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今一度、事実と解釈  文科系

2022年03月19日 17時14分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 この16日に『TBS報道番組で「史学の初歩的誤り」』をエントリーしたが、これへの反応は少なかった。日本人が苦手な問題だからでもあるのだろうと考えたところだ。僕の言い分をもう一度再掲してみると、
『「歴史的事実よりも解釈が重要だなどと、とんでもないことを語った」と言って、ある人物を貶めることなど到底できないことなのである。どんな人も事実を語っているつもりで、じつはその自分流解釈を語っているのだから。ただし、その解釈は事実、現実から外れず、別のそれらによって容易には崩されぬという意味において精緻な解釈でなければならないということだろう』
  そして、この解釈の難しさについてこう付け加えた。
『ところで、この解釈という事がまた、変わっていく。重大な新資料が出てくると換わるのは当然としても、解釈者自身らの時代も移り変わるところから歴史事実の束に臨む「問題意識」自身が変わるからである。近現代史における解釈変化の一例として、こんなことを著者はあげる。
 明治維新の基点である近代日本の始まりをどこに観るか自身が、変わったと。1950年代までの基点は1840年代の天保の改革の失政だったと観られていて、1960年にはペリー来航(1853年)がその基点に替わったというのである。歴史学会自身において、そのように通説が変わったと。』
 
 こうして、こういう解釈というものの難しさを知っている人ならば、メデジンスキーが述べたこの言葉もそれこそ解釈がいろいろ出てくるのであって、この言葉を取り上げるだけで鬼の首でも取ったように批判するのはおかしい。ここで解釈と言っても、そもそも事実の解釈なのであって、けっして事実から外れてもよしとメデジンスキーが語ったと実証しているわけではないのである。
「事実はそれ自体大きな意味を持たない。事実は概念の枠組みの中にだけ存在する。すべては事実ではなく解釈から始まる」 
 
 難しい裁判を例に取ってみよう。裁判は先ず事実経過の確定、確認をするが、難しいのは諸証拠の解釈ということになる。そして、そういう事実経過解釈が確定できても、判決を出す犯意軽重の解釈(善悪の度合い)はもっと難しい。これも事実から解釈していくわけだが事実、事物から「心の解釈」をしていくことになる。
 このすべてに対して、「検察のシナリオにある解釈が最も重要だと語っているから誤りだ」と、上のメデジンスキー批判はその程度の批判しか提起できていないと言いうる。最近あった犯罪の事実確認でさえこれだけ難しいのに、歴史の事実確認に対してならどれだけ解釈が大事になってくることか。

コメント
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