九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 日本人男女  文科系

2023年06月26日 05時29分57秒 | 文芸作品
  随筆  日本人男女

 同人誌仲間のHさんがある日僕に言う。「脚が軽くなったねと、夫に驚かれたよ!」。そう言えば、傍らを歩いている八〇近いこの女性、歩き方がこれまでとはだいぶ違うと、既に僕の目が感じていた。ベターッとした歩き方が消えて、どういうか、腿が上がって足が利き、そもそも歩幅が大きくなっている。「片足つま先立ち・脚裏ストレッチなんかもやってきたんだよね!」、目を輝かせて続ける。二か月前の月例会後だったかに皆でいろいろ話し合っていた下半身強化法を早速実践してみた成果というわけだ。昔痛めた腰のせいでくの字型を右に倒したような彼女には特にこれが不可欠だよとは、そこで皆が述べたこと。ちなみに、「腰の怪我・前曲がり」は僕の母のトレードマーク。明治生まれで二一世紀に入って亡くなった彼女は、脳内出血で倒れるまで下半身強化には励んでいた。

 ここ一〇年ほど、僕は三つの人間集団に関わってきた。そこでつくづく感じたことなのだが、日本人高齢男女の生活差違はことの外大きい。この事で最初に目を見張ったのは、僕の壮年期に父母と同居して観察できたこと。二人とも職業人という当時は珍しいカップルだっただけに、感得できたことのようだ。
 僕の父は、老後が即余生だった。一言で言えば、一人で居るときに熱中できるものがなく、こういう人は早く老いて早く死ぬ。好きなテレビ番組を観ていても、ドラマの途中で眠っているというように早くからなっていたし。他方母の方は、同じ職業人を通しながら、退職後を一言で言えば文化活動に費やした。その内容は、身体のケアと、三味線、俳句である。身体のケアは体操グループを作り、日常では一日八〇〇〇歩が目標。三味線は師匠について八〇歳直前まで発表会に出ていたし、俳句はよくNHKで入選した。

 さて、この父母を基準として僕が属する三グループの人々を区分けしてみると、同じことに気付く。同人誌は僕以外は女性グループだし、高校同級生飲み会は逆に一人を除いては七人の男グループだった。そして、ギターのグループは男女ほぼ半々である、そこで観た男の文化度を中心に、ちょっと箇条書きしてみよう。
一、飲み会の男たちは一般に父に似ているが、父よりもやや文化度が高い。その内容は身体のケア志向が第一で、芸術も含めたいわゆる文化系はとても弱い。
二、ギターグループの男たちは、文武両道が多い。今の日本ではかなり珍しい男性集団と思うが、ギターという文化系の男が身体ケアにも熱心なことが興味深い。
三、さて、同人誌の女性たちだが、これも見事にバランスが取れていて、面白いのである。
 六五前後から八〇歳過ぎまでの同人誌女性のほとんどがこの三年ほどで順にパソコンを覚えた。文字入力だけの方もいらっしゃるが、一人を除いて全員である。七十代半ばのある女性がパソコンを買い込んで先陣を切ったのを機に、吾も吾もとばかりのことだった。そして、この先端女性こそ、作品冒頭のお方なのである。こういう女性群に較べると、高齢男性には「一念発起」ということが圧倒的に少ない。なぜかと訝っていたら、二つの事に思い至った。難しい言い方だがこうだ。一つは、文化系でしか扱えないものに対する感性の不足。今一つは、これの裏面として、目に見え手で触れるような物事にしか興味を持てないこと。要するに今後はオタクも増えるだろうというような、歪んだリアリズム。

(2017年3月発行の同人誌に初出)



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随筆 野球衰退を実感した体験   文科系

2023年06月25日 11時37分56秒 | 文芸作品
 このごろ二度ほど、孫の三年生男子が土日に小学校グランドに通っていく有志ソフトボールチームの練習に付き合ってみた。名古屋市中心部に近い某区のある小学校の学年を超えた有志チームで、一年生から六年生まで六学年から男女およそ二十名弱の子どもが、親たち有志に指導、援助されていた。一学区の有志ソフトボールと言えば、ここのすぐ北隣の学区で小学時代を過ごした僕としては、自分の学区で体験した学区内町内対抗野球の、大会や練習の大変懐かしい思い出がすぐに蘇ってきた。七〇年前という遠い昔の話なのだが、その過去と現在、両者を比較して、文字通り隔世の感があると感じたものだ。

 子どもの数が凄まじく減った。有志野球をする子どもはそれよりももっと減っていて、女子も加えたソフトボールチームが一学区に一つだけ残っている。一学区内有志の町内会対抗野球大会が毎年開かれていたなどは遠い遠い昔の事実だが、夢の話になっている。学区の子ども数も何分の一かに減っているし、野球とほぼ同じその投攻守をプレーする子どもはさらに激減した。その結果、一小学校学区内の町内野球大会が区のソフトボール大会に替わっていて、その基本技術もずいぶん下手になっていると、そんな感じである。特に驚いたのは、投攻守の基本技術の退化だ。これをまず表現すれば、こんな感じになるだろう。
「今のこのチームで最も上手な選手一人が、七〇年前の同じ一小学校学区内の一町内会チームに五人はいた」と。

 投攻守すべての技術に差が見られた。それも、ソフトボールと軟式野球だからその差はさらに大きくなる。この両者ではボールのスピードに差があって、そのボールに追いつく足さばきの差はさらに大きいだろう。足さばきやボールに対する下半身の構えが悪いから、ボールをどんどん後ろに逃がしてしまう。これでは、上手い子どもが外野をやって、そうでない子が内野を務めた方が勝てるチームだろうななどと観ていたものだった。
 
 野球人口が少なくなり、高校野球チームも激しく減っているとあちこちから聞いてきたが、ナルホドと改めて思ったものだ。それでも日本プロ野球の投打技術が明らかに上がっているのは、減った高校野球人口などのトップの練習法が科学を取り入れてどんどん改善されてきたからだろうなどと考えていた。ただし、野球発祥の地・その先進国アメリカの過去と比べた今の野球衰退に日本も追随していくのだろうとか、その先はどうなっていくのだろうかなどと思いをめぐらしていた。アメリカプロ野球から外国人選手を除いたら、今や何が残るのだろうかというような衰退話なのである。
 1950年代の日本子ども野球全盛時代は、今や夢の中の話、野球現役の親子には想像もできない世界になっているはずだ。
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随筆紹介 チャットGPTは大人のカンニングペーパー  文科系

2023年06月09日 06時42分26秒 | 文芸作品
随筆紹介 チャットGPTは大人のカンニングペーパー  K.Yさんの作品

 日本の大学では、カンニングが頻繁にある。いきなり学生の品格が崩壊し、大半の人々その後の人生にも不勉強に変質していく。
 一部、要領よく大胆な知能犯がいる。大学時代に追試で追い込まれた友人がカンニングペーパーとして彼独自の小さな巻き物を作っていた。大量に不合格とする難解なテストには、私の横に座り、必死に表現を変えながら写していた。この友人は要領良さ、臨機応変の能力を発揮し、クラスで一番の出世頭で、銀行の副頭取まで昇りつめた。世界的に流行し始めたチャットGPTはまさに、他人の言論の寄せ集め。大人のカンニングペーパーである。大学の一部のカンニングが世界中に拡散され始めた。先進国では著作権の侵害となり、問題を引き起こしている。

 そもそもチャットGPTは膨大な知識、思想をAIに包含し、質問した課題に対し、関連する情報を瞬時にかき集め、それを文章に構築し、提供するもの。まさに、他人の知識、思想のカンニングである。このソフト開発には、どの知識、思想を集めるか、その選択によって回答が違ってくる。それよりも重要なことは、ユーザーの質問内容に対し、どう回答するかというその方向性をもAI会社が決めてしまうことである。

 本来、質問、回答に悩むことで、体験が生まれ、次の人生に活かせる。チャットGPTはまるで、現地を見ず、地図を見ず、ひたすらにナビゲーターに頼る姿に酷似する。しかし、ナビは個人が自己完結するのに対し、チャットGPTは、文章を他人に提示しようとするもの。カンニングだから、相手に内容を逆に質問されたらシドロモドロとなる。乱数を使わない限り、質問が同一なら回答もほぼ同一という事態もありうる。自分の言葉を無くする、自分の思想を無くし、GPTに依存する体質となる。いつの間にか、鍛錬されないひ弱な人間に形成されてしまう。自分だけのGPTを自分で汗をたらし構築する。それがベストだ。
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随筆紹介 成長した   文科系

2023年05月31日 00時49分37秒 | 文芸作品
随筆 成長した  S.Yさんの作品です

 娘と孫たちが久しぶりに我が家に来た。
 彼らはかつて近所に居たのだが、一昨年念願の家を建てて守山区に引っ越していた。ところが引っ越して一年も経たないというのに横浜へ転勤になってしまった。やむなく娘家族は、婿さんだけが行くという単身赴任を選択した。
それからが大変。娘は自身も転職したばかりで研修期間中である。簡単には職場を休めない。孫たちも転校して、学校や地域の環境にもまだ馴染めていない。以前は何かと面倒を見てきた私たちも、娘宅へ駆け付けるには遠すぎる。一切が娘の肩にのしかかってきた。
 娘は頑張ったようだ。研修中の一カ月半、早朝から子どもの夕食を準備して出勤し、帰宅は夜八時になる。その間、上の四年生の女の子が入学したばかりの下の男の子をトワイライトに迎えに行って二人で下校する。そして子どもたちだけで夕食を食べるのが日課となった。一カ月半という期限付きで先が見えているので、とにかく「やるしかない!」と娘は腹をくくって乗り切ったそうだ。
 そんな期間が無事終わり、私はねぎらう意味もあって娘と孫を心尽くしの料理で歓迎したのだ。デザートやケーキも終わり、お腹も満たされて満足感でいっぱい。みんなで久しぶりにくつろいで談笑していたとき、孫たちが何でもないことで口喧嘩を始めた。そのうちヒートアップしたのか弟が姉の頭か顔を殴った(ように見えた)。すると突然、娘がブチ切れた。「なんてことをするんだ!」叫ぶと、弟の頬をビンタした。当然六歳の男の子は「わーん」と大泣き。「何回同じこと言わせるの!」娘は尚も乱暴な口調で男の子を叱っている。はた目には怒り狂っているようにもみえる。さっきまでの和やかな場が修羅場と化した。
 ニコニコと晩酌を楽しんでいた夫も、娘の突然の怒鳴り声に驚いて「まるで瞬間湯沸かし器だなあ」と呟いた。娘は気まずさもあってかその場を離れた。「ママ、怖いね」私が姉のほうに言うと「うん! いつもよく切れるよ」と答える。ずうっと、張り詰めていたからだろうか………。少し気まずさを残して娘と孫たちは帰っていった。

 そして夜遅く娘からメールがきた。ご馳走になったお礼と、怒りにまかせて雰囲気を壊したことを謝ってきた。そうだよ。いくら姉弟喧嘩が度を過ぎたとはいえ、あの怒り方はよくない。子どもたちも、パパもいない、ママも夜までいない寂しさを我慢して頑張ってきて甘えが出たのだろうから、もう少し優しく接してやってよ。そんな思いがあふれた。
「いいよいいよ、そんなこと気にしなくて。子育て中はどこも一緒だよ。みんな子どもを怒鳴り散らして、そうやって子どもは大きくなっていくからね。あなたは今、父親役と母親の両方やって、仕事も家事も大変だよね。あんまり無理しないで、自分を大事にね」と、思いとは違うことを返信した。説教じみたことは言わずに娘に寄り添った言葉を選んだ。

 私って成長したのかも。それにしても瞬間湯沸かし器は父親譲りだと思っている。
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掌編小説紹介 「宇宙からの伝言」   文科系

2023年05月26日 10時24分53秒 | 文芸作品
掌編小説紹介 宇宙からの伝言  S.Hさんの作品です


 旅館の湯殿から海が見える。
 ちょっと熱めの風呂からあがると汗がポタポタ落ちた。
 風呂場の入り口の反対側に小さな通路があり、扉を開けると海がひらけた。ここは知多半島の先端部分だからこの海は伊勢湾である。曇り空におりからのたそがれ。雲間から淡い夕日が漏れて海面に漂っている。
 ゴールデンウイークの最後の日に東京に住む孫一家を連れてここに来た。
 七十六歳、この歳月をかみしめながら波間を眺めている。海岸道路を少し歩いて突堤に辿り着いた。突堤に登り海の方へ少し進む。いつもは穏やかな湾であるが、突堤に上がると相当強い波がしらである。
 私はたそがれ、少しくすんだ海面に慈光がさしているのを眺めた。

 ここへ来る前日、昨日のことがふと浮かんだ。本来ならこの旅館に一緒に泊まるはずであった。いや、泊まってほしかった。娘夫婦とその孫である。
 その昨日の正午は或る料理屋の個室で、この旅に来た次男家族に加えて娘家族も一緒だった。娘は十歳の孫を頭に三人の孫を持つ。問題はその一番下の二歳児であった。次男も私も前々から聴かされてはいたが、重度の末期癌なのである。生まれて半年もたたない内から嘔吐に始まってやがて脳内に腫瘍があるのが見つかった。すぐに希少性小児癌と宣告された。あれから約二年間娘夫婦は、癌に侵され続けてきた小さくけなげな自分の娘の命と向き合ってきた。頭蓋骨を切り裂いて癌の除去手術。弱いながらも放射線治療。そのたびに入退院の繰り返し。挙句の果ては癌の全身転移でもはや手の施しようがないから自宅に帰り静かに暮らすように、主治医から言い渡されて現在に至っている。
 その子の名前は陽菜(ひな)という。娘に抱かれた陽菜は既に嚥下能力もないことから喉を切除し、そこから栄養剤の点滴の管を差し込んでいた。表情はぼんやりとしていた。黒目は真ん中に寄っていた。娘によれば脳の基底部に発生した癌細胞が脊髄にも転移しているらしい。多分もう聞く能力も衰退している。目が寄っているのは患部が視神経に当たっているからだという。笑う表情も消えた。表情を形成する神経も侵されているという。でも何となくわかるらしい。
〈陽菜ちゃんと顔を合わすのはこれが最後かもしれない〉
私は陽菜と会い、娘からそういう説明を受けた時、とっさに思った。その暗いジーンと胸を締め付ける想いから黙って戦っていた。そういう不安がよぎった。次男もそう思っているのかもしれない。
娘婿はもう二年以上介護休暇を取っていて陽菜の誕生日には介護休暇もなくなるという。とつとつと説明する彼の顔を正視するのはどうしても出来なかった。
 私にはそういう娘夫婦の必死さを、それにも増して包み込むような健気な表情がむしろ痛々しかった。笑顔すら交えて陽菜の様態を説明したり、痰を陽菜のか細い喉のチューブから吸い出す、娘のしぐさをじっと眺めながら胸が締め付けられた。
この二歳の子どもが直面している事態が娘夫婦の絆を固くしている。娘が母としてますます鍛えられ、ますます母となって行く。
私は敢えてそう考えようとしていた。年寄りの私が陽菜に付き添って看護できるはずもない、自分に出来ることはこれからも元気で子どもたちに心配させないことだと自分を納得させじっと娘の姿を眺めていた。

 昨日の想いからふと我に返り。海を眺めた。
 ハラハラと熱いものが頬を伝わり足元の砂に浸み込んでいった。地球誕生から繰り返していたであろう寄せては繰り返す波がしらが私の心に迫ってきた。
 いつしか夕暮れになっていた。対岸の三重県の街から薄ぼんやりと灯りが見えた。

 宇宙の彼方から、今は亡き妻や母のまなざしが私を包んでくれているような気がした。
               
(完)
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随筆  彼の「音楽」    文科系

2023年05月23日 11時28分05秒 | 文芸作品
 さっきからここを、彼は何度弾いていることか。今練習中のクラシックギター曲三つの第一曲目、その出だしの四分の二拍子のたった二小節を、今日もかれこれ三〇回は弾いたはずだ。悪い癖が付いているのにその発見が遅れて放置してきたというそのツケに対して、この一週間悪戦苦闘してきた。それでも直らないのは、彼のいくつかの悪癖が集中して衝かれる箇所だからだとようやく気付くという始末。左小指の形が悪くて押さえが甘くなって旋律音が死んでしまう。それを正そうとするとその小指移動が遅くなってリズムが乱れがちになる。加えるに、この旋律音を装飾する和音の低音を鳴らす右親指の振幅が大きすぎて、その爪部分が時に隣の弦に触り、いわゆるビビった音が出る。さらには、その装飾低音の消音を忘れていると発見する始末。よく響く装飾用の低音開放弦を装飾不要になった時点できちんと消さないと、次の旋律がきれいに聞こえないのである。あと二日の五月二四日で八二歳になる彼には、その曲のこの部分で三つも重なって気になる悪癖を治すのは至難の業なのである。この三つの小曲を選んだ今年の発表会は六月二五日、あと一か月に迫っている。
 
 退職後の六二歳にギター教室入門をした彼は、その当初から独特な教習方法をとらせてもらってきた。暗譜主義というやり方である。年取って習うのだから楽譜を見ながら弾くのではいつまでたっても「音楽」にならないだろうと考えて、好きな曲だけを選んだその最初から機械的に丸暗譜する作業に入っていく。六〇歳代には楽譜一ページをおよそ一週間で暗譜できたが、一曲を暗譜してから弾きこんで曲にしていくというやり方なのだ。すると、その時々の腕に余る相当難しい曲でも、中のあちこちに傷は残っていても、一応はこなせるようになっていくものだ。こうして、どうしても傷を治して上手く弾きたいと思った曲だけを選んで暗譜群としてキープしてきたのである。つまり月に数周りは弾きこむと決めた曲の群れなのだが、その中で「あれを落とし、新たに覚えたこれを入れ」と二十年やってきて、今は大小難易とりまぜて二四曲ほどになっている。こんなやり方で腕が上がってくれば、いつまでたってもとうてい無理だと昔に落とした曲でももう一度編入ということも起こるものだ。こういう暗譜曲群のうちのどれかが「ほぼ聞ける程度にはなっているな」と思えるようになったときに、これを仕上げて発表会で弾いてきたわけである。ただし、今年の三つの曲に限ってはすべて過去の発表会のどこかで弾いたものばかりになった。と言っても古いのは十年前、新しいのでも三年前に弾いたものだから、気づくのはギターの親友たちくらいのものだろう。それらを前よりも上手く弾いてやろうという構えなのである。

 クラシックギターは、ピアノの兄弟のような和音楽器としての楽しみ、楽しみ方がある。和音楽器というのは、旋律を(和音)伴奏で飾っていくという、いわば一人、一楽器で合奏していく楽しさを生み出してくれるものだ。ピアノは伴奏音を含めて最多十の音が同時に出せて、ギターはそれが六という違いがあるが、旋律の情感を伴奏和音でもって引き立たせていく楽しみは同じものだ。
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掌編小説紹介 コロナの後の宴   文科系

2023年05月13日 07時51分11秒 | 文芸作品
掌編紹介 「コロナの後の宴」  S・Hさんの作品です                   

 コロナは一応大人しくなった。収束したとは言えないまでもようやく世間は外へ向かって動き出した。そんな時、中学校のクラスメート孝子から良平に電話がかかってきた。飲み会の誘いである。良平たちはかつて、コロナ前は中学校三年七組の有志の会で盆暮れに年二回づつ飲み会をしてきた。始めたのはもう二十年くらい経つ。良平が立ち上げた。毎回全員参加して話も盛り上がった。男四人女二人の固定したメンバーだった。
 長いコロナが続いた。コロナは人々の気を滅入らせる。メンバーの一人である永井は癌の手術をして現在は経過が良いらしい。孝子からの電話の後永井から電話があった。
「今回俺は出るのを止めるよ。酒は飲めんことはないが今までのように陽気にはしゃぐ気持ちにならん」
 永井の話によるともう一人のメンバーである山田はもう既に認知症の症状が出て飲み会に出るのは無理だとのことであった。そのことも永井の参加意欲を引き留めたのであろう。
 そんな折、良平は毎年秋にくるメランコリーの気分に陥っていたのだ。孝子からの電話に参加するとは言ったもののそんなに期待してはいなかった。今回の飲み会の開催を決めて孝子に連絡を取らせているのが山崎であった。良平は山崎があまり好きではなかった。へらへらしてそれでいて尊大ぶっているのに良平は常に嫌悪感を持っていた。今まで山崎がそのメンバーの中に納まってしゃべっている内は、枯れ木も山の賑わいでたいして苦にはならなかった。孝子の話だと今回は山崎の友人を二名連れて来るそうである。
 良平は実に面白くなかった。飲み会のヘゲモニーを山崎に奪われかつほかの連中を加える事によって今までの仲良しメンバーでの飲み会ではなくなる。ヘゲモニーを奪われるとかどうとか、良平はそんな了見の狭い男ではなかったが、常に今まで場の中心にいた男が土俵から突き落とされた気がして淋しかったのである。
 その日が来た。良平はどぎつい看板のある洋風がかった店に入った。簡単な仕切りのある場所に入ると孝子とかつてはミス三年七組と言われた整った顔をした洋子と新顔の女性が既に来ていた。三年五組の良子だと名のった。洋子は認知症になったのかと怪訝するほど煮しめたような薄汚れたマスクをしていた。髪の毛も乱れていて今までの端正な容貌の面影は既になく、代わりに老醜がにじんでいた。
 しばらくして新顔の男が来て、近藤と名乗った。随分待たせて山崎が入ってきた。一同乾杯してそれぞれが世間話をし始めた。いつもなら良平がそれとなく話の流れを作り会話を全体に広がらせるが、その夜はそういうこともなく三々五々話し合っていた。
 山崎はいつものごとく、女が出来て香港に遊びに行ってきたとか、その女のあそこがパイパンだとか馬鹿馬鹿しい話である。女性たちは少し嫌な顔をしながらもにやにやしていた。  
 そうこうしているうちにもビールやハイボールなどがどんどん行き来をする。近藤という男を除いてみんな真っ赤っかな顔をしてアルコールをがぶがぶ飲んでいる。良平にはその様が意地汚く見えて嫌悪感を持った。食欲もなくなり、アルコールも飲みたくなくなった良平は次第に言葉少なくその場にいるのが苦痛になった。
〈こんな馬鹿らしい話をしていて実に時間が勿体ない。俺にはほかにやることが沢山ある。こんな奴らと付き合って時間を浪費したくない〉
 良平は参加したことを後悔した。が二次会にスナックに行くというので、止せばいいのに付き合った。
 止まり木に座ると横の孝子が甘えるように一緒にデュエットをしてくれという。そういう言葉が酒臭い。番が来て「居酒屋」を歌った。相当酔っぱらっているのかメロディーが相当崩れている。良平は恥ずかしくなって周りを見渡した。みんな酔っぱらっているので誰も気にしている風はない。時計を見ると既に十時を過ぎている。もうそろそろ帰ろうと孝子に言った。孝子は了解して伝令のように端に座っている山崎に伝えに言った。かえって来ると、山崎君は帰りたい奴は先に帰れと言っているとのことであった。
 良平はスナック店を一人で出た。月明りが煌々と歩道を照らしていた。良平は何となく淋しく悲しかった。
〈もうあの楽しい時代は終わった。どこかですれ違ってしまったクラスメートたちとは既に住む世界が違う。私は老後にふさわしい私の時間を大切にしたい〉
 良平の歩いているその背中を満月が照らしていた。
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随筆紹介 介護の合間に  文科系

2023年05月12日 06時56分36秒 | 文芸作品
  介護の合間に  K・Yさんの作品です

 家内は2度目の圧迫骨折の手術が今週終わり、次は厄介な椎間孔狭窄症の拡大手術が控えている。加えて、不安神経症で長時間一人ではいられない。2階のベッドでの生活が一日の大半となっている。三度の家事は私に託され、彼女の痛がっている腰をさすり、痛み止めの張りバンドを貼る。従い、趣味は制限され、登山、旅行などの外泊は十数年自粛している。

 地元で、家事の合間を、小刻みに趣味をする生活パターンが定着している。テニスは中断して帰る。陶芸もそう。多くの作品はできない。弁当も用意せず、帰宅し家内と昼食をとる。
 次第に、合間を利用する生活パターンとなっている。その典型がカラオケの練習である。わずかな時間を活用する。一ヶ月に新曲を十二曲に挑戦する。名曲を選ぶ。最近は、紅白歌合戦の若い人の歌を選んでいる。作詞が長い、テンポが速い、リズムが急変する。それに追随しようとする自分がいる。歌詞は現代詩であり勉強にもなる。
 陶芸は幸いなことに家の北側に電動ロクロを持っているから、合間にさっと回す。夏の風物詩の風鈴を作る。マグカップ、湯呑、ビアカップなど小物に専念すれば、陶芸教室の挽回もできる。

 一方、私が心がけていることは重ねること、つまり単一の仕事でなく、別のことを重ねる。生活の二重奏、三重奏だ。
 買い物のついでにリサイクルにおもむき、ガラス瓶をもらい、割って受け皿に入れ、窯で溶け装飾となる。釉薬の二重がけも多用する。釉薬を重ねることで新たな色彩となる。そういった挑戦も面白い。晩の夕食に肉じゃがを茹でている横で、伊予柑の皮剥きをし、キレイな果肉とする。短時間のウォーキングにテニスの素振りを兼ねる。テニスの試合中にはその場の駆け足をし打球を待つ。カラオケは歌ってみる、さらに再生して聞いてみる。

 しかし、家内は病気を重ねている。身体の痛みと精神の不安。重ねるにも悲喜劇があり、それが現実なんだろう。
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随筆紹介 私の生まれたこの街で(二)  文科系

2023年04月30日 06時59分53秒 | 文芸作品
随筆紹介   私の生まれたこの街で(その二)  S・Hさんの作品です
                                   
 ある朝のことである。その公園の清掃ボランティアの女性から興奮した声で電話がかかってきた。
「吉川さんが楠の木のてっぺん辺りで枝を切っている。落ちたら大ごとだから何とか止めないと」
 良平は現地に飛んで行った。二、三人が大きなおおよそ四メートル先の木のてっぺんを見上げて「おりなさーい」などと叫んでいる。本人の吉川さんは上から「大丈夫」などとのんきに答えている。
 彼の様子を見れば腰の安全ロープがしっかりと木の幹にくくられているし、安全なようにも見える。しかしながら八十の半ばの男が木のてっぺんに登っているだけで世間では大ごとである。何かあったら私たちの責任になるという連帯意識が吉川さんの行為を止めさせる。
 良平が大きな声でわざとゆっくり降りるよう説得をした挙句、彼は腰の安全ベルトを外しするすると滑って地面に足をついた。
 しみじみと吉川さんは言った。
「俺は木登りなんか平気なんだけどなあ。それに俺は周りが汚いと思って道端の雑草などをむしっているのに気持ち悪いといわれる。世の中変わったなあ。人情がなくなったわ」
 良平は吉川さんの言っていることは理解できたが、世間の空気を読むことをしない彼、周囲に溶けこもうとしない偏狭な彼を哀れだと思った。

 そういうことがあって、数日後のことである近所の上川さんから電話があった。
「良平さん、きのう救急車があんたの家の横に止まって結構若い人が担架で運ばれていったよ。ちょっと見ただけだったがかなり苦しそうだったよ。あそこの家はあんな若い人いたんだっけ? あんたなら横だから知っていると思って」
 良平の隣家には年老いた父親と確かまだ仕事に行っている独身の長男がいる。長男は勝田正次という。父親は勝という。勝の妻は認知症が激しくなり随分前に施設に入ったと聞いている。
 あそこは男二人で食事などはどうしているのかなと良平も心配はしていたところであった。そこの庭は夏の間草取りをしてなかったので、ミカンなどの果樹に混ざってススキやせいだかあわだち草などが生い茂っていた。冬になって、草が枯れて来る昨今は火でもつけられたら危ないとも感じていた。

 ある日曜日、燐家から草刈り機の騒がしい音がしてきた。
〈まさか正次君が作業をしているのか?〉良平は不審に思い覗いてみた。なんと家の前に正次が立っているではないか。良平は胸が詰まる思いで彼に近づいた。
「いろんなことかありましてね。せめて庭だけでも整理整頓しておきたくて。僕は今氏子の役員をしていますが出来なくなりました。宮司に話してきます」
 顔面蒼白な正次は良平の目の中をのぞくような真剣な表情で言った。良平は今のこの状況を悟った。
 死ぬ前に一度家に帰ったのだ。
 そういう状況の中で友人に家の庭をきれいにしてもらい、身辺整理をしているのだ。
 しばらくして勝田家の前に数台の車が停まり、黒いスーツの人だかりができていた。
 良平が歩いていると、民生委員をしている幼馴染に出くわした。
「あそこ、息子さんが亡くなったのよ。若いのに気の毒だけれど。お父さんはどのくらい理解しているのかしら」
 彼女は勝田家を顎でしゃくって指しながら気になることを言った。父親の勝はああ見えても相当の認知症を罹っているという。良平は毎日のように路傍であって時の挨拶をしているというのにである。
「ああん、ダメダメ。ぱっと見は普通のように見えるけれど家の中はゴミ屋敷だわ。火事の心配がある。でも幸い近くの娘の芳江ちゃんが毎日食事を持って面倒を見てるからなんとかなっているのよ。あんたも隣なんだから時々のぞいてあげてね」
「おい、俺だって七十五の独居老人だぜ。お前たまには俺の介抱くらいしてくれんかねえ」
 良平が冗談を言うと
「ふふん、何を言ってんの。あんたなんかにゃ構っちゃあおれんわ。世の中、超高齢化社会だから毎日ハラハラドキドキ。何が起きるかわからん。この前も家の中で死んでいたんだよ。あーあ、早くこの役を卒業したいわ」
 寒いというのに、額の汗を拭きながら豊満な体躯を揺らせつつ消えて行った。

 良平はそこまで一気に様々な最近の経験を思い浮かべながらひとまず考えるのを止めた。お金を払い、みぞれが落ちる寒空の下を傘もささずに小走りで家に帰った。

三、世間を見渡して
 ソファーに寝ころびながら、良平は相変わらず降り続ける外の風景を眺めた。先ほど考えていた記憶の断片が浮かんでは消えた。
 高齢者はみんなそれぞれの固有の成育歴の中でそれぞれに生きてきた。そして今人生の終末に向かっている。人生に正解がないように、各自が好きなように自由に生を全うすればよいのだ。周りの人々や環境が、それぞれの人生に寄り添うような世間であってほしい。
 あの古びた近所の喫茶店でコーヒーを飲みながらお年寄りの群像の中の一人でいたい。あの公園の落ち葉を自分よりずっと人生の先輩だちと掃除することの落ち着くことよ。
〈この土地で生まれ育ってきた。だからこの土地で死にたい〉
 あの喫茶店のママだってきっと死ぬまでその仕事を続けていたいに違いない。仕事を続けることがボケずに長く生きることだと信じているのだろう。喫茶店に集まってくる人々もいつもコーヒーを黙って飲みながら、みんな心で繋がっていたいと思っていることだろう。だから毎日三百五十円を握りしめて通ってくる。
 かつてあったことのない超高齢者社会の中を私たちは生きている。私たちは毎日手探りで老いをより安楽に楽しく生きてゆく実験をしているのだ。
 この先は誰にも分からない。ドクターだって老いをどう生きるべきかを教えてはくれない。ならば老いの私たち自身が日々生活する中でまさぐるように生きてゆかねばならないのだ。
 したがって、今私たちの生きているこの社会は(施設のようにコンクリートで取り囲まれているわけではないが)高齢化社会の実験施設と見立ててよいのではないか。喫茶店にしたって、この地域だって。
 この世間という世界の中で、物忘れに戸惑ったり、暇を持て余したり、孤独にさいなまれたりしながらも何処かで誰かと繋がって生きてゆく。
〈ここで最後まで生きる〉
 雨の中、蜜柑の木の下で、水仙の群生が天に向かって一斉に伸びていた。




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随筆紹介  私の生まれたこの街で   文科系

2023年04月29日 06時29分57秒 | 文芸作品
随筆紹介  「私の生まれたこの街で」  S・Hさんの作品です                 
                                 
一、近所の喫茶店にて
 横になったままカーテンをめくると、外は雨だった。今年で後期高齢者となる良平は近年妻を亡くし独り者であった。二月の中旬になるというのにこのように寒い日が続くのは起きるのがちょっと億劫だった。
 床に敷かれた布団からすっぽり抜けてすぐ近くの喫茶店に出かけた。モーニングが朝食代わりのつもりで行った。
 店に入るとよく知った少々赤ら顔の女性が度の深い眼鏡で新聞を読んでいた。この店のママさんである。髪は白髪になっている。すでに八十歳を超えている筈だ。この店はもうかれこれ三十年以上になるだろうか。彼女の夫が定年退職してから家を改築してこの店を開いたのだ。その亭主もとっくに亡くなってそれからも女手一つで開いている。
 開店当時、ママさんはまだまだ若かった。小柄ではあったが理知的で色白な美人だった。おまけに気遣いのできる女性であった。夫もスリムで彫りの深い紳士であった。何となく優雅な夫婦にみえた。
 開店当時は近くに出来た物珍しさもありよく出向いたものだった。コーヒー券も買い、しばらくは通った。それも続かずについに行くこともなく記憶にも止まらない存在になっていた。
 ところが近くの、これまた独り者の良平より十歳ほど年上の男性と親しくなって時々通い始めた。その男性は吉川という。
 心境の変化というやつだろうか。若い頃はしゃれた喫茶店の方が良かった。わざわざ、ひなびた狭いその店などに行こうとは思わなかった。それがどうしたことだろう、良平はこの店にまた来るようになった。
 良平が朝の挨拶をすると、そのママが少し曲がった腰をかがめてゆっくりと席を立ち準備に取り掛かった。
 良平は空いている席に腰かけて店内を見渡した。ほとんどが常連客らしい。といっても居るのは四~五人で店内ががらんとした様子である。
 良平の少し前にもうとっくに九十を超えている女性がそれでも裸眼でしっかりとした目つきで雑誌を読んでいる。良平は生まれも育ちもこの地なのでそのご婦人が何処に住んでいてどういう人か分かっている。 
 もともと裕福な家の娘で夫はかつて市会議員をしていた。とうに亡くなっている。アパートなどの資産を沢山持ち、彼女が死んだら相続税はどのくらい払うのだろう。この地に住むものなら一度くらいはそう思うに違いない。しっかりお金を貯めているので相続税などはどうってことはないとも噂されている。
 ところで、彼女は一人っ子で夫は養子になって家に入ってきたのだ。彼女は生まれつき鷹揚で優しかったので、夫は内でも外でも随分威勢がよかった。みんなから親分と呼ばれ親しまれてきた。二人の子供たちはそれぞれに家庭を持ち外に出てしまったので、今は少し淋しそうだ。良平も少しはそういう興味で彼女を見ていた。彼女は良平を見てちらっと目礼をした。
 他にも二、三の人が決まった席でそれぞれのスタイルでくつろいでいた。良平と同じくらいの女性はいつものようにどこかのマガジンのクイズを解いていた。
 この女性は夫の浮気ですったもんだの騒動の挙句、いつの間にか独り者となっていた。子どもはいない。
 良平はそういうことをみんな知っていた。ここにいる誰もがそういう一人ひとりの過去を知っていた。みんながみんなそういうような過去の記憶を共有しながら、今は今の状態で何事もなかったかのよう知らん顔でここに居る。
 コロナが蔓延しているせいもあろうが誰もがしゃべらない。静かな時間が止まってしまった空間にいるようだ。そのことがかえって良平をくつろがせた。
 店内の奥の壁の棚の古いテレビから低い音量の声が聞こえてくる。韓国ドラマをやっているらしい。テレビの音だけが目立った。
 良平のテーブルの上にコーヒーとサラダと焼いた食パンセットを置くと、ママは何事もなかったようにテレビを観た。
 良平は野菜サラダを食べコーヒーをすすりながら、この地の生い立ちや自身の小さいころのことや最近の出来事を思い浮かべた。
 ふと最近のあることが思い出された。


二、回想(地域の生きる高齢者たちー)
 この店の前の道路の真向かいに住む吉川さんのことである。ある日良平が散歩をしていて、近所の話好きのご婦人とすれ違い近所の噂話を聴いた。
「あんたんとこの近くの吉川さん最近ちょっとおかしいんじゃないの。みんなが気持ち悪いと言っているよ」
 吉川さんは、最近あちらこちらの草むしりをしている。それもたった一人で薄暗い公園や人家で座り込むような格好で。手元が分からなくなる夜まで延々と草を引き抜いているという。その様が少し気違いじみているというのである。夫人は別れ際に自分の頭を指さして、言った。
「少し認知が入ってきたのかもね」
 彼女にそういわれると良平の心に反発心が湧いた。同じ伴侶を亡くした身、とことん付き合ってやろうではないか。
 そのことがあって、良平はしばしば吉川さんをこの店に誘った。コーヒー代金は無論割り勘であったが、良平は吉川さんの財布具合に思い当たるとコーヒーの付き合いは彼にとっては負担なのかもしれないと思い、やがて遠のいた。
 今度は吉川さんを公園の落ち葉掃除に誘った。良平は公園清掃のボランティアの人々に誘われるままその作業を手伝っていたが、吉川さんも誘ったのだ。彼は、昔は寿司屋の包丁人をしたり大工をしたりパチンコ台の釘師をしたり職を転々としながらいわゆる器用貧乏であった。だから落ち葉拾いよりも、その公園の立木の剪定を好んだ。彼の表情は得意げであった。


(つづく、2回連載です)



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随筆紹介  法事パン   文科系

2023年04月22日 00時33分40秒 | 文芸作品
    随筆紹介 法事パン  K.Kさんの作品です


「法事パン」って何? 思われるかもしれない。法事の時、参列者にあんパン、クリームパンなどを手渡す風習である。実家のある刈谷市では十五年前の父の葬儀の時も、参列者にアンパンとクリームパンのセットを八〇袋用意した。
 田舎の風習で葬儀はお寺か自宅で行なっていた。九十二歳で旅立った父の時は葬儀ホールで行なったが、その前に自宅に近所の人たちがお悔みに続々と来てくれた。狭い自宅でのことである、家の中に入らず、外から手を合わせていく。こんなにたくさんの人が何処からと思う。皆で見送る習慣があったのだ。その後の葬儀ホールには地元の人たちは来なかった。

 何故アンパンなどを配るのか法事パンのことが気になったので調べてみた。ルーツは島根県。小豆の産地で出雲善哉発祥の地。饅頭や和菓子が一般的だったが、戦後間もなく欧米文化で、昭和三〇年~四〇年、高度経済成長期、見栄えがする上に、当時は目新しい「アンパン」が選ばれた。時代的にはハイカラな洋物だったのだろう。お決まりの饅頭に飽きていたので「アンパン」の登場に人々は喜んだのかもしれない。
 山陰地方では当たり前で誰ひとり不思議に思う人はいないらしい。今ではアンパンの他にもメロンパン、ジャムパン、なども入れるそうだ。
 どうして刈谷市まで風習が伝わったのかは調べきれなかった。もしかして近くにはS社のパン工場があるのが関係しているのかもしれない・・・。


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随筆紹介 イノチ   文科系

2023年04月21日 09時22分04秒 | 文芸作品
 随筆紹介 イノチ  S.Yさんの作品です


「風が吹いて、時間によって明るさも変わり、小鳥がさえずる。みんな意味なんてない。意味がないものを、自然というんです」。
 養老孟司氏のこの言葉にハッ! とした。まさに自然は意味のないものに満ちている。
 現代は、特に都会は意味のあるものだけに取り囲まれて暮らしている。そしていつのまにか意味のないものの存在を許せなくなってきている。
 数年前に相模原市の障害者施設で起きた十九人殺害事件。
「人の手を借りないと生きられない人生にどういう意味があるのか」犯人が言ったそうだ。つまり、すべてのものには意味がなければならない。その意味は自分にはわかるという思い込み。だから自分がわからないことは意味がないと決めつける。
 それらのことにドキリとしたのは、私も似た感覚を持っていたからだった。

 十年以上、現在も植物状態の義理の叔父がいる。連れ合いである叔母が叔父の病院近くに家を借りて看病を続けていた。その叔母が晩年認知症を患い、昨年九十五歳で亡くなった。むろん叔父は知る由もなく今も眠り続けている。
 私は当時から叔父夫婦を見ていて、生きる意味があるのだろうか。生きるってなんだろうと思っていた。私も遠からず歳老いて、人の手を借りて生活しなければならなくなるかもしれない。ましてや自分で何ひとつできずに寝たきりになった場合、私は生きているのが辛いと思う。そうまでして生きる意味があるのかと、自問自答する日々になるだろう。
 これはあくまでも今現在そう思うのであって、その時にならなければわからないこともあるのかもしれないが。
 その亡くなった叔母の姉である私の母親は、九十八歳で元気だ。相変わらず便せん二枚にぎっしりと達者な文字で書かれた手紙が来る。その手紙で母の様子がわかり、私も安心できて嬉しくなる。母の寿命がいつ尽きるのか、誰にもわからない。

 作家の佐野洋子氏が言っていた。「老人になってわかったことがある。何しにこの世に来たか。さしたる用もないのである。用はないが死ぬまで生きなければならないのである」
死ぬまで生きる。至極当然ながら、私は妙に納得できた。生きる道は選べるが、死にゆく道のりは選べないのだから。

 生命に人間がわかる「意味」なんてありません。養老氏もそう言い切っている。
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随筆  セイちゃんの急成長   文科系

2023年04月08日 16時10分16秒 | 文芸作品
 三月中旬の日曜日夕方、娘のマサから彼に、興奮した、早口の電話。
『セイちゃんがねー、体操クラブの連合運動会の跳び箱で一番になった。一四段跳んだんだよ。二年生の新記録だって! 今動画を送ったから、すぐに観ておいてよ!』
 二人しかいない彼の孫のうち下の方、セイちゃん男児が通っている名古屋市昭和区スポーツセンターの子ども体操クラブも参加した名古屋東部各区スポーツセンターの体操クラブ連合競技会のことなのだ。あわててすぐに電話を切って、その動画を見た。横向きに置かれたセイちゃんの背よりも三十センチは高そうな跳び箱の向こうからゆっくりと走って来る。悠々とやってきたと見る間にバーンッと鋭い踏切から、そのジャンプと箱を手で突き放す動作とをバッチリと合力させて、いっぱいに広げた脚で箱を跳び越していた。よくあるようにしゃかりきになって走るのではなく、やわらかく脱力しているのに大きく入る力強い踏切だけに注力しているのが、とてもよく分かった。嬉しかった彼は、すぐにマサに感想の電話をかけ直したものだ。

 さて、このセイちゃんは、全身筋力があって脚も速いが、スポーツは苦手だと彼は思っていた。硬い身体に力が入り過ぎるせいか、上の女の子のようにちょっと教えるとどんどん先へ進んでいくというような子ではないと。ところがこの時の彼は、すぐに思い出したことがあった。二年生二学期にセイちゃんはこんな作文を書いている。与えられたテーマが「最近できて嬉しかったこと」というもののようで、彼が選んだその対象はこんな題名通り「二年生になってできたあやとび」。最近読んだこれを多少省略して原文のまま書いてみよう。

『ぼくは、二年生二学きになってあやとびができるようになりました。
 火曜日に体そう(クラブ)があってその、体そうでなわとびをれんしゅうしました。じいちゃんと来てたので、じいちゃんに、
「どこをどうやってやればいいの」
て言ったら、
「とんでからのばってんをしっかりするといいよ」
て言ってくれました。ぼくは、くせを直すために、れんしゅうしたけれど、どうしても小さいバツにしかなりません。だけど何回もれんしゅうしたら、だんだんわかってきて、一回やっとできました。
 一週間がたってまた火曜日に、なって、なわとびをやる時が来ました。あやとびができるか心ぱいだったけれど、おじいちゃんの、言うことをやってみたら、できました。なわとびをやる前は、心ぱいだったけれどもうやると心ぱいがふっとびました。
 それで、ぼくはあやとびのバツをしっかりやることを思いだして、あやとびは、さいこう六回できたので、つぎは七回をめざして、とんでみたいです』

 こういう繰り返し努力というのは、セイちゃんの大変苦手だったこと。それを知っている彼は、これを読んだ時にはちょっと驚いたものだ。この作文を彼が読んだのはもう三学期の終わりに近いころだったが、「半年前に、こんなに成長していたんだ」と。ただ、彼の方は、この当時に「綾跳びのバツ」を教えていたというのはほとんど忘れていたことである。それを、〈この子は、これだけ大事にして、育んできた!〉と、ちょっと感動した。自分がやっているスポーツの身体のあるこなし方、作り方を「バツ」と表現し続けつつ、その言葉でもって身体技能を導いてきたって、もう立派な小学生中学年段階に入ってきたんだなーと、そんな感動だった。
 他人を真似て、あとは試行錯誤を繰り返し、偶然出来るのを待つだけだから複雑なことは無理という幼児の段階から抜け出したのだ。出来ない原因部分を言葉で表現しつつ、その点に集中して己の身体を導いていくという力を持ったのだ。これは九~十歳頃から身につき始め、伸びていくもの。綾跳び成功をもたらしたこういう言葉の力が、あの跳び箱にも生きているに違いないのである。
〈体操クラブの先生が言った言葉のうちの何か、たとえば「高さなんて怖くない。とにかく踏切に力を入れろ」とかを拠り所にしたのかも知れない。伸びる時の子どもって、やっぱり凄いのだ〉。

 その時、彼はまたこんなことも思いだしていた。
〈セイちゃんって、保育園時代からおしゃべりが得意だったよなー。「おしゃべり大好きセイちゃんは、語彙も豊富です」って、これ確か卒園文集にも先生が書いてくださっていたことだ〉。

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随筆  連れ合いと孫と、大手術後の彼   文科系

2023年03月27日 21時56分42秒 | 文芸作品
 三月も後半にかかると、この高級住宅街を歩いて行くのはとても気持いい。ウメにボケ、レンギョウにユキヤナギなどが通りがかりの庭から顔を見せてくれる。その通りを彼は、孫のセイちゃん、小学校二年生男子と歩いて行く。東山動物園の門を出てから彼の家まで散歩がてら歩こうと二人で決めたのだ。彼との長距離散歩になれている孫二人は、いつの間にか散歩大好きになっていて、先日は六年女子のシーちゃんと名古屋駅まで歩いて、地下鉄で帰宅という散歩もあった。五キロほどかというあの時よりも、動物園内の歩きを入れた今日の散歩は、かなり長いものになる。セイちゃんはそれを緩急付けて悠々と歩いて行く。道ばたにホトケノザを見つけるとしゃがみ込んで、その花を口に含んでいたのは、植物大好きの友達に甘い味がすると教えられたからとのこと。
〈家に帰ったら、また奥さんが怒るな。シーちゃんとの名古屋駅の時も猛烈に怒ってたから。俺の身体を心配してなんだが。俺があの長期入院から退院してきた日に、正式スクワットを十回ほどやって見せただけで、涙顔になってた。心配のしすぎなんだよな〉
 この入院とか涙顔とかいうのは、こういうことだ。

去年四月末に膀胱癌が見つかって、その検査手術や化学療法の入院から、やがて膀胱全摘手術へ。その後も院内感染などもあって、断続的だったが合計四ヶ月ほど、二二年暮れの三〇日まで大学病院に入院していたのだった。今思えば奥さんは、すっかりヨレヨレになって帰ってくる彼を想像していたのである。ただ、そのことが彼には分からなかった。こんな理由からのことだ。
 ランナーだった彼は入院中もずっと、退院後の復活に備えてきた。去年春には月間一五〇キロから一八〇キロ走っていたのだから、その復活が当たり前とだけごく自然に考えて。それで、病院廊下の速歩きやスクワット、点滴が外れた後には病棟一八階の階段往復にも励んでいた。こんなふうに先だけを見ていたから過去をくよくよなどすることなどなかったんだなと、奥さんの涙を見て初めて気付いたわけだった。
〈あの涙には驚いたけど、結婚生活も六〇年近いんだから、いー加減夫の人間を分かってても良いよなー。膀胱摘出で癌のステージも三でなく二と分かったんだし、ちゃんと「大学病院内廊下を歩いてたし、病棟一八階の階段往復もやってる」と伝えてもきたんだし〉
 そう思ったその瞬間ひらめいた。この手術直後の彼が麻酔が覚めて簡易ベッドの上で病室に戻るべく手術室から出たその時に、お連れ合いが飛んできたその光景を。
「もう夕方で、九時間以上もかかったんだよ。さっきダヴィンチ手術の執刀医先生が報告にきてくれたけど、輸血が要る寸前だったって! 前にやった前立腺癌陽子線治療の火傷跡が膀胱と癒着してて、そこを剥がすのがとっても難しいと言われてたでしょ?」
〈あの時も泣きそうだったけど、先生はこんなことも付け加えたと、教えてくれたんだよなー。「ご主人は意外に心臓がお強くて、長時間手術の心電図もちょっと心強かったんですがって」。こういう心臓こそ、ランナー様々ってわけだ、やっぱり!〉
 
 そんなこんなで、二月後半には、通い慣れたジムで歩行速度よりもずっと遅く、ゆっくりと走っている彼だった。ジムの合間の日の補強運動として、付き合ってくれたシーちゃんと家の一八階段を五十往復などとやっていたある日には、お連れ合いからこんな声。
「もうやめなさいよー。何回やったの!?」
 ダイエット目的のシーちゃんは飛ぶようにして百往復を終えてしまっているのに、彼の方はまだ五十にも届かない。そんなに遅いのに、お連れ合いは心配しているのだ。
〈膝が悪いご自分は、三往復も無理だとこの前言ってたから、そんな感覚で見てるのかな。シーちゃんとはさっきこういう会話があったばかりだけどなー。「ジー、遅くなったねー」。「年寄りが癌のあんな手術で長く入院すると、必ずこうなるのね。覚えときな。若いって、とっても幸せなことなんだよ。ただ僕は、前みたいにやれるように頑張ってる真っ最中だけどね」。「うん、分かる。今のジイみたいな八〇歳でもなかなかいないって、もう分かったから!」〉

 セイちゃんは、相変わらずひょうひょう、悠々と彼の周囲をぶらついていく。さっきおねだりしてコンビニで買ったグミをつまみながら。小さく固め、何種かの色がある大好きなゼリー様のお菓子なのだが、「ジー、次は何色が欲しい?」などと彼に微笑みかけて来る。そして言った。
「ジー、ちょっとは走ろうよ!」
「いやいや、今のジーはもう、走れないんだよね」
 その時に彼はふっと思った。
〈俺は、孫と遊びつつ、もっと遊んでいたいから頑張って来たのかもしれない・・・・。だけど、もう一度前ほどに走れるように出来るのかなー?〉

 
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随筆紹介 男の体型  文科系

2023年03月01日 21時45分50秒 | 文芸作品
 随筆紹介 男の体型  K.Yさんの作品です


 家内が骨折し経過が悪く手術となった。明日が入院で、今日は手術前の検査である。午前の全身麻酔の説明と昼からはコロナ感染の検査とに、三時間強の時間があった。家内は病院で待機するのは懲り懲りと、二人は近くの竜泉寺の温泉に逃げ込んた。家内はすぐに休憩室で休んだ。私は暇を持て余した。タオルを買い、お風呂に入った。炭酸泉の大浴場、ジェット風呂、屋外には露天風呂などがあった。多くの客が朝から入浴しに来た。それとなく男の外見を眺めていた。老人と若者ではまるで違う。大半の老人は体型が崩れ、肩は猫背、腹は出ている。きれいな縦の線が消え、横から見るとS字型に変形してしまっている。お腹が締まっている老人は皆無である。二段腹が多いこと。脚は細く、俊敏に走れる体型ではない。しかもO脚である。

 唯一の例外を発見した。奇妙と思ったが、老人も陰毛は黒々としている。禿げた老人もだ。これは意外だった。上の髪は薄くなり、白くなり、剥げてくる。下の髪は、高齢化しても黒々としている。これは推測するに、性への願望は衰えることなくドパミンが高齢者にも駈けているということだろうか。今日の新発見はこれであった。上下を反対になれば、禿げた男性は救われるのに、これは叶わぬこと。

 さて、自分の体型はというと、毎日、腹筋、腕立て、背筋、スクワットを一五〇回やっているから、お腹は前後には締まっている。ここの鏡でよく見るとお腹の下部の横腹が少しブヨブヨしている。これは浮き輪ゾーンと呼ぶ贅肉である。最近、運動不足で縄跳び五〇〇回を実行しているが、三〇分のウオーキングを追加しないと。そう考えた。前後の運動だけでは無理。ネットで調べると、左右、斜めのストレッチが有効だと。私も食いしん坊。摂取カロリーが消費カロリーを上回らないこと。あとは有酸素運動のジョギングがいいと。

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