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憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

ネットで何が・・・差別者の不思議な二重基準     らくせき

2014年03月17日 15時44分32秒 | Weblog
こんな記事が最近の中日に載っていました。

事件が起きるとネット上には「在日コリアンの仕業」という書き込みがあふれる。
アンネの日記事件も同じ。

その際、在日の仕業という根拠とされるのが
「在日の場合メデイアは名前を報じない」という虚説。
産経だけが報じてリベラルなメデイアは在日の犯罪を隠ぺいしていると
いう虚説も。

また差別的な書き込みを消す、「差別らくがき消し隊」も、
在日による自作自演とされる。
日本人が差別的と言う誤解を世界に広めるための反日工作という。
その根拠が、そんなことを「生粋の日本人」がするわけがない、という理由。
また差別らきがき消し隊の「チ」の書き方が日本人じゃないとも。

記事の執筆者は、こんな感想を述べています。
日本人=善、在日=悪、という図式に固まった人達がネット上に日々、
書き続け、街などでリアルな差別表現があると報じられると、自作自演扱いをする。
このダブル・スタンダードが不思議さは変じゃないかと。

思い出すのは、中国侵略の根拠とされる報道写真を
日本刀の持ち方が日本人ならしないものと、小さな事実を取り上げて、
写真は偽物、自作自演と断定する手法と酷似していると。

あのナチが天下をとっていく時の手法。
「生粋の日本人」と「純粋なドイツ民族」はそっくり。
どこかの元首相が改憲はナチに見習え、と言ったが、着実に実行されている。

一度目は悲劇。二度目は喜劇。

コメント (19)
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随筆 夢に描いた演奏会  文科系

2014年03月17日 06時10分25秒 | 文芸作品
 こんな演奏会を創り出してみたかった。そんな夢をとうとう叶えたというお話をしよう。

 舞台は名古屋市南東郊外、民家風ログハウスの小演奏会場。時は春も真っ盛りの3月31日。西と南に庭があって、北西には咲きかけた紫木蓮、本日の庭のヒロインだろう。その根本にはユキヤナギが、そのちょっと南に離れた所からは満開レンギョウの黄色が、それぞれ目に飛び込んでくる。珍しい演奏会とあってか、30人ばかりの小会場は1部に続いて2部も満員だ。
 演奏は僕たちの先生。「朗読コンサート」と銘打った会のメーンの出し物は「プラテーロとわたし」。スペインのノーベル文学賞詩人ファン・ラモン・ヒメネスの詩に、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコが曲を付けた作品だ。朗読者はある「おはなし会」の会員の方である。
 「プラテーロとわたし」の朗読コンサートを聴いたのはこれで3度目だが、先生の初めて聴くこの演奏はどういうか、とにかく生き生きとしている。強弱、緩急ともに落差が大きく、要するに動きがあるのだ。また、クラッシックギターの持つあらゆる表現技術・奏法を作曲者の指定以上に、それを乗り越えてちりばめていたのかもしれない。この演奏がまた、朗読者の低めで落ちついて温かい声をよく浮かび上がらせ、小さな椅子にぎっしりと並んだ30人が食い入るように見つめ、聴いていた。

 数曲の独奏に入って、その中にはフェルディナンド・ソル作曲「エチュード 作品6の11番」が入っていた。これがまた、先生の僕に対する何かお返しのような気がして、ちょっと嬉しかった。というのは、去年に続いて2回目のこの会は、弟子たちが実行委員会を作って実現してきたものであって、僕はたまたま実行委員長だったからだ。委員長といってもなんの権限、権威もなく、当日に限って言えば駐車場の整理兼雨中の案内係のようなことをしていただけだ。1部2部の司会はそれぞれ、A氏とUさんに頼んだし、受付はKちゃんがやってくれた。A氏はわざわざヒメネスの人生と作品までを調べてきて司会談話のなかに織り込んでくださったし、Uさんはといえばこの日の為に作ったという黒のスーツでその細めの美しさが際立って見えた。余談だが、この会場の持ち主がやはり聴衆として参加しており、あとでこんな感想を漏らされていたと聞いた。「なんか、感じの良いお弟子さんばかりで、羨ましかったです」。そう、A氏もUさんも、とても感じが良かった。そして、この家の持ち主も負けずに感じが良くって、これがまたリコーダーなどのサークル、演奏会などをやられてきた方であって、この会場もそういう体験からイメージを膨らませてきた彼女の「夢の産物」らしい。
 さて、こういうイメージの演奏会を長く温めてきて提案したのは、間違いなく僕である。会場ログハウスのパイン材の壁に4~5枚の絵が掛けてあるが、これも僕のいろいろ語った願いの一つを先生が生かしてくれたものだった。やはり弟子の1人S氏が絵をやると聞いて、先生が当日の為に頼んで下さったのである。全てがスペインの光景、情景だった。中でも最も目につく場所には、グラナダ辺りの「フラメンコ小屋」(タブラオ)で中年女性が長いモスソを翻して踊っている。僕も観光で訪れたことがあるのだが、古ぼけた薄暗い庶民の場所という感じがとてもよくでていて感心していたものだ。

 さて、この演奏会では、演奏が終わってからが僕の最大の出番と言って良い。実行委員会のメンバーで会場を作り直して、「ワイン・チーズパーティー」に模様替えしていく。ワインは赤白5本をそろえ、チーズはロックフォールなどの青カビと、白カビをそろえた。去年の会で、こんな体験があったから安心して。このパ-ティーを当てにしてくる2部への参加者は、ブルーチーズが好きな人が多いのだ。つまり食通が揃っている。
 
 ワインは全部なくなった。チーズは少し残った。これらを飲み平らげる合間に、先生にいろんな曲をみんなが注文していたし、2回目にして皆がもうこの会に病みつきは明白である。音楽といろんな特技を持った弟子たちの作品と、ワインとチーズ。生きている限り、弟子たちの力で続けていきたい。我が親愛なるギター仲間たちはみんな、間違いなくそう思っているはずだ。春夏秋冬と各1回、7~8人で4年も続けあってきた変わり種宴会「ギター遊びの会」の結晶の一つなのである。
 こういう機会、場所から先生に新しいお弟子さんが見つかること、それも僕らの最大の望みである。大好きなギター音楽、それを職業とする人が普通に食っていける日本であって欲しい。

(当ブログに、2012年06月13日掲載の再掲です)
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随筆   「音楽」の友達   文科系    

2014年03月17日 04時46分51秒 | 文芸作品
 今朝、ギター仲間Nさんからこんなメールがあった。冒頭の文言からして、その嬉しさのほども分かろうというもの。『おはよう? こんな時間に目を覚ましてしまった。でも善は急げ、朗報です』。午前二時四四分発送とある。
 【昨日レッスンが終わってからAさん宅に行ってきました。彼から「一度私の『月光』を聴いて欲しい」ということで。大変驚いた。半年くらい前に聴いたのとは違い格段に上達されていたので。ゆっくりたんたんと、そしてしっかりとしたテンポとタッチ。私も要望されて『月光』を弾いたが、確実に私の負け。でも嬉しくって涙が出てきた。絶対に人前で曲を弾かなかった彼が「自分の演奏を聴いて欲しい」という気持ちになったというのが、嬉しかったなぁー。(以下略)】
 この二人、あるギター教室の七十に近い同門生で、Nさんとは同じ歳、Aさんは一つ上。去年の早春、発表会の打ち上げ会で知り合ってから二年足らずのお付きあいだ。そして、打ち上げ会の一二日あとに我が家に三人が集った「ギター遊び・飲み会」以降しばらくして、ある事件が起こった。Aさんが教室を辞めてしまったのだ。この事件の微妙さを部外の方々に分かってもらうのはとても難しいのだが、こんなことだと推しはかってきた。
 まず、Aさんが教室の先生に大きな不満を持ち始めた。どうも、僕たち二人の批評から『先生が、この年寄りとしてはこんなもんだろうとだけ扱ってきた』と思い至ったらしい。僕らの関係もナーバスなものになってきた。特に、僕の古いアルペジオ楽譜二枚にショックを受けたとしきりに語られる。定年後先生につく以前、一人習いの昔から、ちっとも上手くならないのでいつも基礎に帰って弾き込んできてぼろぼろになった二枚であった。これのことも含めて、彼はおおむねこんな思いを抱いていたのではないか。
〈習って二十年。ちっとも前進しなかったのはタッチがいい加減だったからだ。練習時間と熱意とでは誰にも負けぬと自負してきたが、それもどうもあやしい。俺のこのギター、これから一体どうしたら良い!〉
 以降の彼は、僕とは話したくないようだった。今分かるのだが、僕が何気なく口に出した言葉が彼をずいぶん傷つけてもいたようだ。
 そして、彼との接触を委ねたNさんからこう聞いたのが、去年の晩夏。「別の先生について、音だしの基礎練習だけをやってきたらしい」。秋には、Nさんの努力で三人の下呂温泉一泊旅行が実現した。Aさんは、僕らが思いもしなかったことだが、Nさん持参のギターでその音だしだけを披露してくれた。見違えるようにしっかりしたタッチだった。Nさんが事実通りに褒めていたし、僕も言葉に注意しつつ何かを言ったと思う。この時の彼の心境! 帰宅翌日のメールにこうあった。
 「正直言ってお二人の前でギターを弾いた時は、清水の舞台から……の心境。緊張感を凌駕した恐怖感。結果、弾き終わって『汗びっしょり』でした。お二人に対する敬意のつもりで弾きました」
 ギター、「音楽」へのなにかとてつもない愛着を僕に感じさせた。
 その後しばらくして「曲の練習に、『月光』に取りかかられた」と聞いていた。

 この三人で出発した「ギター遊びの会」の方は二回目以降もずっと続き、来新春で春夏秋冬ともう二回り、八回目になる。常連出席も男女八名と賑やかなパーティーに育っている。Aさんがここに戻って来ること、これがNさんと僕の暗黙の誓いのようなものだ。その理由は自分でもよく分からないが、こういう「音楽」の場所に彼がいないのは、おかしい。

(2009年の頃の作品。再掲です)
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