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随筆紹介 「老いらくの恋文」  文科系

2021年01月26日 19時35分23秒 | 文芸作品

 随筆紹介 「老いらくの恋文」  H・Sさんの作品です

 郷里に暮らす八十三歳の友人瑞穂と電話で会話する回数が増えてきた。
「私の世代って実家で居場所がなかった。二十五歳を過ぎた女が親の元に居ると、男兄弟の結婚に邪魔。早く出て行け。そんな時代だったわよ。私なんか銀行勤めで給料結構良かったから、弟の学費も出してやったのに、その弟から、姉ちゃんがいると僕にお嫁さんが来ないから、いい人見つけて早く出ていってよと、すげない扱いを受けたのよ。それに銀行の女の子は結婚したら辞める決まりだった。三十歳近くになると売れ残りだと言われ居揚所がないような雰囲気だったもの。だから私は」と、六十何年前の日々を振り返りながらながながと、瑞穂のお喋りが続く。
「うん、うん」と、相槌を打ちながら、電話の向こうの瑞穂の言い分に同調しながら聞く。「早く家を出るようにせかされ、容姿も普通、とりえのない私は、銀行の先輩で仕事を教えてくれた次郎さんだけが「瑞穂のこと好きだよ」と、言ってくれたから、これ幸いと、次郎さん優しい人だし、次男だから姑さんと暮らさなくてもいいから、まあこの人でいいかー、と結婚を決めた。だから私の結婚は、まあいいか結婚なの」と、瑞穂は茶化した言い方をする。

 瑞穂の幼い時から近況まで知っている私は、笑いをこらえながら元気な声を聴いている。瑞穂も元気、八十七歳になる次郎さんも野菜、花作りをやり元気な様子だ。

「私ねえ、細書で、古の貴公子たちの短歌を書き写しているの。それがいま一番の楽しみなの。ふ、ふ、ふ、」とご機嫌の瑞穂。
「それ、どういうこと?詳しく話してよ」と、受け止めかね催促した私。
「教科書で習った有名人、大伴旅人、家持、山上憶良とか、に心が動くの。私の一番好きな貴公子は大伴旅人さんよ。都で活躍出来ず、地方に派遣された今で言う県知事さんのような立場で、ちょっと不遇な人達。その人たちのため息のような歌が好きなの。彼らのやるせない思いとか生業とか、何を考え生きていたのだろう。今よりずっと厳しい自然と戦っていたのだろうと想像すると、貴公子たちが愛おしくて仕方ないのよ。だから、彼らを励ましてやりたくて、自己流のかな文字で手紙も書いてるの。家持さんの任地だった特産品の越前和紙を和綴じ冊子にして使ってね」
「それって恋だよ。明らかに天平の貴公子に熱い恋をしてるよ、瑞穂は」と、返す私。
「こんな気持ち初めてだよ。次郎さんに感じたこと無いもの・・・そうー。これって、明らかに恋だよ」と瑞穂は自分の心の動きを認め驚いたようだがなんだか嬉しい様子だ。
 瑞穂の部屋には、どこにも出す予定のない達筆の恋文冊子が積みあがっていく様だ。お互い自分の部屋を持っている二人だ。何をやっていても相手が干渉することはない。

 瑞穂にとって次郎さんは、安定した生活の提供者。その地盤の上で共同生活は成り立っている。そこで瑞穂が、古の貴公子に恋文を書くのを楽しむのは瑞穂の自由だ。恋文は瑞穂の『心の飛行機だー』。群を抜く達筆がもたらす楽しみ方だ。この様な特技のある人は羨ましいと私は思う。

 次郎さんからの年賀状を受け取った。「老いは生涯の友 しなやかに、けなげに生きる二人です」。と、添え書きがあった。短い文面の中には、自分を語ることは得意ではないが、優しく温かい次郎さんの瑞穂への思いが込められていた。

 次郎さんの操縦する「心の飛行機」の指定席は、いつも瑞穂のために用意されている。そういうことだ。一方、瑞穂の操縦する「心の飛行機」の指定席には、大伴旅人さまがどっかり居座っている。こういうことはよくあることだー。瑞穂はト、ホ、ホなことをやっているわけではない。

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