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プーチンのクリミア演説抜粋   文科系

2014年03月21日 12時53分09秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 プーチンがクリミア独立問題について演説した全文を読んだ。ここでもご紹介した名古屋の「街の弁護士日記」に全文が載っている。以下は、そこから抜粋させていただいたものだ。プーチンをけっして好きなわけではないが、述べている事は筋が透っていると感じた。ロシアの議員、クリミア・ウクライナ関係者を前にした、30分を超える大演説である。日本のマスコミも、国際紛争があった時には当事者双方の情報をもっともっと流すべきだろう。イラク戦争は、アメリカ・西欧だけの情報で嘘の理由に踊らされて、大変な悲劇の結末になったはずだ。クリミアを巡る現在の日本世論も、そうなりかけていないだろうか。
 ここでプーチンが述べている事は、僕がここで述べてきた国際情勢論にたまたま非常に似ていると感じた。アフガン、イラク、リビア、コソボ、「アラブの冬」にも僕と同じようなふれ方をしている。ドル崩壊も間近いアメリカと、ロシア。どっちもどっちと見れば、アメリカの無理押しはロシアの目からこそよく見えると、そこら辺りが正解という気がする。

【 (前略) 二つ目に、これが最も重要なのだが、我々は国際法に違反したのか?
私は確かに上院からウクライナで軍事力を行使していいという権利を与えられた。しかし、まだ行使していない。ロシア軍はクリミアに派遣されていないのだ。クリミアの部隊は、国際条約に基づいて駐留する部隊だけだ。
確かに我々はクリミアの部隊を増強した。しかし、強調したいのだが、クリミア駐留部隊の上限要員を超えたわけではない。上限は2万5千人。これまでは、単にその上限までは必要なかったというだけだ。
独立を宣言と住民投票を発表した際、クリミア自治共和国議会は国連憲章を根拠とした。民族自決の原則だ。思い出してほしい。当のウクライナもソ連から脱退するときに同様の宣言をした。ウクライナは民族自決を使ったのに、クリミアの人たちはそれを拒否される。なぜなのか?

このほかにも、クリミア指導部は有名なコソボの先例を参考にした。それは西側が自ら作ったものだ。全くクリミアと同じケースであり、セルビアからコソボが分離することを認めたものだ。これも一方的な独立宣言だったが、そのときは中央政府の許可は何ら必要とされなかった。
国連の国際裁判所は国連憲章第1条2項の原則に同意し、2010年7月22日付の決定で次のように指摘した。文字どおり引用する。
「安全保障理事会は一方的な独立宣言について、一律禁止にするような結論は出さない」
「国際法は、独立宣言について適切な禁止、というものを規定していない」。

すでに明かだろう。引用を強調したいわけではないが、私は抑えることができないので、公的文書から抜粋をもう一つ紹介したい。
それは2009年4月17日付の米国による覚書だ。
それはコソボの審理のときに国際裁判所に提出されたものだ。
「独立宣言は国内法に違反することが度々起こる。しかし、それは国際法に違反していることを意味しない」。
自分たちで書いて世界に向けて吹聴したのだ。
すべてをねじ曲げ、そして今度は憤慨している。どういうことだ?
クリミアでの行動はすべてはっきりと、これ(コソボの例)と一致する。
なぜかコソボのアルバニア人はよくて、クリミアのロシア人、ウクライナ人、タタール人は禁止されているのだ。
なぜなのか?
そして欧米は今度は、コソボは特例だと言う。それは結局例外だったということか?
コソボの紛争では多大な人的被害があったから?それは法的根拠になるのか?
国際裁判所の決定はそんなことはまったく触れていない。二重基準どころではない。驚くべき原始的な直接的な皮肉だ。

昨日までは白と言っていたのに、明日には黒と言うようなものだ。あらゆる紛争は人的犠牲が出るところまで行かなければならないということか?
もしクリミアの地元自警団が事態を掌握しなかったら、同じように犠牲が出たかもしれない。幸いそれは起きなかった。ただの一つも武力衝突は起きなかったし人的犠牲もなかった。なぜか?答えは簡単だ。市民と彼らの意思に反する形で戦うのは難しいだけでなく実際には不可能だからだ。
これに関してはウクライナ軍に感謝したい。それは決して小さくない部隊だ。武装兵は2万2千人。武力に訴えなかったウクライナ兵士に感謝したい。もちろん、これに関しては別の見方も出てくる。クリミアにロシアが武力によって干渉したと。でもそれはおかしい。
一発も発砲せず、一人も犠牲者を出さない形で武力介入が行われたことが歴史上あっただろうか。私はそうした例を知らない。

親愛なる皆さん。ウクライナを取り巻く環境は、まるで鏡のように今世界で起きていること、そしてかつて世界で起きたことを映し出している。地球上で2極化世界(冷戦)が終わった後も、世界は米国率いる西側は、政策を実行するのに、国際法ではなく、「力の原則」に従う方を好んだ。
彼らは自分たちが選ばれたもので、例外だと信じた。世界の運命を決めることができるのは常に彼らだけに与えられた権利だと。彼らはそのように振る舞っている。それが正しいと言わんばかりに。
国家の主権に対して武力を使い、同盟を組むのが常套手段だ。我々に賛同しないものは、我々の敵だとみなす。攻撃を合法だと装い、国際機関の必要な決議を破り、様々な理由で都合が悪くなれば、国連、安保理をすべて無視する。

ユーゴスラビアでもそうだった。1999年のことをよく覚えている。自分でも目の当たりにしたが、信じれなかった。欧州の偉大な都市の一つであるベオグラードが数週間のうちに空爆で破壊されたのだ。そしてその後、本当の武力介入が始まったのだ。
果たして安保理決議は、ユーゴスラビアのこの問題について、こんな風に解決しようという内容だったか?そんなわけはない。そしてアフガニスタン。イラク。リビアではあからさまに国連安保理決議に違反した。飛行禁止区域を守る代わりに空爆が始まったのだ。
一連の「カラー革命」(一部の旧ソ連諸国で起きた革命)もそうだ。それが起きた国では、圧政や貧困、展望のなさに人々が疲れ果てていた。それは理解できる。
しかし、そのような感覚が皮肉なことに利用されたのだ。
利用した方の国(欧米)は、それがスタンダードだという。
しかしそれは彼らの人生や伝統、文化には当てはまらなかった。結果は、民主主義や自由の代わりに、カオスだった。暴力の激突であり、政権転覆の応酬だった。「アラブの春」は「アラブの冬」へと変わった。
(以下略)】
コメント (7)
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