかもしれないような気もする…。

 とにもかくにも「女子会」に限らず、全ての会合は本人の意思で “嫌なら行かぬが一番” だよ。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2016.07バックナンバーより一部を再掲載したもの。)




 2016.07と言えば、今現在から7年前に執筆して公開したエッセイだ。

 自分自身では、還暦過ぎた頃より現在に至るまで我が思想や行動パターンにさほどの変化はない、と自覚していたのだが。

 やはり、「コロナ禍」の悪影響が多大だろうか!?!?
 特に「酒の飲み方」に関する考え方等々が、この7年間で大幅に変化してきたことに気付かされる。
 実際問題、特に女子飲み会に(嫌々ながら…)参加した場面では、40代頃にはまさに「“駆けつけ3杯派”の私としては(もう、帰りたい……😫 😭 )」こればかりであったものだが。

 現在に至っては“女子飲み会”どころか、通常の飲み会機会がコロナ禍のせいですっかり消え去ってしまっている…
 ただこれに慣れれば、それはまたそれでいいもので。

 特に私の場合は、昨年秋の「左膝複雑骨折」の大怪我以降は4か月程酒など一切欲しくも無くなる程の痛手だったし。
 現在では少量の酒を嗜むのみだ。😁 


 来週その「左膝複雑骨折」の後処理として病院を受診し、左膝に挿入されている針金除去手術を受ける予定でいる。(ところが都内の大病院は混雑必須で、一体いつ手術が実行されるのかは行ってみて分かるとの実態だが…)😭 

 この針金が除去されてこその、我が真の解放人生再開でもある!

 左膝から針金が除去された暁には、是非とも美味しい酒を堪能したいものだ!!


万太郎は、ロシアのマキシモビッチ博士に会わねばならないのか??

2023年08月02日 | 自己実現
 この件に関しては、牧野富太郎氏は実際にはロシアのマキシモビッチ博士には会っていない(現実では会う以前に残念ながらマキシモビッチ氏が病気にて他界された)と、私は捉えている。

 それは、単にネット情報にて私が検索した結果なのだが。
 もしかして私の検索力が不足していて、真実は未だに認識していないと言っておくべきだろう。



 さて、NHK連ドラ「らんまん」は、今尚万太郎が絶体絶命的な苦境に立たされた状況を脱出できていない段階だ。😱 

 何とも大変なのは、すえちゃん(万太郎の奥さん)が現在第二子を妊娠中で近々出産予定との設定である事実だ。
 ドラマ内では、万太郎の奥さんのすえこが「第二子を日本(じゅっとく長屋)にて出産して後にロシアへ行きたい!」と訴えている現実だが。

 前回のエッセイにて私が綴った、「東大に程近い博物館にて万太郎はお世話になればよい」案は、本日の放送にて完全否定されてしまった…😭 
 博物館側の言い分は、「博物館と東大植物研との関係が強力なため、残念ながら博物館も万太郎を受け入れる訳にはいかない」との説明だった。


 そうなると、確かに万太郎が将来的に植物学者として大成するためには、どうしても世に既に認められている大物研究者の下で修業を積むしかない時代背景の様子だ。

 万太郎の場合 ラッキーだったのは、以前より万太郎本人が個人的にロシアのマキシモビッチ博士と手紙にて交流を続けていて。
 相手のマキシモビッチ博士も、万太郎を植物学研究者として大いに認めているとの間柄を築いている事実が大きいのだが。


 史実上は、万太郎はマキシモビッチ博士の元へは行けずじまいだったようだが。 テレビ小説では如何にストーリーを展開するのかに関しては、私の知る所ではない。



 それにしても科学研究者の立場とは今現在尚このテレビ小説のごとく、人間関係が権威やプライド等々に翻弄されつつ、不自由を余儀なくされているのであろうか??


 と書いたところで、私は小保方晴子氏による「STAP細胞事件」を思い起した。
 あの事件など、笹井芳樹氏との再生細胞(“ES細胞に関する)研究にて当時国内第一人者に位置していた研究者を“自殺”との形で命を落とさせている…
 この笹井氏とは、論文執筆に当たって小保方氏を指導する立場にいた人物だったようだが。 残念ながらあの事件のせいで、52歳との若さでこの世を去る運命にあったようだ。

 私は過去に 国立研究開発法人・理化学研究所(和光研究センター )にて医学基礎研究の実験担当者として日々それを頑張っていた経験がある身として。
 「STAP細胞」を取り巻く各種事件に関しても、今尚それらの諸現象の責任の所在等々が解明されないままに年月が流れている感もある。

 科学を取り巻く諸環境とは時代を超えて、個々人の名誉を賭けた争いが絶えない分野なのか?!?と、再認識させられたりもする…



 最後に話題を、万太郎に戻そう。

 万太郎の場合は、こうやって今現在NHK「連続テレビ小説」に取り上げられている事実のみを推し量っても、おそらく晩年には幸せな時期を暮らせたのだろうと、勝手に安堵させられたりしている。


 それにしても 諸科学を巡る命がけの人間の争いとは いつの世にも存在し得るものと、悲しいかな認識せざるを得ない…