ナチスが住民虐殺仏の村 戦後68年独大統領初訪問へ (2013.9.2 毎日新聞)
第二次世界大戦中のドイツ占領下で、ナチス親衛隊が住民642人を虐殺する事件があったフランス中部オラドゥール村を、ドイツのガウク大統領が、独首脳として戦後初めて訪問する。AFP通信が1日、報じた。独仏友好条約(エリゼ条約)締結50周年を記念し、オランド仏大統領とともに当時の廃墟を4日訪れる。独仏の戦後和解を象徴する訪問として注目されている。
オラドゥール事件は1944年6月10日、ナチス親衛隊が突如襲撃し、住民を教会や穀物倉庫に集めて閉じ込め機関銃掃射と放火で虐殺した。ナチス抵抗運動のレジスタンスのメンバーが隠れているとの誤った情報などが原因とされる。親衛隊の部隊の中に、大戦中にドイツ領となった仏東部アルザス・ロレーヌ地方出身のフランス人も含まれ、仏社会にも禍根を残した。これまで遺族がドイツ首脳の訪問を拒否してきた。
焼けて廃墟となった村中心部は戦後、仏政府の決定で当時のまま保存されている。両大統領は廃墟を訪れ、事件の生存者と面会する。AFP通信は84年に仏北東部の第一次大戦の激戦地、「ベルダンで当時のミッテラン大統領とコール西独首相が平和を誓って以来の象徴的訪問」として伝えている。
ガウク大統領は旧東ドイツで民主化デモを主導した元牧師。人権問題などに意欲的な姿勢で知られる。昨年3月の大統領就任後、ナチスによる虐殺が行われたチェコのリディツェ村、イタリアのサンタンナ・ディ・スタツェーマ村をいずれもドイツ大統領として戦後初めて公式訪問し、犠牲者を追悼している。
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これに比べて日本の安倍晋三首相はどうでしょう。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」という村山談話を首相就任直後に「そのまま継承するものではない」と云っています。村山談話は閣議決定されたものです。
今年4月23日の参議院予算委員会で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しました。これもおかしな論理です。1974年12月14日の国連総会で「侵略の定義に関する決議」が行われ、国際的に侵略の定義は定まっています。その決議によりますと、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう(第1条)」で、以下武力の最初の行使(第2条)、侵略行為(第3条)などと具体的に規定しています。安倍首相は日本の侵略はなかったと云いたいのですが、ドイツは率直に誤りを認めたからヨーロッパで信頼を回復したのです。安倍首相も素直に過去の過ちを認めるべきです。
大西 五郎
第二次世界大戦中のドイツ占領下で、ナチス親衛隊が住民642人を虐殺する事件があったフランス中部オラドゥール村を、ドイツのガウク大統領が、独首脳として戦後初めて訪問する。AFP通信が1日、報じた。独仏友好条約(エリゼ条約)締結50周年を記念し、オランド仏大統領とともに当時の廃墟を4日訪れる。独仏の戦後和解を象徴する訪問として注目されている。
オラドゥール事件は1944年6月10日、ナチス親衛隊が突如襲撃し、住民を教会や穀物倉庫に集めて閉じ込め機関銃掃射と放火で虐殺した。ナチス抵抗運動のレジスタンスのメンバーが隠れているとの誤った情報などが原因とされる。親衛隊の部隊の中に、大戦中にドイツ領となった仏東部アルザス・ロレーヌ地方出身のフランス人も含まれ、仏社会にも禍根を残した。これまで遺族がドイツ首脳の訪問を拒否してきた。
焼けて廃墟となった村中心部は戦後、仏政府の決定で当時のまま保存されている。両大統領は廃墟を訪れ、事件の生存者と面会する。AFP通信は84年に仏北東部の第一次大戦の激戦地、「ベルダンで当時のミッテラン大統領とコール西独首相が平和を誓って以来の象徴的訪問」として伝えている。
ガウク大統領は旧東ドイツで民主化デモを主導した元牧師。人権問題などに意欲的な姿勢で知られる。昨年3月の大統領就任後、ナチスによる虐殺が行われたチェコのリディツェ村、イタリアのサンタンナ・ディ・スタツェーマ村をいずれもドイツ大統領として戦後初めて公式訪問し、犠牲者を追悼している。
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これに比べて日本の安倍晋三首相はどうでしょう。「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。」という村山談話を首相就任直後に「そのまま継承するものではない」と云っています。村山談話は閣議決定されたものです。
今年4月23日の参議院予算委員会で「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」と答弁しました。これもおかしな論理です。1974年12月14日の国連総会で「侵略の定義に関する決議」が行われ、国際的に侵略の定義は定まっています。その決議によりますと、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若しくは政治的独立に対する、又は国際連合の憲章と両立しないその他の方法による武力の行使であって、この定義に述べられているものをいう(第1条)」で、以下武力の最初の行使(第2条)、侵略行為(第3条)などと具体的に規定しています。安倍首相は日本の侵略はなかったと云いたいのですが、ドイツは率直に誤りを認めたからヨーロッパで信頼を回復したのです。安倍首相も素直に過去の過ちを認めるべきです。
大西 五郎