★私の参加する平和の結集のグループメールに大分の東本高志さんが、現在天皇制が国民の大半に支持され定着しているという議論に次のような反論を載せています。同感しました紹介します。
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Sさん
古代、中世、近世、近代と続く天皇制のコスモロジーの読解の問題はさておき、象徴天皇制の問題を民主主義の問題として考えようとするとき、日本国憲法第1章に規定される象徴天皇制は、同憲法前文に規定される国民主権、同第14条に規定される法の下の平等とは明らかに異質の概念です。象徴天皇制と民主主義の概念は相容れません。Sさんがご自身を「天皇制廃止論者」と位置づけるとき、そうした判断があるものと思います。そうだとして、このご判断に私は同意します。
しかし、Sさんがご自身を「かつ天皇家賛美論者」である、と位置づけようとするあなたの一種の矜持のようなものには私は同意できません。Sさんのそうした自矜の根底には「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」という現状分析とご判断がおそらくあるのでしょう。たしかに象徴天皇制に関する各種の世論調査を見ると象徴天皇制支持は多数派を占め、一見「象徴天皇制は広く国民になじんでいる」かのように見えます(たとえば1986年の朝日新聞社の全国世論調査では回答者の84パーセントが象徴天皇制を支持しています)。
しかし、私は、こうしたマスメディアの世論調査は、社会学でいうところの擬似環境(pseudo-environment)、人々が各自の頭の中に描いている環境についてのイメージ、マスメディアによって操作されやすいステレオタイプ化された環境像の反映にすぎず、そういう意味で形骸化された「世論」というべきものであって、真の現実環境(real environment)を反映したものとは必ずしもいえないように思います(W.リップマン『世論』)。
天皇誕生の日、私は天皇問題を考えるある市民集会に参加したのですが、ここで私の友人の50代の女性が次のように語っていたのが印象的でした。この女性は私の住まう県下でも最も高齢化率の高い村落の在住者なのですが、この女性が言うには、ある日、その村落の老婆3人と山に野良仕事に出かけたとき、その老婆たちは、敗戦のとき進駐軍の捜索を恐れて各自の家の居間に飾っていた天皇の御真影をこの山で焼き捨てたことを思い出したように語ったというのです。
仮定の話ですが、戦前に絶対天皇制に関する世論調査があったとして(そんな不敬があるはずもありませんんが)、その支持率はおそらく100パーセントに上るでしょうし、上らざるをえな
かったでしょう。しかし、「皇祖皇宗」の天皇家も、庶民にとっては所詮はこの程度の存在でしかなかった、とはその女性の言なのでした。
「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」というけれども、いまももしかしたら同じようなことはいえないでしょうか?
私は終戦直後に書いた坂口安吾の次のような志言に満腔の賛意を感じます。
「人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものゝ真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下が生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということゝは関係がない。況(いわ)んや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。/天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない」
(『天皇陛下にさゝぐる言葉』1948年)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42818_26242.html
東本高志@大分
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Sさん
古代、中世、近世、近代と続く天皇制のコスモロジーの読解の問題はさておき、象徴天皇制の問題を民主主義の問題として考えようとするとき、日本国憲法第1章に規定される象徴天皇制は、同憲法前文に規定される国民主権、同第14条に規定される法の下の平等とは明らかに異質の概念です。象徴天皇制と民主主義の概念は相容れません。Sさんがご自身を「天皇制廃止論者」と位置づけるとき、そうした判断があるものと思います。そうだとして、このご判断に私は同意します。
しかし、Sさんがご自身を「かつ天皇家賛美論者」である、と位置づけようとするあなたの一種の矜持のようなものには私は同意できません。Sさんのそうした自矜の根底には「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」という現状分析とご判断がおそらくあるのでしょう。たしかに象徴天皇制に関する各種の世論調査を見ると象徴天皇制支持は多数派を占め、一見「象徴天皇制は広く国民になじんでいる」かのように見えます(たとえば1986年の朝日新聞社の全国世論調査では回答者の84パーセントが象徴天皇制を支持しています)。
しかし、私は、こうしたマスメディアの世論調査は、社会学でいうところの擬似環境(pseudo-environment)、人々が各自の頭の中に描いている環境についてのイメージ、マスメディアによって操作されやすいステレオタイプ化された環境像の反映にすぎず、そういう意味で形骸化された「世論」というべきものであって、真の現実環境(real environment)を反映したものとは必ずしもいえないように思います(W.リップマン『世論』)。
天皇誕生の日、私は天皇問題を考えるある市民集会に参加したのですが、ここで私の友人の50代の女性が次のように語っていたのが印象的でした。この女性は私の住まう県下でも最も高齢化率の高い村落の在住者なのですが、この女性が言うには、ある日、その村落の老婆3人と山に野良仕事に出かけたとき、その老婆たちは、敗戦のとき進駐軍の捜索を恐れて各自の家の居間に飾っていた天皇の御真影をこの山で焼き捨てたことを思い出したように語ったというのです。
仮定の話ですが、戦前に絶対天皇制に関する世論調査があったとして(そんな不敬があるはずもありませんんが)、その支持率はおそらく100パーセントに上るでしょうし、上らざるをえな
かったでしょう。しかし、「皇祖皇宗」の天皇家も、庶民にとっては所詮はこの程度の存在でしかなかった、とはその女性の言なのでした。
「象徴天皇制という憲法上の規定は、広く国民になじんでいる」というけれども、いまももしかしたら同じようなことはいえないでしょうか?
私は終戦直後に書いた坂口安吾の次のような志言に満腔の賛意を感じます。
「人間の値打というものは、実質的なものだ。天皇という虚名によって、人間そのものゝ真実の尊敬をうけることはできないもので、天皇陛下が生物学者として真に偉大であるならば、生物学者として偉大なのであり、天皇ということゝは関係がない。況(いわ)んや、生物学者としてさのみではないが、天皇の素人芸としては、というような意味の過大評価は、哀れ、まずしい話である。/天皇というものに、実際の尊厳のあるべきイワレはないのである。日本に残る一番古い家柄、そして過去に日本を支配した名門である、ということの外に意味はなく、古い家柄といっても系譜的に辿りうるというだけで、人間誰しも、たゞ系図をもたないだけで、類人猿からこのかた、みんな同じだけ古い家柄であることは論をまたない」
(『天皇陛下にさゝぐる言葉』1948年)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42818_26242.html
東本高志@大分
理性では解釈できても、
簡単にはなくならないと思います。
ちょっと逆説的ですが、
敗戦直後に、米軍に担ぎ出された熊沢天皇。
理性がある意味で崩壊して時に
噴出してくるのが天皇の問題。
昭和天皇は、そういう意味で、
天皇継続に危機感を持った人だったと思います。
だからA級戦犯の合祀された靖国には
行こうとしなかったんでしょう。
天皇の議論は歓迎します。
いろんな意見が陳列されることが
とても重要です。
私は、さすが坂口安吾のようには、考える事はできません。もし、あの戦争がなかりせば、坂口安吾は、どう天皇制を考えたのでしょうか?
熊沢天皇というのが、自宅にも来た事があります。白い装束を着た老人でした。
所詮、偽者は、偽者です。
私は、民衆主義と天皇制を同価値に位置づける所に問題があると思います。
本来、天皇制はそれらを超越するものです。
誰も神武天皇が存在しているとは信じてはいません。まさに神話の世界なのです。
しかし、その神話性を持つ事が、大事なのです。ローマ帝国の誕生も神話の中にありますし、ギリシャもそうですが、しかし、その神話性の中にその時代のその国の歴史や生活・倫理観などが隠されているのです。
今更、明治憲法に戻る事はできないのでしょうが、私は、明治憲法であっても別段問題ないと思っています。かつ、こうした神話を持つ喜びがあるのです。占領軍のアメリカが、ある意味でその天皇制の持つ意味を一番、理解したのかもわかりません。
そして御真影を焼いた?その老婆は正しい選択です。国民の誰も彼もが天皇が神だとは思っていないからです。さすが仏像は焼けません。ご真影なら大丈夫です。祟りはありません。