安保法制懇 結論ありきでいいのか (13.9・19 中国新聞社説)
「新聞の片隅に載ったニュースから」№115で、公明党の山口那津男委員長が集団的自衛権の行使容認に向けた議論を進める「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)の結論に「あれは首相の私的諮問機関であって、公明党は拘束されない」と講演したことをお伝えしましたが、広島に本社を置く中国新聞が9月19日の社説で、安倍首相が安保法制懇の報告に基づいて集団的自衛権の解釈変更を打ち出そうとしていると批判しましたので紹介します。
大西 五郎
[中国新聞9月19日社説]
安保法制懇 結論ありきでいいのか
戦後日本が歩んできた道筋を大転換しようというのだろう。
安倍晋三首相が設けた安全保障に関する有識者懇談会(安保法制懇)がおととい、7カ月ぶりに会合を開いた。集団的自衛権の行使解禁に向け、憲法解釈を見直す方針を確認した。
首相の思いは法制懇でのあいさつに集約されるだろう。「憲法制定以来の変化を直視し、新しい時代にふさわしい憲法解釈の在り方を検討していく上での基礎となることを期待したい。」
その言葉通り、法制懇は年内にも報告書をまとめ、安倍首相に提出する。その上で政府が解釈変更の検討に入る構えだ。
これではなし崩し的な解釈改憲に等しいというほかない。最高法規をいとも軽々しく扱っていいものだろうか。(集団的自衛権についての定義略)
わが国の政権は代々、憲法9条の制約によって(集団的自衛権は)行使できない、との見解を受け継いできた。国民主権や基本的人権の尊重などと並び、戦争放棄と戦力の不保持が現行憲法の根幹であることの証左でもあろう。
安保法制懇での議論は、安倍首相にとって、「再チャレンジ」でもある。第1次政権で設置され、2008年に集団的自衛権の行使に道を開く提言をまとめた。その前に政権は退陣し、宙に浮いた格好になった。あらためて議論を始めたのは安倍首相が政権に返り咲いた後のことし2月である。メンバー14人の顔ぶれは、首相と近しい大学教授や企業幹部らはほぼ変わらない。再び積極的な内容の報告書を編むのは確実だろう。
座長代理の北岡伸一国際大学長は、集団的自衛権の行使を全面的に容認すべきだと明言している。しかもサイバー攻撃や無差別テロに対する自衛隊の活動範囲を前回よりも踏み込む方向という。
少数の人間が政権の意をくんで新たな憲法解釈を打ち出す。それを「お墨付き」として政権が検討を進める。そうした構図に違和感を禁じ得ない。政権が代われば憲法解釈も変わるとすれば、何のための最高法規かわからなくなる。どうしてもというならば国民に憲法改正を問うのが筋だろう。
各界各層の多様な意見が議論の出発点となるべきであるが、気掛かりは、自民党内の慎重派に以前ほどの存在感が感じられないことだ。公明党の連立政権のブレーキ役としての役割が問われよう。
安保法制懇の報告書はあえてタカ派色を押し出す、との見方がある。それを受けて安倍政権が多少抑制的な姿勢を見せることで、世論の抵抗感を和らげるという戦略である。よもや安倍政権としても、そんな不誠実なシナリオで国民がけむに巻かれるとまでは考えていないだろう。
それよりも、今なぜ憲法解釈の変更なのか。国民が納得いくだけの説明を求めたい。
※字数の関係で一部省略したり、表現を簡素化しました。
「新聞の片隅に載ったニュースから」№115で、公明党の山口那津男委員長が集団的自衛権の行使容認に向けた議論を進める「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)の結論に「あれは首相の私的諮問機関であって、公明党は拘束されない」と講演したことをお伝えしましたが、広島に本社を置く中国新聞が9月19日の社説で、安倍首相が安保法制懇の報告に基づいて集団的自衛権の解釈変更を打ち出そうとしていると批判しましたので紹介します。
大西 五郎
[中国新聞9月19日社説]
安保法制懇 結論ありきでいいのか
戦後日本が歩んできた道筋を大転換しようというのだろう。
安倍晋三首相が設けた安全保障に関する有識者懇談会(安保法制懇)がおととい、7カ月ぶりに会合を開いた。集団的自衛権の行使解禁に向け、憲法解釈を見直す方針を確認した。
首相の思いは法制懇でのあいさつに集約されるだろう。「憲法制定以来の変化を直視し、新しい時代にふさわしい憲法解釈の在り方を検討していく上での基礎となることを期待したい。」
その言葉通り、法制懇は年内にも報告書をまとめ、安倍首相に提出する。その上で政府が解釈変更の検討に入る構えだ。
これではなし崩し的な解釈改憲に等しいというほかない。最高法規をいとも軽々しく扱っていいものだろうか。(集団的自衛権についての定義略)
わが国の政権は代々、憲法9条の制約によって(集団的自衛権は)行使できない、との見解を受け継いできた。国民主権や基本的人権の尊重などと並び、戦争放棄と戦力の不保持が現行憲法の根幹であることの証左でもあろう。
安保法制懇での議論は、安倍首相にとって、「再チャレンジ」でもある。第1次政権で設置され、2008年に集団的自衛権の行使に道を開く提言をまとめた。その前に政権は退陣し、宙に浮いた格好になった。あらためて議論を始めたのは安倍首相が政権に返り咲いた後のことし2月である。メンバー14人の顔ぶれは、首相と近しい大学教授や企業幹部らはほぼ変わらない。再び積極的な内容の報告書を編むのは確実だろう。
座長代理の北岡伸一国際大学長は、集団的自衛権の行使を全面的に容認すべきだと明言している。しかもサイバー攻撃や無差別テロに対する自衛隊の活動範囲を前回よりも踏み込む方向という。
少数の人間が政権の意をくんで新たな憲法解釈を打ち出す。それを「お墨付き」として政権が検討を進める。そうした構図に違和感を禁じ得ない。政権が代われば憲法解釈も変わるとすれば、何のための最高法規かわからなくなる。どうしてもというならば国民に憲法改正を問うのが筋だろう。
各界各層の多様な意見が議論の出発点となるべきであるが、気掛かりは、自民党内の慎重派に以前ほどの存在感が感じられないことだ。公明党の連立政権のブレーキ役としての役割が問われよう。
安保法制懇の報告書はあえてタカ派色を押し出す、との見方がある。それを受けて安倍政権が多少抑制的な姿勢を見せることで、世論の抵抗感を和らげるという戦略である。よもや安倍政権としても、そんな不誠実なシナリオで国民がけむに巻かれるとまでは考えていないだろう。
それよりも、今なぜ憲法解釈の変更なのか。国民が納得いくだけの説明を求めたい。
※字数の関係で一部省略したり、表現を簡素化しました。