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新聞の片隅に載ったニュースから(112)     大西五郎

2013年09月15日 15時56分28秒 | Weblog
 五輪 喜ばないと「非国民」(ネットで何が…)(2013.9.14 中日新聞)

 東京が五輪開催地に選ばれた瞬間、ネット上でも喜びの声が多数書き込まれた。
 一方、喜ばない人ももちろん存在する。スポーツに興味がない人、直接の恩恵を受けない人、混雑が増すのがいやな人、東日本大震災の被災者に対する関心が薄れ、復興が遅れないか懸念する人。そして、原発事故で汚染水が漏れているのに、安倍晋三首相が「敷地内に完全にブロックされている」と断言したことに異議を唱える人だ。
 脱原発を掲げて7月の参院選で初当選した山本太郎氏はブログで「仮設住宅で暮らしている人々に、選手村くらい心地よい住居を提供しろよ」と書いた。狭く、夏は暑くて冬寒い仮設暮らしの人がいまだにいることも忘れるな、と指摘したのだ。ネット上でこうした発言をすると、「非国民」という扱いになる。「祝賀ムードに水をさすな」ということだ。
 ツイッターでは、「日本人なら東京五輪に反対する理由はないよな」「「」五輪は不必要」『原発を解決せずして何が五輪か』と言ってる人は、東京五輪、見るなよ!非国民め…」などのつぶやきがあった。
メディアの取材で、被災地の人が「五輪どころではない」といった趣旨の発言をしたことに、こんな意見が書き込まれた。「被災者は一体何様のつもりか!いつまで同情してほしいのか?国民が一丸となって招致したオリンピックをけなすとは被災者は非国民か?」(中略)
 日ごろから、福島の人や米軍基地に反発する沖縄の人を「非国民」と呼ぶことが少なくないが、ネット上では大きな流れができつつある時、異論を徹底的につぶす傾向が強固になる。「日本が一つにになろうという時、「ちょっと待って…私たちのことも考えて」と言う声は、避難の渦にかき消されてしまうのだ。
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 自分と違う意見に対しては直ちに反撃する。時には集中して攻撃が行われ、「炎上」するということは「ネットで何が…」でもよく取り上げられていましたが、「非国民」というレッテルを貼る攻撃に、戦争の時代を知っている私は、ここまできたかと背筋が寒くなるのを覚えました。
 戦争中、政府や軍部、時には町内会の決定に異を唱えたり、疑問を呈するとその人の考え方は攻撃され、無理矢理戦争に協力することを表明させられました。その時に使われたのが「非国民」というレッテルでした。思想・信条の自由、言論・表現の自由を許さない社会でした。
 今ネット上で、自分の考えが多数と思っている者がそれと異なる考え方や意見に対して「非国民」と罵倒しているようです。そういう人は若い人だと思いますが、「非国民」という黴の生えた言葉を持ち出して相手を攻撃する思想的背景は何なんでしょうか。
今、非正規の従業員が増え、若い人が自分の将来に希望が持てなくなっていると云われます。そういう不満が他人をみんなで攻撃することで、孤立感を解消しようとしているのでしょうか。
 安倍首相は「日本をとり戻す」と云いますが、安陪首相がとり戻そうとする「日本」というのはどういう「日本」なのでしょうか。国民が政府に一致して従う国なのでしょうか。そういう政冶指導者の言動を若者が先走りし解釈しているのかも知れませんね。
                                      大西 五郎
コメント (2)
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今の世界に思う  文科系

2013年09月15日 08時06分16秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
これはまた、コメントをエントリーに格上げするものです。14日の只今さん「放射能汚染食品を食したいのですが……」に付けたコメント。一部手直ししています。

①「あの頃と今と」
 らくせきさんが呼応してくださったので、一歩踏み込んで、標題のことを、まー聞いて下さい。
 あの頃(戦前1930年代)と今では、同じ本質と、そこから出てくる大変違った人類に悲劇的な諸現象とがあると思います。以下のように。
 本質は言うまでもなく、過剰生産恐慌。少人数で社会に必要なものができてしまうので購買力は増えず、慢性的にものが売れていかない状況が10年に一度程爆発して、銀行が潰れ、会社が潰れ、膨大な失業がでるというようなことでしょう。今はこれが慢性的になっていますが、先進国家が常時介入して辛うじて信用崩壊を食い止め続けている。その「先進」国家介入を通じて、金融自由化によるその儲けの拡大が、以下のように世界を牛耳っているのだと思います。
 ここから来る「一次的な現象形態」は大変違います。世界の物の世界を金融が、それもごく少ない先進国大金融が完全支配してしまった。どんなふうに?
 株主資本主義ということで他国の会社にも自由に乗り込んでいく。低い株価の割に財産があって、社員給料が高いような会社が世界中で狙われました。財産を整理したり、社員の首切り、減給に励んだりして、製品原価を下げ、株価を高めてそれを売ってから逃げていったりします。会社を長期にじっくり育てるような不効率なことは間もなく他人任せにします。自身は、全部短期資本運用。その方が儲かるからです。
 超先進国以外の国家までが、短期資本運用の対象、餌食になりました。1990年代から世界あちこちで無数に繰り返された通貨危機、国債危機。要するに国が買われ、値を上げてから、たたき売られるのです。値が上がることから先ず儲けて、次は安くなるほど大きく儲かるという空売りの仕組みから、これでもかとたたき売られる。こんな手法で先進国以外が物の世界で汗水垂らして稼いでも稼いでも社会資本の金さえむしり取られてきました。ちょっと進んだそういう国ほど失業者が多くなります。ハイチのような極貧困国ではこんな短期プレーもうま味はありません。
 世界の1%と99%とはそういうことだったと思うのです。もっとも、この1%には他と差別された長時間労働の大企業高給正社員が連なっているのですが。

 私見によれば、これへの根本対策はむちゃくちゃ難しい。1%以外が、みんな仲良くまーなんとか暮らしていけるようにするには、こんな道しかないと思うからです。正社員の仕事を失業者にも分け合う方向へと、株主資本主義に抗して進める道しかないと思うのです。物の世界を荒らす短期資本運用に対して、制限も必要になるでしょう。人の職業というものは、基本的に物の世界にしかないからです。そして、あらゆる人に職業が必要だからです。以上これらのことは、先進国で一斉に始めていかねばならないという難しさまで存在します。
 こんな作業は、次のような条件が出来ねば先ず無理でしょう。大金融の世界支配の苛酷さが誰の目にも明らかになって、先進国を中心に世界的論議が巻き起こること。ちょうど、第一次世界大戦という「総力戦の結果」がどれだけ苛酷なものであるか分かった時に初めて、戦争違法化が世界的に論議され、着手されたようなことだと思います。あの時のアメリカ大統領ウィルソンのように世界的なイニシアティブを取る人が果たしてどこから出てくるのでしょうか。
 また、1%がTPPなどで世界の農業、食料、水、医薬品、医療などを完全支配し始めた時には、どれだけの惨劇が待っていることでしょう。その頃は多分、普通にヒューマニズムと呼ばれた感じ方、考え方が、違ったものにねじ曲げられるという重大な思想工作も成されているでしょう。生活保護の考え方にも、それが入ってくるはずです。

 長々と書きました。愚痴と思って下さい。


②「要は、と補足」
 以上のこと、物が売れなくて激しすぎる競争社会では、要は結局、世界金融資本が勝つということです。商品の中でも一番儲けがある金自身(為替とか国債とか株とか、金融派生商品を含めて)を相手にしているところから、儲けが最も大きいからです。大変なリスクを冒しても、破産するときは大きくて潰せないということで、政府の援助まであったから、なお好きなことができる。この点ではもう、今は資本主義とか自由主義とかでさえない。自由資本がかならず危機に陥って、政府に救済してもらうのですから。それが織り込み済みの世界なのですから。

 なお、上に一部表現したような彼等の恥部は、社会には隠されることになります。彼等がマスコミを支配するから、都合の悪いことはなかなか世に出ません。テレビと新聞程度の人々には知らされないということ。これを古い命題で言えば、こんなことでしょう。
「時の経済的支配階級が時の社会の思想生産手段を握る」
 彼等がこういう差別社会を肯定する思想を振りまくとき、人類がここまで築き上げたヒューマニズム思想は、嘘で固めた新理論でねじ曲げられることになるのも、さしあたって必然です。

 我々はこれに勝てるでしょうか? どうやって?
 以上すべての根源になるような過剰生産恐慌に対して、マルクス的に国家経済計画を正しく進めることができれば解決するはずという理論も今は挫折しているのです。「計画」経済をやる人間が信用できなかったということでしょう。それならば逆に、資本による自由競争に任せた方がましと、そんな現状なのだと思います。
コメント (4)
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