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随筆 僕の「人生と芸術」  文科系

2021年01月29日 09時42分14秒 | 文芸作品

 大金持ちが有り余った金をその余生などにおいて芸術に費やし続けてきたという話は多い。「○○美術館」と個人の名前を冠したものがいかに多いかとか、名古屋の「宗次ホール」のように弦楽器の世界的名器を山のように揃えて若手有望芸術家に貸与してきたとか。昔に遡れば、信長、秀吉らがある茶道具と城一つとを取り替えたとかの話もある。音楽の歴史をもっと古くまで遡れば、音楽が宗教の世界のものだったとか、仏教の「音声菩薩(おんじょうぼさつ)」とかにも辿っていける。これらは、大金持ちが人生の喜びをそういう芸術、美に発見し、求めてきたということだろう。僕はこのことを、ある宗教に財産をつぎ込むのとちょっと似ていると、いつも推論してきた。つまり、自分の人生を何に懸けうるかという、死生観の話にもなっていくのだと。

 さて、彼ら大金持ちの芸術はもちろん、鑑賞者のそれだろう。が、その芸術を行う者の楽しみはどうなのか。鑑賞者よりもはるかに楽しいのではないかと思われるが、などと歴史を見つめてみた。「素晴らしい旋律が夢のように湧き出てきた」と語られるシューベルトは、栄養失調に近い状態のうちに30歳ちょっとで亡くなっている。まるで、そういう多くの作曲と親しい人との演奏に開け暮らして、命を縮めたというようにも見える。生前一枚の絵も売れなかったといわれるゴッホは、まさに炎のように色彩豊かな絵をほとばしりだした。自殺したのだから人生が楽しかったかどうかは分からないが、絵画に懸けたその情熱が凄まじいものだったことだけは、誰もが認めるものだろう。
 
 とこんなことを考えて僕は、晩年の生きがいの一つに音楽、楽器演奏を選んだ。小中学校に7年ほどバイオリンを習っていたから迷ったのだが、独学で拙く弾いていたクラシックギターの方を改めて50歳代から復活させ、停年後に先生についた。それからもう18年目に入り、近年は年とともに下手になっていくように思われるが、それでも毎年の発表会には出続けている。
 ちなみに、ギターは「楽器の王様」とも言われるピアノと兄弟のような和音楽器であって、単音楽器よりも楽しみが深いのである。単音楽器の和音がアルペジオ奏法(フルートで奏でる変奏曲、例えば「アルルの女」を思い出していただきたい。ギター教則本の初めにあるアルペジオ練習だけでも、とても楽しいのだが)しかできないのに対して、ギターの重和音一つをボローンと弾いて、聞くだけでも楽しめるのだ。和音一つで、澄んで晴れやかな、あるいは重厚で悲しげな・・・とか。自分であれこれと出してみた音を自分で聞くというのが、また格別に楽しいのだろう。

 これからどんな拙い演奏になっても、弾き続けていきたい。和音一つでも、あるいはアルペジオ一弾きでも楽しめるのだから、下手になったなどと言ってやめるようなのは音楽に対して失礼な変な自尊心というものだ。下手になっても音楽は音楽。「技術を聴く」ものではないと考えてきた。

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